待ち焦がれる

 小学校の同窓会は大盛り上がりというほどではなかったが、それなりに楽しいひと時だった。今回初参加の人もいて、数十年ぶりの懐かしい再会もあった。同窓会は、いつも出席するのがおっくうになるが、結局は出席してよかったといつも思う。

 私たちの小学校の同窓会は 5 年に一度のはずだったのだが、どういう手違いからか、今回の同窓会は前回の開催から 4 年しか経っていないことが判明した。このまま、4 年に 1 回開催していけば、ちょうど還暦イヤーにも開催することになるので、引き続き 4 年毎、つまりオリンピックイヤーに同窓会をやっていこうということに決まった。

 次の次の回には、自分たちはもう還暦になるのか。ひょえ~。恐ろしや恐ろしや。年を取るごとに年々時間が経つのが速くなるので、8 年なんてあっという間に過ぎるに違いない。

 年を取ると時間が過ぎるのが速く感じるのは、だんだん新しい経験が少なくなるからだという人がいる。確かにそのとおりだと思う。子どものころは、すべてが初めての体験なので、時間が長く感じるんだろう。しかし、年々時間が速く経つと感じるようになるのには、もう 1 つ理由があることを最近発見した。それは、おとなになると、待ち焦がれることが少なくなるからである。

 運動会、遠足、クリスマス、紅白歌合戦、お正月など、子どものころは待ち焦がれれていることがいっぱいあった。特に正月などは、『お正月』の歌詞のとおり、あといくつ寝るとお正月になるのか指折り数えて待ったものだ。

 大人になった今でも、先のことを楽しみにして、待ち遠しいと思うことはある。しかし、子どものときのように、まだかまだかと何かを待ち焦がれることはなくなった。指折り数えて何かを待っているときは時間が経つのが遅く感じる。速く時間が経ってほしいという気持ちが強いからだ。

 ということは、今でも常に何かを待ち焦がれていれば、きっと時間がゆっくり過ぎるはずだ。待ち焦がれる気持ちはそんなには長続きしないので、あまり長期的なものではなく、数週間から数カ月単位で、常に何かを待ち焦がれるようにすれいい。そうすれば、子どものころにように、長くて濃い時間を過ごすことができる。

 この待ち焦がれるの法則はなかなかの発見だったと思うのだが、問題はそこまで待ち焦がれることができる対象が、現在の自分にはないということである。こういうことは無理やり作ることではない。結局は、日々何かに懸命に取り組み、その結果が待ち遠しくなるような生活をしないといけないということか。

 正月モードも今日で終わり。明日からまた日常が始まる。「待ち焦がれることを 1 つでも多く作る」をテーマに、今年も 1 年がんばるぞと思った 1 月 3 日の夜でした。






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