チリは積もっても山にはならない
私はスーパーのレジで支払いをしようとしていた。すでに支払いを済ませたと思われる女性がレジにやってきた。
「入ると思ったけど入らんかったわ。やっぱり袋ちょうだい」
その女性はそう言って、レジの女性からビニールを袋を受け取った。しかし、彼女が買った商品の量はそれほど多くなく、持参していたマイバッグに十分入る量だと思われた。
私が普段買い物をしているスーパー(西友)では、ビニール袋が不要な客は、代金から 2 円を引いてもらえる。しかし、支払い時には「袋は要らない」と言っておいて、あとから袋を要求したとしても、店側が 2 円を返せと言うことはないだろう。この女性の行為は、そのことを見越した計画的犯行だったのではないかと思う。
こういった行為のことを確信犯と呼ぶ人がいるが、これは間違った使い方である。確信犯とは、「道徳的・宗教的または政治的信念(確信)に基づいて行われる犯罪」であり、この女性の行為は、そういった信念に基づいたものではない(はずだ)。したがって、単に計画的犯行と呼ぶのが正しい(実際には「犯行」というほど大げさな行為ではないが)。
閑話休題。西友に買い物に来る女性客の多くはマイバッグを持参している。それに対して、マイバッグを持って買い物に来る男性客はほとんど見たことがない。もちろん、私もそんなものを持参したことはない。環境保護や資源節約のためにはそうすべきなんだろうが、たった 2 円のために、わざわざそういうものを準備するのは面倒だ。それに、マイバッグを持参するという行為が、私にはどうも男らしくない行為に思えて仕方がない。たとえば、ビニール袋代として、別途 100 円請求されるのであれば、考える必要もあるだろうが、たかだか 2 円くらいなら別に支払ってもかまわないと思う。
しかし、妻などは、必要なものに対しては、たとえ高額な代金を支払ってももったいないとは思わないが、ちょとした努力で支払わなくても済むものに対しては、たとえ 1 円でも 2 円でも払うのはもったいないと言う。また、おかずを自由に取るタイプの定食屋などで、玉子焼きや冷奴や肉じゃがなどを取ろうとすると、「もったいないからやめろ」とも言う。家でいつでも簡単に作れるものに、お金を払うのはバカらしいと思うのだそうだ。せっかくだから、家では作れない手の込んだものや、作るのが面倒だったりするものを食べないともったいないというのだ。なるほど。一理ある。
何をもったいないと思うか、何を必要なものだと思うかについては、男女差や個人差があると思う。私が西友で買い物をするのは、多くても 1 カ月に 10 回程度だ。ということは、マイバッグを持参することで節約できる金額は、1 カ月で 20 円、1 年でもせいぜい 240 円程度である。喫茶店でコーヒーを飲むのを 1 回やめれば節約できる金額だ。チリが積もっても山になることは絶対にない。お金を払ってももったいなくない必要なものと妻が言うものの中には、どう考えても必要だとは思えないものが多々ある。こういった大きな山をどうにかするほうが手っ取り早いと思うのだが、そういうことは口に出して言わないのがよろしいようである。