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小唄にまつわるエトセトラ

 以前のエントリー「細胞に浸み込んでいる歌」で、私の細胞には『琵琶湖就航の歌』が浸み込んでいると書いたが、私の細胞のもっと奥深くには、別の歌が浸み込んでいるかもしれないと思い始めた。おりに触れ、その歌を口ずさんでいることに気付いたのだ。

 私の口をついて出るのはある歌の一節。「恋にもいろいろありまして、ヒゴイにマゴイは池の鯉」と「好きで好きで大好きで、死ぬ程好きなお方でも」という一節である。前者は『まつの木小唄』、後者は『お座敷小唄』だ。何となく切なくてきゅんとしてしまう歌詞が、若いころから何となく好きだった。

 小唄と名が付くものは、『まつの木小唄』と『お座敷小唄』以外では、『ラバウル小唄』と『軍隊小唄』が思い浮かぶ。ほかにどんなものがあるのか、YouTube で検索してみたら『海軍小唄』という小唄を発見。再生してみると、「汽車の窓から手を握り、送ってくれた人よりも」という歌詞が流れる。どこかで聴いたことがある歌詞とメロディだと思ったら、ドリフターズの『ドリフのズンドコ節』だ。もちろん、『海軍小唄』のほうが元歌である。

 そもそも、小唄とは何なのか。気になったので調べてみると、新明解辞典では「端唄((ハウタ))の一種。短い歌詞を三味線の伴奏で歌うもの」となっている。端唄とは何だ。同辞典によると、「技巧の少ない自由な形式の短い俗謡。多く三味線に合わせて歌う」歌らしい。よくわからないので、コトバンクで調べてみると、以下のように定義されていた。

明治末期から昭和にかけて、主にレコードで用いられた流行歌謡の分類。俗曲・小唄2・民謡などの調べを持つもののほか、新作も多く、内容は多様。(小唄@コトバンク

 わかるような、わからないような説明であるが、要するに昔の流行歌ということか。

 『お座敷小唄』の歌詞について、長い間ずっと疑問に思っていることがある。以下の歌詞についてである。

富士の高嶺に 降る雪も
京都先斗町に 降る雪も
雪に変わりは ないじゃなし
とけて流れりゃ 皆同じ
お座敷小唄 松尾和子&和田弘とマヒナスターズ 歌詞情報 - goo 音楽

 疑問に思うのは、「雪に変わりは ないじゃなし」という部分。「とけて流れりゃ皆同じ」と続いているのだから、「どこに降る雪であろうと、雪に変わりはない」という意味である。それならば、「雪に変わりがあるじゃなし」となるべきだと思うのだが。「変わりはないじゃなし」だと、「変わりがないことはない」、つまり「富士山に降る雪と、京都先斗町に降る雪は、同じ雪ではない」という意味になってしまう。話しことばで、「変わりがないんじゃない?」と語尾を上げれば、「変わりはない」という意味であるが、「ないじゃなし」はそのようには解釈できない。どうもすっきりしない。




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