燃えるごみ、それとも燃やすごみ?
どこの自治体でもそうだと思うが、ここ数年ごみの分別が細分化されている。当然わが家でも、市の定めた規則に基づいて、ビン、缶、ペットボトルなど、細かく分別して指定の日にごみを出している。ごみの分別と言えば、まず思い浮かぶのが「燃えるごみ」と「燃えないごみ」という分類だ。
ところが先日、私のこの認識が覆される出来事があった。散歩をしていて、ごみの分類一覧のようなものを目にして驚いたのだ。「燃えるごみ」と「燃えないごみ」ではなく、「燃やすごみ」と「燃やさないごみ」に分類されているではないか。いつからこんな表現に変わったんだろう。それとも、全国的には今でも「燃えるごみ」と「燃えないごみ」で、こんな表現を使っているのは川西市だけなのか。
「燃やす」とか「燃やさない」は市の視点で分類したものであり、市民の視点からではない。ごみを「燃やす」か「燃やさない」かは市民が決めることではなく、市が定めることである。つまり、ごみが物質的に「燃える」か「燃えない」かではなく、市が「燃やす」処理をするかどうかを決めているということを鑑みた表現なのかもしれない。論理的には正しい表現なのかもしれないが、私的にはどうも違和感がある。ほかの地域ではどうなんでしょうか。燃えるごみ、それとも燃やすごみ?
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