美人○○ とイケメン○○
「美人すぎる市議」と呼ばれている藤川優里氏 (31) が、青森県八戸市議に再選されたようである。けちを付けるわけではないが、藤川優里氏は決して美人「すぎる」ことはないと思う。美人であることは否定しないが。
マスコミが「美人○○」とか「イケメン○○」という表現を使い始めたのはいつごろからだろうか。今ではすっかり聞き慣れてしまい、本来の意味が薄れつつある。最近では、本当に美人だったりイケメンだったりするケースは少なく、「これのどこか美人(イケメン)なんだ?」と首をかしげることも多い。
ところでイケメンというのは何の略だろうか。私はずっと「いけてる面(顔)」だと思っていたのだが、Wikipedia によると、「『イケてる』+『面』または『イケてる』+ 英語『men』の意味」とのことである。イケてる men という意味もあるのであれば、必ずしも美男子である必要はないのか。
閑話休題。最近では、美人○○やイケメン○○が、本当は美人やイケメンではないことは誰もが知っている。これは、単に性別を区別するためのまくらことばのようなもので、「女性教師」と書く代わりに「美人教師」と書いているに過ぎない。だから、本当に美人であることを強調するために、「美人すぎる」という表現が必要になったんだろう。
こういうことが浸透してくると、美人とかイケメンとかいうことばの価値がどんどん落ちてくる(もともと「イケメン」にはそれほど価値がないか)。「美人」が「女性」を表し、「美人すぎる」が「美人」を表すとすれば、「本当に美人すぎる」はどう表現するのだろうか。そもそも、美人に「過ぎる」ということがあるんだろうか。「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、「美人過ぎる人」は本当は魅力的ではないのかもしれない。美人もイケメンもそこそこがいい。非のつけどころがない美人よりも、ちょこっと欠点がある顔のほうが私は好きだったりする。