食通のSさんに「あの店はどう?」と聞くと、「あんなところが美味しいって言うような人は味音痴や。味がわからん人が行くような店やな」というような答えがよく返ってくる。残念ながら私は、Sさんの言う味音痴のようである。Sさんがけなす店に、美味しいと思って喜んで行っているからだ。
Sさんは誰もが認める食通ではあるが、プロの料理人でもなければ、プロの料理評論家でもない。プロであれば、料理に対する厳しい目は必要なのかもしれない。しかし、一般人で必要以上に舌が超えていることは、幸せなことなんだろうか。
私もごくまれに不味いと思う店もあるが、関西で心底まずい店なんてまずないし、そんな店はすぐに潰れてしまうだろう。そんな中で5年以上続いている店は、それなりに美味しいんだと思う。実際にたいていの店は美味しいと思う。
美味しいと思う店がめったにない舌が超えている人と、私のようにどこに行っても美味しいと思うような味音痴の人間では、後者のほうが幸せなんじゃないかなと思う。どんなところで、何を食べても美味しいと感じるのだから、単純に考えて得である。
料理の話からは少し離れるが、私は若いころちょっとした映画通だった。世間で評判がいい映画を観に行くと、たいてい「こんな映画がおもしろいと思うような人は、映画のことがわかっていない。本当の名作を観たことがない人だ」などと思っていた口だ。しかし、今ではどんな映画を観ても、よほどの駄作でないかぎり、おもしろかったと思うし、しっかり楽しむことができる。そう考えると、若いころはずいぶん損をしていたと思う。
私は、一応文章を書くことを生業としているので、ことばの使い方や文章については、ついつい厳しい目で見てしまうし、そうあるべきだと思う。しかし、それ以外の分野では、小難しいことを言っていないで、どんなものでも肯定的にとらえて楽しめるほうが、人生楽しいような気がする。
「グルメ」を広辞苑で引くと「食通。美食家」となっている。さらに、「食通」を引くと「料理の味などに通じていること。また、その人」となっている。ということは、Sさんのような人がやっぱりグルメということになる。将来、グルメの定義に、「どんなものでも美味しいと言って喜んで食べる人」が加わるなんてことは、やっぱりないのかな。