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世の中の気になるモノやコトに関する雑談


安いやつほどよく育つ

 つくづく私には園芸の才能がないと思う。昨年 10 月 22 日のエントリー「土が乾いたら」に書いたときには青々としていたシモツケ草が、写真のように見るも無残な姿になってしまった。水やりには十分気を付けていたつもりなのだが、こんな風になってしまったらもう生き返ることはないだろう。

枯れてしまったシモツケ草

無残な姿になってしまったシモツケ草

 ある程度の年月、枯れずに育っているのは、新花月錦とサボテンと名前を知らない変な多肉植物である。ワイヤープランツも枯れかけたのだが、急いで水をやったらどうにか息を吹き返したようである。新花月錦は、2008 年 3 月 27 日のエントリー「何に似ているのかと思ったら・・・」で書いているので、もう 3 年も生きていることになる。左から 2 番目のは、昨年 100 円ショップで買った名前を知らない多肉植物である。もう 1 つ元気なのは、これも 100 円ショップで買ったミニサボテン。

新花月錦とサボテンとワイヤープランツ

左から順に、新花月錦、名前を知らない変な多肉植物、サボテン、ワイヤープランツ

 よく見てみると、元気なのは安いやつばかりだ。手間がかかるちょっと高級なやつは私の手には負えないのか。もう少し暖かくなったら、多肉植物ではないちょっと高いやつを買って、無事越年させてみたい。何がいいだろうか。今ちょっと目を付けているのはプミラ。

 それにしても、左から 2 番目の名前を知らない多肉植物は気持ちが悪い。最初は鉢にぴったりと収まるほどの大きさだったのに、見る見る大きくなって妖怪みたいになってきた。夜中、人間が見ていないときににょろにょろと動いているような気がしてならない。こいつの名前を知っている方がいたら、教えてください。

名前を知らない多肉植物

にょろにょろ妖怪植物(仮称)

パソコン要らないやつ

 やるべきことを次から次へとこなしているのに、私の「やること」リストはいつまでたってもきれいにならない。厳密に言うと、「やること」リストの項目は、「やりたいこと」と「やらなければならないこと」に分かれる。「やりたいこと」は放っておいてもやるので、リストにいつまでも残るのは、当然「やらなければならないこと」ばかりになる。

 早いもので、今年もあとわずかであわただしい年末がやってくる。この時期の「やること」リストの項目で、最もやっかいなものが年賀状書き。以前は、私の年末の「やること」リストにも「年賀状」の文字がいつまでも残っていたのだが、数年前に年賀状を書くのをやめることに決めてからは、その重圧から完全に開放された。一度書くのをやめてしまうと、再びあの重圧を味わうのはもうゴメンだと思う。「今年は久しぶりに会いたいですね」みたいな白々しいコメントを書くのが嫌になったことも年賀状を書くのをやめた理由の 1 つである。

 「『新年おめでとう』はNG? 震災で年賀状に異変‎(日本経済新聞)」によると、東日本大震災の影響を受けて、「おめでとう」や「謹賀新年」といった文言を使っていいものかと悩む人が増えているという。しかし、「おめでとう」や「謹賀新年」は決まり文句みたいなものなんだし、そこまで気にする必要があるんだろうか。被災していない人に出すのであれば、別に問題はないと思う。今回の震災で被災した知り合いに出すのであれば、同じデザインのものに、ねぎらいのことばを書き加えればいいのではないだろうか。

 年賀状といえば、最近気になるのが EPSON の Colorio Me の CM 。この CM で黒木メイサさんは、「これお土産。パソコン要らないやつで~す」と言っている。私は最初、「パソコン要らないやつ」は「要らなくなったパソコン」という意味だと思っていた。要らなくなったパソコンを娘が母親に持ってきたんだと思っていたのだが、「パソコンを必要としないプリンター」という意味であることが判明。「パソコン要らないやつ」は「不要なパソコン」と「パソコンを必要としないやつ(プリンター)」の 2 とおりに解釈できる。もちろん、目くじらを立てるほどのことではないのだが、こういう些細なことが気になる。きっと職業病だ。

 Colorio を使うと、印刷業者に頼んだようなきれいな年賀状ができあがるようである。年賀状を出さない私にそんなことを言う資格はないのかもしれないが、そこまできれいなものができるのであれば手作りする必要があるんだろうか。プリントごっこのような、手作り感が漂うものであればある程度意味があると思うのだが。



小唄にまつわるエトセトラ

 以前のエントリー「細胞に浸み込んでいる歌」で、私の細胞には『琵琶湖就航の歌』が浸み込んでいると書いたが、私の細胞のもっと奥深くには、別の歌が浸み込んでいるかもしれないと思い始めた。おりに触れ、その歌を口ずさんでいることに気付いたのだ。

 私の口をついて出るのはある歌の一節。「恋にもいろいろありまして、ヒゴイにマゴイは池の鯉」と「好きで好きで大好きで、死ぬ程好きなお方でも」という一節である。前者は『まつの木小唄』、後者は『お座敷小唄』だ。何となく切なくてきゅんとしてしまう歌詞が、若いころから何となく好きだった。

 小唄と名が付くものは、『まつの木小唄』と『お座敷小唄』以外では、『ラバウル小唄』と『軍隊小唄』が思い浮かぶ。ほかにどんなものがあるのか、YouTube で検索してみたら『海軍小唄』という小唄を発見。再生してみると、「汽車の窓から手を握り、送ってくれた人よりも」という歌詞が流れる。どこかで聴いたことがある歌詞とメロディだと思ったら、ドリフターズの『ドリフのズンドコ節』だ。もちろん、『海軍小唄』のほうが元歌である。

 そもそも、小唄とは何なのか。気になったので調べてみると、新明解辞典では「端唄((ハウタ))の一種。短い歌詞を三味線の伴奏で歌うもの」となっている。端唄とは何だ。同辞典によると、「技巧の少ない自由な形式の短い俗謡。多く三味線に合わせて歌う」歌らしい。よくわからないので、コトバンクで調べてみると、以下のように定義されていた。

明治末期から昭和にかけて、主にレコードで用いられた流行歌謡の分類。俗曲・小唄2・民謡などの調べを持つもののほか、新作も多く、内容は多様。(小唄@コトバンク

 わかるような、わからないような説明であるが、要するに昔の流行歌ということか。

 『お座敷小唄』の歌詞について、長い間ずっと疑問に思っていることがある。以下の歌詞についてである。

富士の高嶺に 降る雪も
京都先斗町に 降る雪も
雪に変わりは ないじゃなし
とけて流れりゃ 皆同じ
お座敷小唄 松尾和子&和田弘とマヒナスターズ 歌詞情報 - goo 音楽

 疑問に思うのは、「雪に変わりは ないじゃなし」という部分。「とけて流れりゃ皆同じ」と続いているのだから、「どこに降る雪であろうと、雪に変わりはない」という意味である。それならば、「雪に変わりがあるじゃなし」となるべきだと思うのだが。「変わりはないじゃなし」だと、「変わりがないことはない」、つまり「富士山に降る雪と、京都先斗町に降る雪は、同じ雪ではない」という意味になってしまう。話しことばで、「変わりがないんじゃない?」と語尾を上げれば、「変わりはない」という意味であるが、「ないじゃなし」はそのようには解釈できない。どうもすっきりしない。




参考・参照サイト

無料で無線 LAN ルーターがもらえる理由は?

au の Wi-Fi トライアルキャンペーンの通知 最近スマートフォンユーザーになったばかりの妻のところに、au から「Wi-Fi トライアルキャンペーン」の通知が届いた。キャンペーンに申し込むと無線 LAN ルーターが送られてくるらしい。それを使ってスマートフォンを Wi-Fi 接続し、アンケートに回答すると、その無線 LAN ルーターを引き続き使用できるとのこと。つまり、無料でもらえるということだ。

 キャンペーンの内容を読むと、無料でもらえる無線 LAN ルーターは Buffalo の Air Station のようである。私がこの前買ったのと同じ製品だ(10/26 日のエントリー「時間ができたら」を参照)。がび~ん。このキャンペーン、あと 1 カ月早くやってくれてたら、買わずに済んだのに・・・・・・。

 でも、au はたかだかアンケートに答えるだけで、なぜ無線 LAN ルーターをくれるんだろうか。BUFFALO の Air Stationは、安いものでも 3,000 円弱はする。決して安いものではない。これを無料で提供することによって、何か別の有償サービスに誘導するつもりなんだろうか。このキャンペーンは、au にどんなメリットをもらたらすんだろうか。気になったので「au Wi-Fi トライアルキャンペーン」をキーワードにして Google 先生に聞いてみた。同じように疑問を呈している人はいたが、それの回答らしきものは見つからない。au の Web サイトでも、このキャンペーンの告知はしていない。Wi Fi WIN は普通の携帯用のサービスなので、このサービスに誘導するためのキャンペーンではなさそうだ。また、単にアンケート調査だけを目的としたものであれば、コストがかかり過ぎる。

 わが家はすでに無線 LAN ルーターを購入したので、キャンペーンに申し込むつもりはない。しかし、「ただほど高いものはない」ということばがあるように、申し込みを考えている人はちょっと不安を感じるかもしれない。こういうものは、「ああ、そういうことか」と納得できるような理由がはっきりわかるほうが申し込みやすいと思う。このキャンペーンの意図が気になって仕方がない。

参考・参照サイト

2 番目に美味しいお店

川西で 2 番目に美味しいお店「ココ」の看板 ずいぶん前から気になっていた店がある。その店は、「川西で 2 番目に美味しいお店」という看板を堂々と掲げている。店の名前は喫茶 COCO(ココ)。誤解する人がいるといけないので書いておくが、ひところ大きな話題になった「2 位じゃダメなんでしょうか」という蓮舫大臣の発言に乗じたものではない。この看板は、それよりもずっと前から存在していた。私が知る限り、10 年前にはすでに存在していたと思う。看板は定期的にリニューアルされているようなので(数年前の看板は、「喫茶ココ (COCO)@川西写真館 9246 」を参照)、長期に渡ってずっと「2 番目に美味しいお店」の地位を守っていることになる。

 それだけ「2 番目に美味しい」ことに誇りを持っている店の味を知らないのは、川西市民として恥ずかしいことである。意を決して喫茶・お食事処 COCO に入ることにした。決して今風のおしゃれな感じの店ではない。食事メニューが充実した昔ながらの喫茶店といった感じだ。メニューも多種多様で、オムライス、カレー、サンドイッチといった喫茶店の定番メニュー、とんかつ定食やハンバーグ定食といった定食類、喫茶店らしからぬラーメンやうどんなどの麺類まで、何でもありの店である(店頭メニューはこちら)。

 今日の日替わり定食は石狩うどんだったが、今日はうどんという気分ではない。何を食べようか迷ったあげくハンバーグ定食に決めた。待つこと 10 分。ハンバーグ定食がやってきた。メインのハンバーグに、ご飯、味噌汁、サラダ、ごぼう、昆布が付いて 780 円。ボリュームもたっぷりだ。肝心の味は、レストランの味というよりも、気取らない家庭の味といった感じでまずまずだった。何が美味しいと思うかについては、個人差や好き嫌いがあるので、COCO が「川西で 2 番目に美味しい店」かどうかについてのコメントは差し控えることにする。

喫茶・お食事処 COCO のハンバーグ定食

喫茶・お食事処 COCO のハンバーグ定食

 どうして「2 番目に美味しいお店」という看板を掲げているのかを聞いてみたかったが、そんなことを聞けるような雰囲気ではなかった。新参者がそれを聞くのはちょっと勇気がいる。しかし、だからと言って、何度も通って常連になり、店の人と仲良くなって真実を確かめたいというほどでもない。興味はあるけど、一生謎のままでもいいことにしよう。リンゴ・スターは、「ビートルズのメンバーの中で誰がいちばん好きかのアンケートを取ったら僕は最下位だろうけど、誰が二番目に好きかのアンケートをとったら俺が一番になる自信がある」みたいなことを言ったらしい。ひょっとして、COCO の自信もそういうこと?

 蓮舫大臣の「2 位じゃダメなんでしょうか」発言についてひとこと。以前のエントリー「文化にまつわるエトセトラ」で、石田純一氏の「不倫は文化だ」発言はマスコミの歪曲だと書いたが、蓮舫大臣の発言もマスコミによって多少歪曲されている感がある。同大臣の発言を「1 位を目指す必要はない」という趣旨に理解している人が多いようだが、同人用語の基礎知識の「2位じゃダメなんでしょうか?」によると、あくまでも 1 位を取ることの意義について説明を求めることが真意だったようである。

川西関連のブログをチェックするなら >> ブログ村 川西情報
川西に関係する人たちの発信情報をチェックするなら >> かわにしタイムズ
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文化にまつわるエトセトラ

 今日 11 月 3 日は文化の日。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日として、昭和 23 年に祝日に定められたらしい。また、日本国憲法が公布された日(昭和 21 年)でもあり、昭和 22 年までは明治節(明治天皇の誕生日)という祝日だったようだ。今日 11 月 3 日は、皇居で文化勲章の授与式が行われるとのこと。こんなに由緒がある日だとは知らなかった。

 文化ということばを聞いて、私の頭に真っ先に思い浮かぶのが文化住宅と文化包丁。ほかにも頭に「文化」が付く「文化○○」はいっぱいありそうな気がする。ところが、文化放送、文化シャッター、文化服飾学院といった固有名詞は出てくるが、一般名称は前述の 2 つ以外まったく思い浮かばない。ほかにどんな「文化○○」があるのか気になったのでググッてみたところ、デイ・バイ・デイというブログを発見。このブログの「文化祭」という記事に、「文化鍋」「文化油引き」「文化皮引き」「文化チリトリ」「文化朱肉」といった「文化○○」が紹介されていた。どれも聞いたことがあるような、ないような。

 「文化○○」の由来については、「戦後、高度経済成長期にかけては『文化住宅』『文化包丁』など、当時先進的とみなされていたものに何かと『文化』を付けることが流行っていた」と Wikipedia に説明されている。そうか。「文化○○」は日本が元気だった高度成長期の産物だったのか。その時代にスマートフォンが出現していたら、「文化フォン」と呼ばれていたかもしれない。 

 上述のデイ・バイ・デイによると、「『文化住宅』はトイレや台所がそれぞれ独立した二階建てのアパート」を指し、関西特有のものらしい。ああいうアパートは全国的に文化住宅と呼ばれているのだと思っていたので、関西特有のものと知ってびっくり(文化住宅の詳細については、近畿の集合住宅としての文化住宅@Wikipediaを参照)。その他の「文化○○」がどのようなものかについては、前述の「デイ・バイ・デイ」を参照されたし。

 「文化」で連想する人物と言えば石田純一氏。マスコミによって「不倫は文化だ」と言ったことにされている。当時、ゴルフ場での同氏のインタビューをテレビで見た記憶があるが、石田さんは「芸術や文化が不倫から生まれることもある」と言ったのであり、「不倫は文化だ」などとはひとことも言っていない。この発言を私流に意訳すると、「不倫は確かによくないことだけど、不倫を題材とした小説や映画もある。不倫から芸術や文化が生まれることもあ。だから不倫を『悪』の極みたいな捉え方をするのはどうでしょうか」となる。もちろん、これは私の解釈であって同氏の真意はわからないが、これを「不倫は文化だ」と要約してしまうマスコミはあまりにも乱暴だと思う。要約するとしたら、「不倫からも文化が」あたりになるのではかなろうか。

逃げたらあかん

 私が今の携帯電話を使い始めてもう 7 年になる。この携帯電話は、周波数の変更によって来年の 7 月以降使えなくなるため、機種変更をしないといけないらしい。その通知を au から何度ももらっているのだが、いまだに機種変更の手続きをしていない。これを機会に、スマートフォンに切り替えようか、それとも今までどおりの普通の携帯を使い続けようかを決めかねていたというのも、機種変更がなかなかできなかった理由の 1 つである。

 私の携帯電話の主な利用方法は電話を受けることと、ときどきメールの送受信を行うことぐらいである。常時自宅にいるため、携帯から Web に接続して何かを確認したり、チェックしたりする必要はほとんどない。だから、スマートフォンは自分にとっては必要ないという結論にほぼ達していた。

 先日妻が普通の携帯からスマートフォンに変えた。スマートフォンに変えようとと思った動機は、自分よりも年上であろうおじさんが電車内でスマートフォンをいじっているのを見て、「スマートフォンから逃げたらあかん」と思ったことらしい。年を取ると、だんだん新しいものがめんどうになる。スマートフォンなんか必要ないと言って避けてたら、将来シニアフォン使うおばあちゃんグループになってしまう。それは嫌だと思ったと言うのだ。

 なるほど。妻の言うことには確かに一理ある。必要か必要でないかという観点だけから物事を見ていると、新しいものを使うのがめんどうになったり、新しいものに興味を持たなくなったりするかもしれない。新しいモノへの関心がなくなることは、これすなわち老化現象の 1 つと言えなくもない。

 妻がスマートフォンをいじっているのを見ていると、自分もスマートフォンにちょっと興味が出てきた。そういう意味では、関心に対する老化はまだ始まっていないのかなと、ちょっと一安心。ほぼ決まっていた機種変更の方針がまた白紙に戻った。もうちょっとだけ悩んでから、最終決定することにする。

宇宙人がやってきた

 数日前の出来事。トイレに行きたくなって目が覚めた。リビングの時計を見ると 7 時 50 分。妻はすでに出かけているようだ。中途半端な時間なのであと少しだけ寝ることにする。

 どれだけ時間が経っただろうか。ずいぶん長い時間寝たような気がする。飛び起きて時計を見ると 7 時 50 分のままだった。「なんや、時計止まってたんか」。急いでほかの時計を確認してみる。9 時半だ。ちょっと寝過ぎた。急いで仕事にとりかかる。

 あとで時計の電池を取り替えようと思いながら、時計の件についてはすっかり忘れていた。夜の 11 時ごろになってそのことを思い出す。そういえば、リビングの時計はちゃんと動いている。時間も合っている。

「ひょっとして、時計の電池入れ替えて、時間合わせた?」
と妻に聞いてみる。返ってきたことばは
「そんなことしとらへん」
朝、7 時 50 分で時計が止まっていたはずなのに、時計がちゃんと動いていること、しかも時刻も合っていることを伝えると、
「寝ぼけとったんとちゃうん」
とはき捨てるように言われた。

 絶対に寝ぼけてなんかいなかった。眼鏡をかけて何度も時間を確かめた。だいたい、7 時 50 分と 9 時半を見間違えるはずがない。昼間はずっと仕事部屋にいたので、7 時 50 分で止まっていた時計がいつから正常に動作していたのか、さっぱりわからない。狐やたぬきにばかされたとは思えない。だいたい、狐やたぬきが私を化かす理由が思い当たらない。残された可能性は宇宙人しかない。結局、「これは宇宙人の仕業に違いない」という結論に達したのだが、狐やたぬきと同様、宇宙人がそんなことをする妥当な理由が思い当たらない。何か重大なメッセージを伝えたかったのだろうか。おーい、宇宙人。これは一体どういうことだ~。

気になる CM

 AC ジャパンの広告もずいぶん少なくなり、震災前の状態にほぼ戻った感がある。民間の CM も、趣向を凝らしたさまざまなものが登場している。そのような最近の CM の中で、気になるものが 3 つある。

 1 つ目はキンチョールの CM。ダウタウンのまっちゃんが、キンチョールを手に持ってバスの中でぶつぶつ言っているやつである(まっちゃんのキンチョール CM@YouTube)。金鳥の CM は昔から奇抜でおもしろいものが多かった。今回まっちゃんが出演しているバス編は、いかにもまっちゃんがコントで言いそうな台詞である。ひょっとしてまっちゃんのアイデアなんだろうか。タレントのアイデアで CM が制作されることがあるのかどうかは知らないが。

 2 つ目の気になる CM は、ブラザー・トムさんが花嫁の父親役を演じているワンハートウェディングの CM である。初めて見たとき、ブラザー・トムさんが女性みたいなしゃべり方をしていたので、「なんだこれ」と思ったのだが、結婚式当日、父親と娘の体が入れ替わってしまったという設定らしい。確か、舘ひろしさんが出演していたドラマで、このような設定のものがあった。男と女の体が入れ替わるという設定は特に目新しいものではないが(元祖は『転校生』か)、何となく気になる CM である。

 3 つ目の、そしていちばん気になっている CM は、サントリーのウーロン茶の CM。中国人女性がウーロン茶を飲みながらいろんな物を食べる CM で、さまざまなバージョンがある。その中で私が最も気になっているのが、汗をかきながら辛そうなカレーを食べるバージョンである(ホットホットガール編)。これを見ていると、彼女が食べているカレーを食べたくて仕方なくなる。すごく辛くておいしそうなのだ。これって、カレーの CM だったら大成功なんだろうけど、ウーロン茶の CM としてはどうなんでしょう?少なくとも、私はウーロン茶を飲みたくなったことは一度もない。ちなみに、演じているのは青島市出身のファン・ビンビンという女性らしい。

あなたみたいなひよっこで大丈夫なの?

 マツケンこと松山ケンイチ君と小雪さんの結婚が世間の話題になっている。私は、芸能人の結婚や離婚にはまったく興味がないので、特に感想はない。「ああ、そうですか」といった程度。私は、芸能人の○○ と○○ が夫婦であることを知って驚くことがしょっちゅうあるのだが、「なんでそんなことも知らんの?」と言って妻に叱られる。別に叱られるようなことではないと思うのだが・・・・・・。

 マツケンも小雪さんによく叱られているそうだが、どんなことで叱られてるんだろうか。そんなことを公の場で発表してしまったら、また「そういうことを言ったらダメ」と小雪さんに叱られるんじゃないかと、他人事ながら心配になったりする。

 今日書きたかったのは、マツケンが小雪さんに言われたという「あなたみたいなひよっこで大丈夫なの?」という台詞について。これって、結婚を申し込まれた人が申し込んだ人に対して言うことばだろうか。第三者が小雪さんに対して、「小雪さん、マツケンみたいなひよっこで大丈夫なの?」と言うのであればわからなくない。小雪さんの自分に対する問いかけであってもかまわない。

 だいたい、ひょっこであるマツケンで(マツケンを結婚相手に選んで)大丈夫なのかどうかは、小雪さんの問題であって、マツケンの問題ではない。だから、大丈夫かどうかをマツケンに聞くのはおかしい。実際には、「あなたみたいなひよっこで大丈夫なの」みたいな内容のことを言われたということであり、小雪さんが実際にこのとおり言ったわけではないとは思う。ちょっと細かいことを言ってみたくなったということで、私のいちゃもん戯言をお許しください。

 ところで、マツケンのデフォルトが松平健から松山ケンイチに変わったのはいつのこと?

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