[ことば] カテゴリー

ことばに関するさまざまな雑談


日本は初老国家

 「初老」といったら何歳くらいをイメージするだろうか。「60 歳くらいだ」と言ったら、60 代の人に叱られるかもしれない。今の 60 代は皆元気でとっても若いから。

 昨日、ある本を読んでいたら、「『初老』とは 『40 才のこと』である」という記述があった。「えっ、うそだろ」。念のために広辞苑で「初老」を引いてみたら、以下のようになっていた。

(1) 老境に入りかけた年ごろ。「―の紳士」
(2) 四〇歳の異称。

 また、Wikipedia では以下のように記述されている。

初老(しょろう)とは、人の一生で、老化を意識し始めるとされる年代である。かつて男性の大厄である数え年42歳(満40歳)に「初老の賀」で祝ったことから、40歳の異称とされる。しかし高齢者の多くなった現代では、還暦である60歳くらいを指すことも多い。中年、熟年と年代的に重なるといえる。

 昨日読んだ本の記述は本当だった。初老が 40 歳だなんて、そんなこと知らなかった。初老が 40 歳の異称ということは、「君いくつになった」と聞かれて、「来年、初老になります」みたいな使い方をしていたということだ。かつて、日本人の平均寿命は 50 歳くらいだったらしいから、当時 40 歳を初老と呼んでいたとしても何の不思議もないが。

 ちなみに、現在の日本国民の平均年齢は 43.9 才らしい。ということは日本人のおよそ半分は初老以上の年齢ということになる。そうか、日本は初老国家なのか。

 また、「日本の「イメージ年齢」51.7歳 博報堂生活総研調査」(asahi.com)によると、日本のイメージ年齢は、51.7 歳らしい。同記事からの抜粋を以下に示す。

インターネットを通じて全国の1756人(15~69歳)に対し、「人間の年齢にたとえるとしたら何歳くらい」と9カ国の印象を聞いた。

 最も若いのは中国の31.5歳で、インドやブラジルなど新興国も軒並み30代だった。高い成長を続けていることが若々しさにつながったようだ。米国、イタリアは40代で、先進国は年齢が高くみられやすい。なかでも日本は唯一の50代だった。

日本はこのまま沈んで行くというイメージなのか。おーい日本、がんばれ! 

ところ変われば呼び名も変わる

「『広島風のお好み焼き』だとか、『広島焼き』だとか、そういうものは広島にはないですよ。広島人が普段食べているのは何の形容詞も付かないただの『お好み焼き』です」
広島出身の人の前で「広島風のお好み焼き」と言ったら、こんなことばが返ってきた。

「広島風のお好み焼き」と言われて広島出身者がむっとする気持ちは十分理解できる。だいたい「~風」という言い方は、本家や元祖でなないことを意味している。たとえば、中国で寿司が大流行し、寿司が元来日本のものであることを知らない中国人に「日本風の寿司」と言われたら、「おいおい、こっちが本家じゃ」と言いたくなる。

逆に、大阪人や関西人が「大阪(関西)風のお好み焼き」や「混ぜ焼き」のような呼び方をされたらどう感じるんだろう。私は生粋の関西人ではないので何とも思わないが、やっぱり不快感を覚えるんだろうか。

広島のお好み焼きと大阪のお好み焼きは、作り方などが若干異なるので、厳密に言うと別の食べ物と考えるべきなんだろう。だから、「ところ変われば呼び名も変わる」ではなく、「ところ変われば物が変わる」というのが正しいのかもしれない。

私が大阪に来たばかりのころ、JR 京橋駅のホームの立ち食いそば・うどん屋での出来事。
「たぬきうどんちょうだい」
私は自分の注文を伝えた。
「たぬきはそば。うどんならきつね。どっちや」
うどん屋のおばさんは半分怒っていた。
何が何だかよくわからない私は、「じゃあきつねうどん」と言い直した。

大阪では、あげをうどんに入れたものがきつねうどん。そばに入れたもがたぬきそばである。だから、たぬきうどんなるものは存在しない。私が本当に食べたかったのは、天かすが入ったうどんである。私のそれまでの認識では、天かす入りのうどんが「たぬきうどん」だった。大阪ではそれを「ハイカラうどん」と呼ぶことを知ったのはそれからしばらくしてからである。

私の生涯最大の勘違いと呼んでも差し支えがないのが「きぬかづき」だ。私が子どものころ、三重県の実家ではよく「きぬかづき」という芋を食べていた。結婚して間もないころ、久しぶりに「きぬかづき」が食べたくなって、妻に「きぬかづき」を買ってきてくれと頼んだことがある。妻がスーパーで「きぬかずき」という芋が欲しいと言ったところ、「そんな芋はない。聞いたこともない」と言われたらしい。

きぬかつぎとは、サトイモの小芋を皮のまま蒸し、その皮を剥いて食べる料理のことである。料理名であって、芋の種類ではない。後日このことを母親に話して大笑いされたことがある。「きぬかづき」という呼称は関西では本当に通じないんだろうか(きぬかづきの作り方は、「超簡単!!!!!!里芋のきぬかづき♪@COOKPAD」を参照)。

「ところ変われば呼び名も変わる」の代表選手と言えば、やっぱり肉だ。ここ関西で「肉」と言えば、デフォルトで牛肉を指す。肉じゃが、肉うどんなど、肉の前に何もつかなければ牛肉のことである。これに対して、関東における肉のデフォルトは豚だ。関東でいう「肉まん」は関西では「豚まん」と呼ばれる。牛肉ではないからだ。また、関東の肉じゃがは豚肉を使うらしいが、これをそのまま関西の店で出すのなら、「豚じゃが」と表記しないと客が暴れることになる。

ところ変われば呼び名が変わるものについてはまだまだ書きたいことがあるが、長くなるので今日はこのくらいにしておく。

○○ 冥利に尽きる

「○○冥利に尽きる」と言ったとき、「○○」に入ることばとしてすぐ頭に浮かんでくるのは、「男」「女」「母親」などだ。「○○」に入る職業としてすぐに思い浮かぶのは「教師」くらしかない。そう考えると、「○○冥利に尽きる」という表現がしっくりくる職業はかなり限定されているのかもしれない。少なくとも、サラリーマンをしていたころ、私自身は「サラリーマン冥利に尽きた」と感じたことはない。

非常に難しい手術を成功させ患者やその家族から感謝される医者、すばらしい演技で人々を感動させ絶賛される俳優、大事な場面でファンの期待に応える活躍をみせた野球選手などは、この上なく「冥利に尽きた」と感じたことがあるんだろうと想像される。

この冥利ということばはよく聞くことばであるが、正確な意味を知らなかったので調べてみた。仏教から来ていることばのようだ。

冥利
〔知らず知らずの間に神仏から受ける恩恵の意〕
(一)〔それ以外のものでは決して味わうことの出来ない〕人間として最高の充足感(幸福感)。「教師―に尽きると言うべきだ/男―・女―」
(二)#〔仏教で〕よい行いの結果として受ける、現在の幸福。
(新明解国語辞典より)

私たちは普段(一)の意味で冥利を使っているが、根本的には神仏から受ける恩恵を意味するのか。そうだとすると、特殊な人じゃなくても、誰でも人間冥利に尽きることはできるってことか。

閑話休題。私の職業的な冥利について。翻訳者という仕事(産業翻訳の業界では翻訳する人のことを「翻訳家」ではなく「翻訳者」と呼びます)は、エンドクライアントや最終の読み手の反応がわかりにくい。だから冥利を感じにくい仕事である。それでも、エンドクライアントなどの反応が間接的に翻訳者に伝えられることがないわけではない。そしてその反応がすごくよいものであると、ほんの少しだけ「翻訳者冥利」を感じることもある。誉めてもらえる機会なんてほとんどないけれど、これからもっと大きな冥利を感じられるように日々是精進。

今年もあとわずか。3 月 22 日に「景気は上向き」で、仕事が増えつつあると書いたが、その後状況は期待どおりには進展せず苦しい 1 年になった。しかし、10 月くらいからまた忙しくなり始め、最近は仕事を断らなければならないほど忙しくなってきた。まだぬか喜びはできないが、翻訳業界に限って言えば、今度こそ底を脱したと信じたい。多少厳しい 1 年ではあったが、それでも仕事がゼロになることなく、どうにかこうにか持ちこたえてこれたのは、知らず知らずの間に神仏から受けている恩恵のおかげ。だから私も十分に冥利を享受しているってことだ。感謝多謝。

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今年の漢字と創作四字熟語

昨日、清水寺で好例の「今年の漢字」が発表された。選ばれたのは「暑」だったが、これはちょっと意外な結果だった。今年の夏の猛暑だけでなく、チリ鉱山の事故や「はやぶさ」などの「暑い」も表しているとのこと。2 位以下の漢字が、「中」「不」「乱」「異」だったことを考えれば妥当かなと思える。暗い印象を与える漢字が選ばれるよりはずっといいだろう。

私個人のこの 1 年を漢字で表すなら「待」だ。景気の回復を待ち、仕事が来るのを待ち、いろんなものを待っていた年だったと思う。夏ごろまでは、待っても海路の日和はなかなかやって来なかったが、ここにきてようやく好転の兆しが見え始めた。

「今年の漢字」の 1 日前に発表されたのが、日本生命の「創作四字熟語」。こちらのほうが、世相をよく表しており、風刺もきいていておもしろいと思った。入選作品と優秀作品に選ばれた中で私が特におもしろいと思ったのは以下の 5 つ(日本生命が選んだ優秀作品は 2010 年優秀作品 10 編を参照)。( )内は本来の四字熟語。

  1. 諸牛無情(諸行無常)
  2. 戸籍騒然(古色蒼然)
  3. 三見立体(三位一体)
  4. 全人見塔(前人未到)
  5. 不眠蹴球(不眠不休)

それぞれの四字熟語が表している今年の事件や現象は、1. 諸牛無情(しょぎゅうむじょう)が口蹄疫問題、2 戸籍騒然(こせきそうぜん)が戸籍問題、3. 三見立体(さんみりったい)が 3D の映画やテレビのブーム、4. 全人見塔(ぜんじんみとう)がスカイツリー、5. 不眠蹴球(ふみんしゅうきゅう)が サッカー W 杯を表しているらしい。

あっという間に過ぎていった 1 年だったが、こうやって見てみるとずいぶんいろんなことがあったんだなあと思う。W 杯で日本中が熱くなったのは、ずいぶん昔のことのようにも思える。関西に住んでいると、スカイツリーはあまりピンとこないが、全ての人が見る塔と書いて「全人見塔」はうまい!

今年もあとわずか。「終わりよければすべてよし」にしたいものである。


「着心地は?」と聞かれたら

「○○心地はどうですか」と聞かれたら、普通は「いい」とか「悪い」とか「まずまず」とか答える。「ある」とか「ない」とか「ゼロ」とか答える人はいないだろう。

先日テレビを見ていたら気になる CM が流れていた。ユニクロの男性用下着「シルキードライ」の CM だ。決して商品が気になったわけではない。この商品の「着心地ゼロ」というコピーが気になったのだ。着ていることを忘れるほどの下着であることを伝えたいらしい。

着ている感じがしないことを言いたいのであれば、「着心地ゼロ」じゃなくて「着用感ゼロ」とか「装着感ゼロ」とか言うべきではないのか。ちなみに、「着心地」は広辞苑では、「着物を着た時の体になじむ感じ」と定義されている。そうだとすると、「着心地ゼロ」は「体になじむ感じがゼロ」ということになり、心地よさがまったくないこと、つまり最悪であることを意味することになる。

私は昔コンタクトレンズを着用していたことがある。最初はハードレンズを着用していたのだが、レンズの着け心地は最悪で、ものすごく着用感(装着感)があった。こんなに異物感があるものを常時着用するのは無理だと思って、ソフトレンズに変えてみたところ、着け心地はかなりよく、着用(装着)感もほとんどゼロに近かったので、ソフトレンズに乗り換えた。

ひょっとしたら、大多数の人は「着心地ゼロ」に違和感を覚ないのかもしれない。大多数の人がおかしいと思わなければ、それは正しいことばということになる。こんな些細なことが気になるのは一種の職業病なんだろうか。

最後に最近長年の疑問が解消されてすっきりした話を 1 つ。以前から、「踏んだり蹴ったり」はなぜ「踏まれたり蹴られたり」と言わないんだろうと思っていたのだが、先日あるテレビ番組でこのことが取り上げられていた。「踏んだり蹴ったり」は、本来は加害者側の視点から、「踏んだり蹴ったりの目にあわせる」という使い方をしていたものが、だんだん簡略化して「踏んだり蹴ったり」を単独で使うようになったのだそうだ。なるほど納得。

「メリ」の時間と「ハリ」の時間

がんばるべき時にはしっかりがんばり、休むべき時にはしっかり休む。物事の強弱などをはっきりさせることをメリハリを付けると言うが、どっちが「メリ」で、どっちが「ハリ」なんだろうか?ふとこんな疑問が沸いてきたので調べてみた。

「メリハリ」は「減り張り」と書き、語源は邦楽用語の「メリカリ」らしい(低い音がメリ(減り)、高い音がカリ(上がり・甲)とのこと)。字からも推測できるように、メリが緩めること、ハリが張ることである。

以前の私は、仕事を午前の部、午後の部、夜の部の 3 回に分けてやっていたのだが、何となくだらだらと 1 日中仕事をしているような感じがしていた。寝る前に仕事をすると、気持の高ぶりを静めるのに時間がかかるため、寝つきも悪くなる。そこで、メリハリを付けるために、ここ数年は原則として昼間のうちに仕事を終わらせ、夜はなるべく仕事をしないようにしている。つまり、昼間を「ハリ」の時間、夜を「メリ」の時間にしている。

最近の私の「メリ」の時間の最大の楽しみは野球中継。野球の時間に合わせてスケジュールを組んでいるといっても過言ではない。ところが、楽しみで見ているはずなのに、応援しているチームがピンチになると怖くて画面を凝視できない。エラーをすると腹が立ってカッカする。サヨナラ負けでもしようものなら、しばらくは気分が悪い。チャンスになればなったで、祈るような気持ちになる。「娯楽なんやからもっと気楽に見たら」と言う妻に、「おれは普通の人みたいに遊びで見てるんやない」などと意味不明なことばを返してしまう。「メリ」の時間を楽しんでいるはずなのに、こんなにテンションを上げていたら「メリ」にはならない。

私にとって、「メリ」の時間の最大の敵は野球中継。そして目下のところ、「ハリ」の時間の最大の敵はツイッター。ついつい気になってタイムラインを見てしまう。結局のところメリハリを付けられていないのか。メリハリを付けるのって本当に難しい。

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「よろしかったでしょうか」は消えつつある?

ファミレスやコンビニで使われる変な日本語(敬語)として、「よろしかったでしょうか」「~ほうが ~ になります」「○○ 円からお預かりします」などが問題視されるようになってずいぶんになる。

私も、ファミレスやコンビニで使われるこのような変なマニュアル敬語が嫌いで、「~ してよろしかったでしょうか」という言い方に気持ち悪さを感じていた。なぜ、このフレーズが気持ち悪いのかはよくわからなかったのだが、『そんな言い方ないだろう』(新潮新書、梶原しげる著)を読んで、ようやくその理由がわかった。この本では、「よろしいでしょうか」と「よろしかったでしょうか」の違いについて、次のように説明してる。

「よろしいでしょうか」という問いかけには、客に判断を求める謙虚さが残っています。「よろしかったでしょうか」ではすでに判断は店側が済ませてあり、客にその承認を求めるだけという傲慢さが感じられます。

なるほど、そのとおりだ。たとえば、ファストフード店でよく聞くフレーズに、「ご一緒にポテトはよろしかったでしょうか」がある。この言い方には、「普通のお客様はハンバーガーと一緒にポテトも召し上がります。お客様はハンバーガーだけのご注文ですが、本当にポテトは注文しなくていいんですよね」というニュアンスが感じられる。ひょっとすると、このように言われた客がついつい注文してしまうことを狙って、わざとこういう言い回しを考え出したのかもしれないと思ったりもするが。

ただ、同書によると、最近はこのようなマニュアル敬語に変化が見られるとのこと。ファミリーレストランのロイヤルホストでは、「こちらのほうがメニューになります」を「どうぞメニューでございます」、「1,000 円からお預かりします」を「1,000 円お預かりします」に、「チキンカレーでよろしかったでしょうか」を「チキンカレーでよろしゅうございますか」に改めさせているとのことだ。とってもいいことだと思う。

最近ロイヤルホストに行ったことがないので、自分の耳で確かめてはいないが、ロイヤルホストのこのような取り組みによって、ほぼ定着しかけていたファミレス、コンビニ、ファストフード店の変なマニュアル敬語が駆逐されることを願う。

4106101165そんな言い方ないだろう (新潮新書)
新潮社 2005-04-15

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きょうみみにっちょ - 大阪弁「ほんまもん」講座

ドラマや映画を見ていて気になるのが俳優さんのしゃべる変な関西弁。台詞や言い回しは完全でも、アクセントやイントネーションが変てこりんなため、関西弁と似て非なるものになっている。いくらドラマや映画の内容がすばらしくても、俳優さんがしゃべる関西弁が変だと、作品の魅力が半減してしまう。ときどき、関東出身のイメージがある俳優さんの関西弁がうまいなあと思うことがあるが、案の定関西出身だったりする。関西弁ネイティブかどうかがすぐにわかる台詞は、「あほなこと言わんといて」だ。これが上手にしゃべれる関西弁非ネイティブはほとんどいない。

このような現象は、関西弁に限ったことではないと思う。たとえば、ドラマなどで土佐弁を聞いても、私には上手か下手なのかはわからない。先日、阪神タイガースの中西清起コーチがラジオで、「龍馬伝」の福山 雅治氏の土佐弁はあまりうまくないと言っていたのを聞いて、へえーと思った。私たちが何とも思わず見ているドラマや映画でも、その地域の人にとってはものすごい違和感があるんだろうなあ。

突っ込みどころ満載なのが、竹内 力氏が銀ちゃんこと万田銀次郎を演じる「難波金融伝・ミナミの帝王」。「○○(人名)はん」「~でおま」「ほうでっか」「~でっしゃろ」「~まっしゃろ」など、実際には(特に若者の間では)ほとんど使われていない大阪弁のオンパレードである。関西に住んで 25 年になるが、生身の人間がこのような大阪弁をしゃべっているのを聞いたことはほとんどない。大阪らしさを強調するために、わざとこういう大阪弁を使っているのだと思うが、ここまでやると一種のギャグである(突っ込みどころ満載で、それはそれでおもしろいのだが)。

『大阪弁「ほんまもん」講座』(礼埜和男著、新潮新書)では、ドラマや芸人などによって間違ったイメージが定着してしまった大阪弁を紹介し、本物の大阪弁について解説している。「にせもん」の大阪弁として、「もうかりまっか」や「がめつい」などが取り上げられており、へえーと思うことが多かった。

この本によると、人名のあとにつける「はん」にも法則があるとのこと。ア段、エ段、オ段で終わる場合に「はん」を付け、イ段、ウ段、「ン」で終わる場合は、「さん」のままだという。この法則によると、「万田はん」や「常盤はん」などは正しいが、「青木」の場合は「青木さん」としないといけない。京阪電車の CM でおなじみの「おけいはん」も本来なら「おけいさん」が正しいとのこと。また、「シ」「ス」「チ」「ツ」で終わる場合は、「やまぐっつぁん」(山口っつぁん)や「たつよっさん」(辰吉っさん)のように促音化するという法則もあるらしい。

「ほんまもん」編で取り上げられていておもしろいと思ったのが「今日耳日曜(きょうみみにっちょ)」。「聞きたくありません」という意思を角がたたないようにやんわりと伝える表現である。「嫌です」とはっきり言わずに、「今日耳日曜」と言って逃げられたら、まあ「しゃーないか」と思ってしまう。

4106101602大阪弁「ほんまもん」講座 (新潮新書)
新潮社 2006-03

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サラリーマン川柳

第一生命保険から、『サラリーマン川柳コンクール』の優秀作 100 選が発表された。選出された 100 句は、私が選ぶサラ川ベスト10 で確認できる。

さすがベスト 100 だけあって、どれもうまいこと言うなあという感じがする。私が特に気に入ったのは次の 5 句。

No.3: 体脂肪 燃やして発電 出来ないか
激しく同意。運動をやめてから、体重が増えたような気がする。いや、確実に増えた。せめてウォーキングくらいしないとなあ。

No.27: 許される 仏は三度 妻一度
そのとおり!仏様は慈悲深い。

No.30: 買えなけりゃ エコポイントは 貯められぬ
そうなんだよなあ。まだ使える物を無理して買い換える必要もないし・・・。

No.50: 同窓会 お前幾つと 聞く友よ
これわかる。私も、同級生に「いくつになった」と聞きそうになったことがある。

No.96: 「離さない!」 10年経つと 話さない
なんだか、綾小路 きみまろっぽい。

さて、ベスト 10 に選ばれるのはどの句でしょうか。

アボカドと建国記念の日

森のバターと言われる「アボド」を「アボド」だと思っている人はけっこう多いみたいだ。Google で「アボガド」を検索すると 360 万件もヒットする(「アボカド」は 735 万件)。私も最初は「アボガド」だと思っていた。「アボカド」って言いにくいし、「アボガド」のほうが発音しやすいこともあって、間違える人が多いのもうなずける。

今日 2 月 11 日は建国記念「」日。これも建国記念日と言う人が多いが、正しくは「記念」と「日」の間に「の」がいる。憲法記念日や終戦記念日には間に「の」が入らないから、これも間違える人がいて当然だと思う。

ところで、2 月 11 日は「万歳三唱の日」でもあるらしい。「2月11日は万歳三唱の日」によると、「万歳」という習慣は、自然発生的にできたものではなく、天皇への祝意を表すものとして明治政府がつくりだしたものとのこと。へえ~、知らなかった。

閑話休題。このほか間違えやすい名称には秋田犬や松阪牛がある。それぞれ、正式名称は「あきたけん」ではなく「あきたいぬ」、「まつさかぎゅう」ではなく「まつさかうし」である。あと最近知って驚いたのが、オーディオ製品メーカーの Onkyo。正しいカタカナ表記は「オンキー」ではなく「オンキー」らしい(小さい「ョ」ではなく、大きい「ヨ」)。

そんな細かいことどうでもいいじゃないかと言う人がいるかもしれないが、私は昔からこういう名称や呼称に関する細かいことが気になって仕方がない人間だった。もちろん、こういうことに無頓着な人を責めるつもりはないが、少なくとも翻訳者には向いていないと思う。だからどうだということはないが・・・。

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参考・参照サイト:


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