まだまだ生まれたくない
(この質問の意味についてはのちほど)
生前ということばがある。「生前はお世話になりました」などと使う。よく考えてみると妙なことばである。生前とは文字どおり解釈すると、生まれる前という意味になる。「生きていたとき」という意味で使いたいなら、死前、存命中、生存中などと言わないといけない。
どうして生前というのか。気になったので調べてみたところ、仏教由来の表現であることが判明した。「死ぬ」を意味する表現に「往生」ということばがある。「往生」は広辞苑では、次のように定義されている。
往生
[仏] この世を去って他の世界に生れかわること。特に、極楽浄土に生れること。
つまり、生前とは極楽浄土に生まれる前という意味のようだ。そうか。私たちはまだ生まれていなかったんだ。知らなかった。
人間はいつか必ず死ぬ。大金持ちでも、権力者でもこれを避けることはできない。また、科学がどれだけ進歩しても、不老不死を手に入れることはできない。私が初めて、人は死ぬということを認識し、そのことについて考えたのは 10 歳くらいのときだったと思う。死ぬとどうなるんだろう。天国って本当にあるんだろうか。そんなことをずっと考えていた時期があった。
50 歳にもなると、心筋梗塞などで亡くなる同級生も出てくる。これまで生きてきた時間よりも、残っている時間のほうがはるかに短いんだと思うと、ちょっとあせりのようなものも感じる。10 歳のころに抱いてた死に対するぼんやりとした不安とは少し異なる不安のようなものを感じるようになった今日この頃である。
動物の中で、自分がいずれ死ぬことを知っているのは人間だけである。「この世を去ったら極楽浄土に生まれ変わる」と考え、この世に生きていたときのことを「生前」と呼ぶようになったことは至極当然なことだ。でも極楽浄土ってどんなところなんだろう。文字どおり楽の極みだとしたら、そんなところに住んでいる人たちは堕落しているに違いない、などと要らぬ心配をしてみたくなる。
冒頭の質問に対する答は、死に対する自分の考え方を表しているそうである。私の答えは、「どこかに切れ目がないか、壁に沿って歩いてみる」だった。こういうのを往生際が悪いというんだろうな。しかし、「余命○○日です」という死の宣告を受けて、「ああそうですか」と平然と受け入れるなんてことは、いくつになってもできそうにない。
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