Diary 9246 :: That's 談 top > 気になるモノ&コト
[気になるモノ&コト] カテゴリー

世の中の気になるモノやコトに関する雑談


4 月 1 日生まれはなぜ前年度の学年に組み込まれるのか

 私は 4 月 11 日生まれである。これまで、同級生で私よりも誕生日が早かった人は、私の知る限りひとりもいなかった。当然のことだが、同級生の中でいちばん早く年を取る。若いころは何とも思わなかったが、最近はどうもおもしろくない。私は昨年の 4 月に 50 歳になったのだが、同級生の中にはまだ 49 歳の者がいる。なんだかずるいなあと思ってしまう(本当は何もずるくないが)。4 月生まれは損だ。

 そんな 4 月生まれの中に、唯一例外の日がある。4 月 1 日生まれだ。同級生にも 4 月 1 日生まれの者がいた。しかし、誰もが知っているように、4 月 1 日生まれは前年度の学年に組み込まれるので、学年の中でいちばん遅く生まれた者ということになる。学校の年度は 4 月 1 日から始まるのに、なぜこういうことになるんだろうと、ずっと不思議に思っていた。

 一昨日、『鶴瓶の超ゆる~い会議』という番組で「なぜ 4 月 2 日生まれから学年が変わるの!?」という話題を取り上げていた。その理由を知って、何度も「へえ~」とうなってしまった。ここ数年でいちばん「へえ~」と思ったと言ってもいいくらいだ。

 それは、「年齢計算ニ関スル法律」の定めにによるとのことだった。この法律によると「年齢の加算は誕生日の前日に行う」となっている。つまり、私たち日本人は、誕生日ではなくその前日(厳密に言うと、誕生日の前日の 24 時)に年をとるということになる。

 この規定に従うと、4 月 1 日生まれの人に年齢が加算されるのは 3 月 31 日である。たとえば、小学校の就学規定が、「4 月 1 日から翌年 3 月 31 日までに満 6 歳になった児童」であるとすると、学校の年度は、4 月 1 日 ~ 3 月 31 日であっても、対象となる児童は 4 月 2 日から翌年 4 月 1 日に生まれた者ということになる。なるほどねえ。

 それでは、そもそも、なぜ誕生日ではなく、誕生日の前日に年齢を加算しないといけないのか。それは、うるう年、つまり 2 月 29 日が存在するからである。「誕生日に年齢を加算する」と定めると、2 月 29 日生まれの者は、法的には 4 年に 1 歳しか年をとらないことになる。このような不都合を解消するための措置だとのこと。うまいこと考えたものだ。私の中の「なるほどメーター」の針は振れまくり。

 番組で取り上げていた話題で、もう 1 つ興味深いものがあった。それは「なぜ最近、月に行かないのか? 」だ。番組では、「月に行くには莫大な金がかかるからである」(財政的な理由)と結論付けていた。「本当は、人類はまだ月に行ってないからやろ~」と私はつぶやいた。以前から、「人類は本当は月に行っていない」という説を唱える人たちがいるが、わたしは密かにその説を支持してる者のひとりである。 

県民性とイメージ

以下のイメージは、都道府県イメージマップ@日本辞典で公開されている「ある県」のイメージである。

人柄レベル: 低い
美人度: 低い
食事レベル: 高い
満足度: 普通
結婚相手としての満足度: 低い
観光レベル: 高い
歴史の古さ: 古い
生真面目度: 高い
社交性: 普通
見栄っ張り度: 高い
拝金主義度: 普通
甘党度: 高い
酒好き度: 高い
色白度: 高い
博打好き度: 高い

これは何県のイメージでしょうか。正解は、私の出身県である三重県である。三重県は総合的な観点で上位にランクする県でないことはわかっているが、「人柄」や「結婚相手」といった人間の根幹に関する部分で「低い」というイメージを持たれているのは残念。ちなみに人柄レベルが最も高いのは北海道のようだ。これは私のイメージと一致する。

いい意味で「高い」というイメージを持たれている項目は、「食事」と「観光」の 2 つ。「食事」は、きっと伊勢志摩の海の幸や松阪牛が大きく貢献しているんだろう。しかし、三重県民は日常的においしい魚介類や牛肉を食べているわけではなく、むしろ普通なんじゃないかと思う。生真面目さも「高い」となっている。「まじめさ」が「高い」のであれば喜ぶべきなんだろうが、生まじめだと言われるのはあまりうれしくない。

最後に美人度について。美人度のイメージが高い都道府県は、北海道、秋田、新潟、京都、福岡である。秋田県は、秋田美人っていうことばがあるくらいだから、そういうイメージを持たれるのは当然だろう。京都は、「東男に京女」からか。逆に、美人度のイメージが最低レベルの都道府県は、茨城、愛知、岐阜、三重、和歌山の 5 県である。東海 3 県と呼ばれる愛知、岐阜、三重がそろって低レベルなのはどういうわけだ。ついでに、三重に隣接する和歌山も同じグループに入っている。これだけ地理的にまとまった地域に集中しているのは偶然の一致なんだろうか。

「男っぷり」という項目もあればおもしろいのにと思う。私の予想では、九州各県と高知県あたりが上位にランクするような気がする。もちろん、三重県が「高い」ではないことは明らかだが、せめて「普通」であってほしい。

生まれ育った三重県を離れてもう 30 年以上になる。しかし、現在住んでいる兵庫県のことよりも、どうしても出身県のことのほうが気になるんだなあ。


10 分 1000 円

高いなあ。思わずうなってしまった。何の値段かというと、愚痴を聞いてもらうために支払う料金である。

「最近は、電話で愚痴を聞く『愚痴聞きビジネス』っていうのが流行ってるねんて。ほんで、料金は 10 分で 1000 円やて」。先週のきらきらアフロで鶴瓶師匠がこんな感じのことを言っていた。本当にそんなビジネスがあるのか。どんなシステムになっているのか。気になったので早速調べてみた。

Google で検索した結果、「[電話相談]「愚痴聞き」ビジネスが人気」(@yomiDr./ヨミドクター)という記事を発見。確かに「愚痴聞きビジネス」なるものが存在し、利用者が増えているという。以下は同記事からの引用。

料金は10分1000円。当初は1本も電話がない日が続いたが、2008年から徐々に利用は伸び、今では延べ3000人に達した。男女25人のスタッフが交代で24時間対応する。

 同倶楽部のセラピストの一人、あさくらゆかりさん(42)は、主婦業のかたわら1日1時間半~6時間程度、自宅に転送されてくる電話を受ける。「9割以上は愚痴です。ばかにされると思って友人には話せないのでしょう。最後には『元気をもらった』と喜ばれることも多い」という。

この「電話で愚痴を聞く」サービスを提供しているのは、聞き上手倶楽部という会社らしい。愚痴聞きだけでなく、うつ病専門の電話カウンセリング、子育て育児電話相談、恋愛カウンセリングなど、幅広く電話相談サービスを提供しているとのこと。

確かに、愚痴や不満を誰かに話せばすっきりしたり、ストレスを解消できたりすることは事実だと思う。でも、いくらストレス社会とは言え、こんなビジネスが成立するとはねえ。

「私それやりたい。人の愚痴を聞いて、『そうですよねえ』って相づちうってればええんやろ。それで時給 6,000 円やったらすごくええやん」
どういうわけか、利用者の立場ではなく仕事をする人の立場から妻がこんなことを言う。
「でもなあ、最初はええかもしれんけど、ずっと人の愚痴ばっかり聞いてたら、だんだんいやになってくると思うで。きっと想像以上に大変な仕事やで」と私。

細かいことを言えば、10 分 1,000 円は利用者が会社に支払う金額であり、実際に話を聞く人がもらえる金額はせいぜいその半分くらいだろう。それでも十分魅力的な金額ではあるが、人の愚痴を延々と聞き続けるなんて、私には絶対無理だと思う。

今のところ、お金を払ってまで聞いてもらいたい愚痴は私にはない。これからも「愚痴聞き」サービスのお世話にならなくてもよい、ストレスの少ない生活環境を維持したい。そんなことを感じたちょっと前の出来事でした。

65 点の人が好き

先日ある人と話していて、ひょんなことから、昔のある歌のことが話題になった。「知っていながらわざと間違える、65 点の人が好き」みたいな感じの歌である。誰の何という曲だったのか思い出せずいらいらしたので、家に帰って調べてみた。松本ちえこの『恋人試験』だということが判明した(恋人試験@YouTube)。

恋人としてふさわしいかどうかを調べるための試験について歌ったものだと思われる。歌詞は、試験問題を読み上げたあと以下のサビへと続く。

0 点なんかじゃ許さない
100 点とるひと大嫌い
知っているのに ワザとまちがえる
65 点の ひとが好き 好き 好き
(『作詞: 伊藤アキラ、作曲: あかの たちお(『恋人試験』の全歌詞))

「私」の恋人にふさわしいのは 65 点の人だそうだ。しかも、知っていながらわざと間違えなければならない。知識がなくて 65 点はだめなのだ。でも、なぜわざとまちがえないといけないのか。それで、なんで 65 点なんだろうか。

そもそも、この試験は何人もの恋人候補からふさわしい人を選ぶためのものなんだろうか。それとも、すでに恋人がいて、その人が本当に恋人としてふさわしいかどうかを見定めるためのものなんだろうか。

こんなどうでもいいことに頭を悩ませてしまったことに、少し後悔してしまったクニシロであった。

「着心地は?」と聞かれたら

「○○心地はどうですか」と聞かれたら、普通は「いい」とか「悪い」とか「まずまず」とか答える。「ある」とか「ない」とか「ゼロ」とか答える人はいないだろう。

先日テレビを見ていたら気になる CM が流れていた。ユニクロの男性用下着「シルキードライ」の CM だ。決して商品が気になったわけではない。この商品の「着心地ゼロ」というコピーが気になったのだ。着ていることを忘れるほどの下着であることを伝えたいらしい。

着ている感じがしないことを言いたいのであれば、「着心地ゼロ」じゃなくて「着用感ゼロ」とか「装着感ゼロ」とか言うべきではないのか。ちなみに、「着心地」は広辞苑では、「着物を着た時の体になじむ感じ」と定義されている。そうだとすると、「着心地ゼロ」は「体になじむ感じがゼロ」ということになり、心地よさがまったくないこと、つまり最悪であることを意味することになる。

私は昔コンタクトレンズを着用していたことがある。最初はハードレンズを着用していたのだが、レンズの着け心地は最悪で、ものすごく着用感(装着感)があった。こんなに異物感があるものを常時着用するのは無理だと思って、ソフトレンズに変えてみたところ、着け心地はかなりよく、着用(装着)感もほとんどゼロに近かったので、ソフトレンズに乗り換えた。

ひょっとしたら、大多数の人は「着心地ゼロ」に違和感を覚ないのかもしれない。大多数の人がおかしいと思わなければ、それは正しいことばということになる。こんな些細なことが気になるのは一種の職業病なんだろうか。

最後に最近長年の疑問が解消されてすっきりした話を 1 つ。以前から、「踏んだり蹴ったり」はなぜ「踏まれたり蹴られたり」と言わないんだろうと思っていたのだが、先日あるテレビ番組でこのことが取り上げられていた。「踏んだり蹴ったり」は、本来は加害者側の視点から、「踏んだり蹴ったりの目にあわせる」という使い方をしていたものが、だんだん簡略化して「踏んだり蹴ったり」を単独で使うようになったのだそうだ。なるほど納得。

マニア心をくすぐるデア ゴスティーニ

最近とっても気になる CM がある。デア ゴスティーニの「週刊 航空母艦赤城を作る」だ。「創刊号は 590 円」などと言われると、ますます欲しくなる。しかし、デア ゴスティーニは全部そろえると最終的にすごい金額になることは、以前の経験からわかっている。

総額 2 万円くらいなんてことはないよなあ。でも、万が一それくらいの金額だったら絶対に買おう。そんな甘い希望を抱きながら、チェックしてみると 100 号完結とのこと。総額 138,200 円だ。やっぱり、これくらいの金額になるのか。わかっていたけどがっかり。

この「週刊 航空母艦赤城を作る」に限らず、デア ゴスティーニはマニア心をくすぐるものが本当に多い。興味がない人には見向きもされないが、マニアとっては欲しくて欲しくてたまらないと思わせるような商品を次から次へと出してくる。「天体模型 太陽系をつくる 太陽・地球・月の三球儀編」も大いに私の心をそそるし、「週刊 江戸」もおもしろそうだ。

次から次へと新しい企画を打ち出すデア ゴスティーニ。果たして売れているんだろうか。最後まで買い続ける人はいるんだろうか。そんな疑問を以前から抱いていたが、デアゴスティーニのビジネスモデルに関する興味深い記事(「デアゴスティーニ商法が行動経済学的に凄すぎる」)を発見。行動経済学か。なるほどねえ。デアゴスティーニが人間の心理と行動をうまく利用したビジネスであることは理解できた。でも、だからといって、興味がある事象にそそられるという心の動きは抑制できない。

これからも、デアゴスティーニの魅力的な CM が流れるたびに、私は性懲りもなく「欲しい」と思い続けるだろう。こんな私は、典型的な「思うつぼ」人間なのかも。


赤城に関連する雑談 >> トラ・トラ・トラ! - 童心には帰れなかった

参考・参照サイト


切手にまつわるエトセトラ

現在の郵便料金は、はがきが 50 円、封書が 80 円である。この料金は平成 6 年 1 月から 16 年間上がっておらず、据え置き期間としては史上最長になったとのこと。ゆるやかなデフレと言われている現在の状況から考えると、この据え置き期間の記録はまだまだ更新されると思われる(郵便料金の推移については、公共料金の推移を参照)。

私が物心ついたときの郵便料金は、はがきが 5 円、封書が 10 円だった。その後、はがきの郵便料金は経済の高度成長に伴って 5 円 → 7 円 → 10 円 → 20 円 → 30 円 ・・・ という具合に、現行の 50 円までは一気に上がっていったという印象がある。

切手代が歌詞に登場する曲としては、「my life」という歌がある。「62 円の値打ちしかないの?僕のラブレター」という歌詞で始まるミスチルの初期の曲だ。これは、それまで 60 円だった封書の郵便料金が消費税の影響で 62 円になった平成元年 4 月から、80 円に値上げされた平成 6 年 1 月までの間に書かれた曲ということになる。若いミスチルファンの中には、この「62 円」の意味がわからない人がいるみたいだ。

切手と言えば、私が小学校の高学年から中学生のころ、切手集めが爆発的に流行した。私も切手集めに熱中していた小学生のひとりだった。当時は、切手をシートで買える友だちがすごくうらやましかった。シートで買う財力のない私は、「漠然と集めるよりも、テーマを決めて集めるとよい」という内容の記事を何かの本で読んで、スポーツ関係の切手を集めることにした。東京オリンピックや札幌オリンピックの切手、各年の国民体育大会の切手のほかに、通販で安く買える外国の使用済みのスポーツ切手を購入し、ストックブックと呼ばれる切手用の保存ブックに保存しては毎日眺めていた。切手専用のピンセットも持っていた。

切手少年だった私の当時の最大の憧れは、「月に雁」と「見返り美人」だった。どちらも額面数円の切手に、当時確か 1 万円前後の値段がついていたと思う。とても小学生に買える代物ではなかった。羨望のまなざしで切手のカタログを眺めていた小学生は私だけではないと思う。

今でも、「月に雁」や「見返り美人」には高い値段が付いているんだろうか。気になって調べてみたところ、月に雁は今でもマルメイトで 9,800 円で販売されているようだ。月に雁と双璧だった見返り美人は 6,500 円とやや安い。

懐かしくなって、あのころ集めていた切手を探してみてたが、見つからない。捨ててないと思うんだけど・・・。私のあの切手はどこに行ってしまったんでしょう。


続きを読む

トイレの節水器でこれだけ節水できた

水道使用量のお知らせトイレの節水器でどこまで節水できる?で取り付けたトイレの節水器の結果が出た。

昨年の同期の使用水量が 49 m2 だったのに対して、今期の使用水量は 39 m2。49 → 39 ということは約 20% 減。料金も、昨年の同期より 2,000 円以上安い。

水道料金は、2 カ月ごとの支払いだから 1 カ月 1,000 円ほどの節約、1 年で 12,000 円も節約できることになる。

節水器自体の値段は、送料を入れても 2,000 円くらいだったから、2 か月で元が取れる。ふたり家族でこれだけ節約できるのだから、4 人家族とかだったら節約金額はもっと大きくなりそうだ。

何かをやめたり我慢したりする節約は気持ちが暗くなりがちだけど、この節水器は「我慢してる」感とか「ケチケチ」感なしで節約できて、大切な水資源の節約にもなるところがいい。

世の中には、節水シャワーヘッドとかいうものもあるようなので、次はこれを試してみるかな。

7 大都市から 10 大都市、そして今は 19 大都市?

その昔、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、北九州の 7 つの都市を日本の 7 大都市と呼んでいたころがあった。学校でもそのように習った。人口がほぼ 100 万以上の都市を政令指定都市と定め、それが大都市の定義だったように思う。

1972 年に、札幌、川崎、福岡の 3 都市が加わって 10 大都市と呼ばれるようになった。このあたりまでは何とか日本の大都市(政令指定都市)を把握できていたのだが、これに仙台、千葉、広島が加わったあたりから把握できなくなった。さらに、2000 年以降にさいたま、新潟、静岡、浜松、堺、岡山が政令都市の仲間入りし、2010 年 4 月 1 日には相模原も政令指定都市になるらしい。全部で 19 にもなる。

政令指定都市の基準は「人口50万以上の市」らしいが、さすがに 19 にもなると、19 大都市と呼ぶのは違和感がある。「○○大都市」という呼称はすでになつかしの昭和のことばなんでしょうか?

政令指定都市には「区」が設けられているのだが、姫路は政令指定都市じゃないのになぜか「区」がある。気になったので調べてみたら、「姫路市の『区』は、1946年3月に周辺市町村と合併したときに用いた町名の一部」(姫路市 FAQ より)とのこと。納得。

あと、政府や行政機関などが言う 10 大都市というのはどの都市を指すんだろうか。日本の 10 大都市って?@OKWave では、 単純に人口が多い 上位 10 都市を挙げている回答者がいるが、そんなに単純なものだろうか。人口は変動するし、人口が少なくても経済的、文化的に影響力が大きい都市はあると思うのだが・・・。

いろいろ検索してみたが、納得のいく答は得られなかった。ああ気になる。どなたか教えてください。

ホットペッパーの映画風 CM をまた見たい

最近、映画のシーンにアフレコでまったく別の台詞をあてはめる、ホットペッパーのおもしろい CM をまったく見ない。ちょっと気になったので調べてみた。変な関西弁の CM だったので、てっきり関西限定だと思っていたのだが、どうも全国放送していたようである。

それよりも、もっと驚いたことは、「映像の多くはCM用に日本国外でロケをしたもので、本物の映画のシーンを使っているわけではない」(Wikipedia)ということだ。へえ~、知らなかった。そう言われれば、確かに口の動きと台詞があまりにもうまく合い過ぎている。





<<前へ 12|3|4 次へ>>