ありがとうの反対語
私は普段ラジオを聴きながら仕事をしている。以前は BGM 代わりに FM ラジオをつけていたのだが、最近はもっぱら AM 放送を聴いている。誰ともしゃべることなくずっと PC に向かっていると、音楽よりも人の話し声を聞いていたくなる。
先日 MBS ラジオを聴いていると、いつもの番組にあるゲストが来て、こんな問いかけをした。
「ありがとうの反対語ってなんだと思いますか」
私も一緒になって考えてみた。ありがとうの反対語って何だろう。番組のパーソナリティも誰一人として正解がわからない。しばらくして、質問の答えが発表された。
「ありがとうの反対語は、当たり前です」
なるほど。「ありがとう」は「有り難い」っていう意味だから、その反対は「当たり前」か。言語学的にもそのとおりだ。
言語学的な観点からだけでなく、「有り難い」と「当たり前」について少し考えてみた。私たちは今の自分の生活をついつい当たり前だと考えてしまう。目が見えて当たり前。耳が聞こえて当たり前。仕事があって当たり前。言論の自由があって当たり前。毎日にご飯が食べられて当たり前。生きていて当たり前。日々数々の当たり前に囲まれて生活していると思っている。
しかし、地球上には、食べるものがなくて餓死している人々がいる。言論の自由が保障されていない国もある。戦争の恐怖におびえながら暮らしている人たちもいる。子どもたちがまともに学校に行けない国もある。日本が今のような国になったのも、歴史的に見ればつい最近のことである。今なら簡単に治る病気で簡単に死んでいった人たちがいた。職業を自由に選べない時代もあった。若者が神風特攻隊として命を国に捧げることを強要された時代もあった。
こういうことを冷静に考えてみると、今の時代にこの日本という国に生まれ、生きていることは、とっても「有り難い」ことなのである。
昨日、いつものようにラジオを聴いていたら、懐かしい曲が流れた。1979 年にヒットした、ばんばひろふみの『SACHIKO』という曲だ。
幸せを数えたら片手にさえ余る
不幸せ数えたら両手でも足りない
(中略)
SACHIKO 思い通りに
SACHIKO 生きてごらん
(後略)
SACHIKO ばんばひろふみ 歌詞情報 - goo 音楽より
気が付いたら、サビの「SACHIKO 思い通りに SACHIKO 生きてごらん」の部分を一緒になって歌っていた。SACHIKO には、いったいどんな辛いことがあったんでしょう。
今日もラジオをつけて仕事を開始。ABC ラジオでは、さっきからチョコレートの効用について説明している。そうか、今日はバレンタインデーか。チョコレートはもらえなくても、毎日仕事があって「ありがたや」。そして、毎日楽しいおしゃべりを聞かせてくれるラジオの人たちも「ありがたや」。
comments