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世の中の気になるモノやコトに関する雑談


やりたいことを100リストアップしてみた

 ツイッターのあるフォロワーさんが、「やりたいこと100個のリストアップを完了した」みたいなことをツイートしていた。やりたいことが100個もあるなんてすごいなと思って詳しく聞いてみると、実現可能性を無視して、願望的なことや野望的なことなども含めてどんなことでもリストアップするとのこと。毎年、年頭にその年にやりたいことを10程度リストしているが、100もリストアップするなんてことは思いもつかなかった。

 楽しそうなので自分もやってみたくなりググってみたところ、「書けば叶う!「やりたいことリスト100」のつくりかた」という記事がヒットした。この記事を参考にして、とにかくやりたいことを思いつく限り書き出してみた。健康に関する目標や仕事に関する目標など、まじめな目標はせいぜい30程度で、残りの大半は、「前から行きたかったレストラン◯◯に行く」「どこそこの◯◯を食べる」「◯◯(書籍のタイトル)を読む」「◯◯(映画のタイトル)を観る」など、その気になればいつでも実現できることや「宝くじで1億円以上当てる」など、自分の努力ではどうにもならないような内容になってしまった。

 リストアップした100のやりたいことのうち、年末に果たしていくつ実現しているか楽しみである。

やりたいこと100リスト

「廿」という字は何と読む?

 昨夜深夜番組を見ていたら、「廿」という字は何と読むという問題が出されていた。広島県に廿日市(はつかいち)という市がある。ということは「廿」は「はつ」と読むんだろうか。しばらくして解答が発表された。「廿」は、単独では「にじゅう」と読むらしい(音読みでは「ニュウ」「ジュウ」)。試しに携帯で「にじゅう」と入力してみたら、確かに変換候補として「廿」が表示される。なんでも、「十」が横に2 つ並んでいるから「にじゅう」なんだそうだ。えっ!そういう冗談みたいな由来の漢字なのか。

 Weblio で「廿」を調べてみると、「熟字訓: 廿日(はつか)」となっている。そうか、廿日 = 二十日で、「はつか」と読むのであって、単独で「はつ」と「か」ではないのか。そして、こういうのを熟字と呼ぶのか。ひとつ賢くなった。

 漢字の読みと言えば、長年疑問に思っていたことがあった。浜 木綿子という女優さんがいるが、どうして「木綿子」と書いて「ゆうこ」と読むのか、ずっと疑問に思っていたのだ。名前、しかも芸名なんだから、どんな字を書いてどう読もうがかまわないのだが、それでも木綿子と書いて「ゆうこ」と読むゆう子さんにはこれまで出会ったことがない。

 この疑問をツイッターでつぶやいたところ、何人かの方に、それは植物の浜木綿(はまゆう)に由来しているんだと教えてもらった。そうか、植物の「はまゆう」は浜木綿と書くのか。しかし、廿日 = 「はつか」と同様、浜木綿を「浜」と「木綿」に分解するのは反則だ。浜木綿の場合、たまたま「浜」を単独で「はま」と読めるが、「木綿」は単独で「ゆう」とは読めない。聖 林吉と書いて、「はり うどきち」と読むようなものだ(聖林 = ハリウッド)。芸名の読みなので目くじらを立てることではないのだが・・・。

 いずれにしても、長年の疑問が解けてすっとした。漢字と漢字が組み合わさってまったく別の読み方をする日本語。難しくもありおもしろくもあり。漢字や日本語については、まだまだ知らないことがいっぱいあるんだろうな。ところで、「廿」を「にじゅう」と読むことは、広島県、とくに廿日市の人にとっては常識なんでしょうか。

江戸まであと少しのところで、また謎のメッセージに遭遇

 先日ウォーキングをしていたとき奇妙な看板を見つけた。「宇宙平和音頭 ☆宇宙より♡ ---→ みんなの心に♡ みんなあえたあ~、うれし!」と書かれた看板だ。その隣には「宇宙人もおり!! 嘘、駆け引きない新しい文明にかえよう。よろこび、わかつ 悦二」という奇妙なメッセージが書かれた看板も並んでいた。宗教関連のメッセージなんだろうか。よく見ると、「Columbia Music Entertainment」と書かれている。CD の宣伝?家に帰って Google と YouTube でチェックしてみたが、『宇宙平和音頭』なる歌は実際には存在しないようである。

宇宙平和音頭の看板先日見かけた「宇宙平和音頭の看板」

もう 1 つの看板「宇宙平和音頭の看板」の隣にあった奇妙なメッセージ

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歯医者までもがハロウィーン

 100 円ショップがハロウィーングッズであふれかえっているのを見て、ハロウィーングッズってそんなに需要があるものなんだろうかと疑問に思ったのは 1 カ月半ほど前。それからしばらくして、町のあちこちでハロウィーンのかぼちゃを見かけるようになった。花屋、ケーキ屋、飲食店などの飾り付けがすっかりハロウィーン仕様になっている。そうか、あの大量のハロウィーングッズは、こういう店を対象としたものだったか。それなら、大量のハロウィーングッズが売られている理由がわからないでもない。

 しかし、日本でハロウィーンというものが知られるようになったからといって、それはあくまでもケーキ屋や飲食店でのビジネス利用であって、クリスマスみたいに一般家庭で何かをするなんてことにはまだなっていない。ついこの間までそう思っていた。ところが、先日普通の家の庭でハロウィーンの衣装を着た子どもたちを見かけてびっくり。SNS でも、ハロウィーンの衣装を着た大人や子どもたちの写真がちょくちょくアップされている。今日は、ハロウィーン仕様にしている歯医者を発見して「う~ん」と唸ってしまった。歯医者までもがハロウィーン?

ハロウィーン仕様の歯医者

 いつからこんなことになったんだ。私がハロウィーンというものの存在を知ったのは中学生のときだ。NHK のラジオ英会話でハロウィーンのことが取り上げられていて、「へえ~。欧米ではそういう習慣があるのか」と思ったことを覚えている。その時は、まさか日本にハロウィーンが定着する日(?)が来るとは思わなかった。

 ハロウィーンの決まり文句と言えば Trick or treat。日本語に訳すと「お菓子をくれないといたずらするぞ」。日本人がいくら欧米の習慣を表面的に真似るのが好きでも、まさか子どもたちが 「Trick or treat」と言いながら、近所の家を回る日が来るとは思えない。だいたい、日本の子どもに「お菓子をくれないといたずらするぞ」などという恐喝みたいな台詞は似合わない。「お手伝いするからお菓子をちょうだい」くらいがかわいくていい。

 日本人はどんなことでも日本流にアレンジするのが得意だから、今後ハロウィーンは子どもたちに地域社会の活動の手伝いをさせる日にしたらどうだろう。掃除でも何でもいい。子どもたちに何かをさせて、褒美にお菓子をあげればいい。「お手伝いするからお菓子をちょうだい」と言いながら子どもたちが集まってくる。お菓子業界も潤うし、地域社会の活性化につながるかもしれない。そんなことをぼんやり考えてみたハロウィーンの日でした。

オレヤ様から電話

 私は身内の者に電話するのがあまり好きではない。他人に電話する場合は、まず「くにしろです」と名乗ればいいのだが、身内が相手だと何と言っていいのかわからないからだ。いちいち名乗らなくても、声とか話し方で認識してもらえだろうと思って、きなり用件を話し出すこともあるが、しばらくして「なんやあんたか」などと言われる。そういうわけで、仕方なく「オレや」とか「オレオレ」とか言ってしまことが多い。

 よく考えてみると、電話で「オレ」と名乗ることには何の意味もない。「声と喋り方から誰なのか認識してください」という音声信号としての役割を果たしているに過ぎない。しかし、おれおれ詐欺なるものが成立するくらいだから、世の男性の多くが私と同じように「オレや」とか「オレだけど」と言っているのだろう。

 会社勤めをしていたころ、新人の女性社員が「くにしろさ~ん。オレヤ様から電話で~す」と私宛の電話を取り次いでくれたことがあった。電話に出てみるとそれは社長だった。あとで電話を取り次いでくれた女性に事情を聞いてみると、「電話に出たら、いきなり名前も名乗らずに『くにしろ君おるか』と言われたので、『どちら様ですか』と聞いたら『オレヤ』と返ってきた」そうである。

 ある程度の期間働いている社員だったら、声や喋り方からそれが社長だとすぐに認識できるので、社長に「どちら様ですか」と聞くようなことはない。社員に「どちら様ですか」と聞かれることがめったにない社長も、予期せずにそう聞かれてとっさに「オレや」と答えてしまったんだろう。

 身内の者に電話するとき、多くの男性が「おれや」とか「おれおれ」と言うのを利用したのがおれおれ詐欺であるが、これには女性版もあるんだろうか?「わたしわたし」と言って、娘や孫を装って金をだまし取ったというニュースは聞いたことがない。それとも、そもそも女性は電話で第一声に「わたし」などと言わないんだろうか。どうでもいいことだけど、ちょっとした疑問。

めざしは魚にあらず

 私は、ふとしたことからことばの由来や物の名称が気になることがよくある。そして、いったん気になると、それを調べて解明しないと気がすまない。今日は、翻訳原稿で「目指す」ということばを目にした瞬間、魚の「めざし」は何かを目指した結果「目指し」と呼ばれるようになったんだろうかと、妙な疑問を抱いてしまった。そうであれば、めざしはロマンチックな魚である。

 調べてみると、めざしは「目刺し」であることが判明した。目に棒を突き刺した状態で売られていたから「目刺し」なのだそうだ。生物学的な特徴ではなく、人間の商業活動が名前の由来だったことを知り、何だか切なくなった。さらに、いろいろなサイトを調べているうちに、「魚の食べ物語源」というサイトで、「マイワシなどに塩をふり、数尾ずつ竹やわらで目のところを刺し連ねて乾かした食品」という説明を発見。なんと、目刺しは食品の名称であって、魚の名前ではないとのこと。目刺しの正体は鰯だったのだ。そんなこと全然知らなかった。こんなこと日本人なら誰でも知ってる常識なんだろうか。そうだとすれば、無知をさらけ出しているようで恥ずかしいが、知らないものは仕方がない。

 人間いくつになっても知らないことだらけだ。昨日は、「一期一会」は井伊直弼が作ったことばだという事実を知って、大きな声で「へえ~」と言ってしまった次第である。ことばの由来や隠された意味を知ることはいと楽しである。

ただいま俳句の修行中(2012 年 4 月のマイブーム)

 ここ数日初夏の陽気が続いている。室内にいると気持ちいいが、長時間外を歩くと汗が湧き出る季節になった。今日は最近のマイブームについて書く。

 まずは食べ物のマイブームから。最近気に入っているのが博多一風堂のラーメン。「まるごとく~ぽん」に割引券が掲載されていたことがきっかけで初めて行ったのが 2 週間ほど前。そのときに食べた赤丸新味というラーメンがあまりにも美味く、すっかり魅了されてしまった。3 日ほど前にも、からか麺というのを食べてみたが、これもスープをすべて飲み干したくなるほどの美味さ。わが家からはちょっと遠いので、しょっちゅうは行けないが、このマイブームはしばらく続きそうだ。

 読むもののマイブームは『マンガ 日本の歴史』。先日図書館で見つけ、とりあえず「平氏政権と後白河院政」の巻を借りて読んでみたのだが、なかなかおもしろかった。最近、明治 20 年頃からの日本の近代史を描いた現代編を読み始めたところだ。現代編を読み終えたら、本編(全 48 巻)に戻って全巻読破しようと思っている。

 学校の日本史の授業について日ごろから思っていることがある。日本史の授業では、必ず縄文時代から順を追って進めていくため、近代史を教える時間が足らなくなり、どうしてもおろそかになる。まず、近代史から教えて、そのあと古代に戻ってもいいのではないだろうか。明治ではなく、幕末から始めてもいいと思う。縄文時代の日本人がどんな暮らしをしていたかよりも、明治、大正、昭和の時代の日本人が何を考え、どんな方向に進もうとしていたかを知ることのほうがはるかにおもしろく、重要だと思う。

明治国家の経営 (マンガ 日本の歴史)明治国家の経営 (マンガ 日本の歴史)
石ノ森 章太郎

マンガ日本の歴史 (52) (中公文庫) マンガ 日本の歴史〈55〉高度成長時代 (中公文庫) マンガ 日本の歴史〈43〉ざんぎり頭で文明開化 (中公文庫) マンガ 日本の歴史〈50〉大日本帝国の成立 (中公文庫) マンガ日本の歴史 (51) (中公文庫)

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 最後のマイブームは俳句。今年の初めに掲げた目標の 1 つが俳句の勉強をすることだった。3 月くらいからいろいろな本を読んで勉強をしている。俳句の決まりごとは、五七五の 17 音で作ることと季語を入れることの 2 つだけなのだが、それらしいものを作るのはなかなか難しい。気が向いたときに作ってはツイッターに投稿している。少しはそれらしいものができたので、調子に乗って俳句のサイトを作ってしまった。サイトのタイトルは「ハイ!句にしろ!」。飽きっぽい私がいつまで続くかはわからないが、気長に続けていきたい。

 上達するには、句会や吟行に参加するのがいいらしいが、今のところそんな時間は取れないので、それは老後の楽しみに取っておくことにし、それまでは自己流でぼちぼち楽しむことにする。どうせ俳句をやるのなら、かっこいい俳号を持ちたいと思って、くにしろ 万太郎とか、くにしろ 出歩などを考えてみたが、いまいちぱっとしない。漢字を使って、国城なんとかにしようかなどと思案中。今日、カラー写真がたっぷり載っている歳時記(季語の辞書のようなもの)を買った。

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安いやつほどよく育つ

 つくづく私には園芸の才能がないと思う。昨年 10 月 22 日のエントリー「土が乾いたら」に書いたときには青々としていたシモツケ草が、写真のように見るも無残な姿になってしまった。水やりには十分気を付けていたつもりなのだが、こんな風になってしまったらもう生き返ることはないだろう。

枯れてしまったシモツケ草

無残な姿になってしまったシモツケ草

 ある程度の年月、枯れずに育っているのは、新花月錦とサボテンと名前を知らない変な多肉植物である。ワイヤープランツも枯れかけたのだが、急いで水をやったらどうにか息を吹き返したようである。新花月錦は、2008 年 3 月 27 日のエントリー「何に似ているのかと思ったら・・・」で書いているので、もう 3 年も生きていることになる。左から 2 番目のは、昨年 100 円ショップで買った名前を知らない多肉植物である。もう 1 つ元気なのは、これも 100 円ショップで買ったミニサボテン。

新花月錦とサボテンとワイヤープランツ

左から順に、新花月錦、名前を知らない変な多肉植物、サボテン、ワイヤープランツ

 よく見てみると、元気なのは安いやつばかりだ。手間がかかるちょっと高級なやつは私の手には負えないのか。もう少し暖かくなったら、多肉植物ではないちょっと高いやつを買って、無事越年させてみたい。何がいいだろうか。今ちょっと目を付けているのはプミラ。

 それにしても、左から 2 番目の名前を知らない多肉植物は気持ちが悪い。最初は鉢にぴったりと収まるほどの大きさだったのに、見る見る大きくなって妖怪みたいになってきた。夜中、人間が見ていないときににょろにょろと動いているような気がしてならない。こいつの名前を知っている方がいたら、教えてください。

名前を知らない多肉植物

にょろにょろ妖怪植物(仮称)

パソコン要らないやつ

 やるべきことを次から次へとこなしているのに、私の「やること」リストはいつまでたってもきれいにならない。厳密に言うと、「やること」リストの項目は、「やりたいこと」と「やらなければならないこと」に分かれる。「やりたいこと」は放っておいてもやるので、リストにいつまでも残るのは、当然「やらなければならないこと」ばかりになる。

 早いもので、今年もあとわずかであわただしい年末がやってくる。この時期の「やること」リストの項目で、最もやっかいなものが年賀状書き。以前は、私の年末の「やること」リストにも「年賀状」の文字がいつまでも残っていたのだが、数年前に年賀状を書くのをやめることに決めてからは、その重圧から完全に開放された。一度書くのをやめてしまうと、再びあの重圧を味わうのはもうゴメンだと思う。「今年は久しぶりに会いたいですね」みたいな白々しいコメントを書くのが嫌になったことも年賀状を書くのをやめた理由の 1 つである。

 「『新年おめでとう』はNG? 震災で年賀状に異変‎(日本経済新聞)」によると、東日本大震災の影響を受けて、「おめでとう」や「謹賀新年」といった文言を使っていいものかと悩む人が増えているという。しかし、「おめでとう」や「謹賀新年」は決まり文句みたいなものなんだし、そこまで気にする必要があるんだろうか。被災していない人に出すのであれば、別に問題はないと思う。今回の震災で被災した知り合いに出すのであれば、同じデザインのものに、ねぎらいのことばを書き加えればいいのではないだろうか。

 年賀状といえば、最近気になるのが EPSON の Colorio Me の CM 。この CM で黒木メイサさんは、「これお土産。パソコン要らないやつで~す」と言っている。私は最初、「パソコン要らないやつ」は「要らなくなったパソコン」という意味だと思っていた。要らなくなったパソコンを娘が母親に持ってきたんだと思っていたのだが、「パソコンを必要としないプリンター」という意味であることが判明。「パソコン要らないやつ」は「不要なパソコン」と「パソコンを必要としないやつ(プリンター)」の 2 とおりに解釈できる。もちろん、目くじらを立てるほどのことではないのだが、こういう些細なことが気になる。きっと職業病だ。

 Colorio を使うと、印刷業者に頼んだようなきれいな年賀状ができあがるようである。年賀状を出さない私にそんなことを言う資格はないのかもしれないが、そこまできれいなものができるのであれば手作りする必要があるんだろうか。プリントごっこのような、手作り感が漂うものであればある程度意味があると思うのだが。



小唄にまつわるエトセトラ

 以前のエントリー「細胞に浸み込んでいる歌」で、私の細胞には『琵琶湖就航の歌』が浸み込んでいると書いたが、私の細胞のもっと奥深くには、別の歌が浸み込んでいるかもしれないと思い始めた。おりに触れ、その歌を口ずさんでいることに気付いたのだ。

 私の口をついて出るのはある歌の一節。「恋にもいろいろありまして、ヒゴイにマゴイは池の鯉」と「好きで好きで大好きで、死ぬ程好きなお方でも」という一節である。前者は『まつの木小唄』、後者は『お座敷小唄』だ。何となく切なくてきゅんとしてしまう歌詞が、若いころから何となく好きだった。

 小唄と名が付くものは、『まつの木小唄』と『お座敷小唄』以外では、『ラバウル小唄』と『軍隊小唄』が思い浮かぶ。ほかにどんなものがあるのか、YouTube で検索してみたら『海軍小唄』という小唄を発見。再生してみると、「汽車の窓から手を握り、送ってくれた人よりも」という歌詞が流れる。どこかで聴いたことがある歌詞とメロディだと思ったら、ドリフターズの『ドリフのズンドコ節』だ。もちろん、『海軍小唄』のほうが元歌である。

 そもそも、小唄とは何なのか。気になったので調べてみると、新明解辞典では「端唄((ハウタ))の一種。短い歌詞を三味線の伴奏で歌うもの」となっている。端唄とは何だ。同辞典によると、「技巧の少ない自由な形式の短い俗謡。多く三味線に合わせて歌う」歌らしい。よくわからないので、コトバンクで調べてみると、以下のように定義されていた。

明治末期から昭和にかけて、主にレコードで用いられた流行歌謡の分類。俗曲・小唄2・民謡などの調べを持つもののほか、新作も多く、内容は多様。(小唄@コトバンク

 わかるような、わからないような説明であるが、要するに昔の流行歌ということか。

 『お座敷小唄』の歌詞について、長い間ずっと疑問に思っていることがある。以下の歌詞についてである。

富士の高嶺に 降る雪も
京都先斗町に 降る雪も
雪に変わりは ないじゃなし
とけて流れりゃ 皆同じ
お座敷小唄 松尾和子&和田弘とマヒナスターズ 歌詞情報 - goo 音楽

 疑問に思うのは、「雪に変わりは ないじゃなし」という部分。「とけて流れりゃ皆同じ」と続いているのだから、「どこに降る雪であろうと、雪に変わりはない」という意味である。それならば、「雪に変わりがあるじゃなし」となるべきだと思うのだが。「変わりはないじゃなし」だと、「変わりがないことはない」、つまり「富士山に降る雪と、京都先斗町に降る雪は、同じ雪ではない」という意味になってしまう。話しことばで、「変わりがないんじゃない?」と語尾を上げれば、「変わりはない」という意味であるが、「ないじゃなし」はそのようには解釈できない。どうもすっきりしない。




参考・参照サイト

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