[TV/映画] カテゴリー

テレビ番組(ドラマ)や映画に関する雑談


足子先生があまりにも切ない

 テレビ東京系列で放送しているドラマ『鈴木先生』。昨晩の放送もいつもどおり微妙におもしろかった。生徒からの人気がナンバーワンで、校長先生からの評価も高く、プライベートも充実している鈴木先生。そんな鈴木先生を見て、富田靖子さんが演じる足子(たるこ)先生は激しく嫉妬する。熱心に仕事をし、どんなこともきっちりやっている自分よりも、奇妙な方法で生徒を指導している鈴木先生のほうが人気も評価も高いことがおもしろくないのだ。

 足子先生の気持ちはよくわかる。自分より明らかにレベルが上の人が評価されたり人気があったりする場合は、素直にその人を認められる。しかし、自分よりレベルが低いと思っている人が、自分よりも高く評価されるのは許せない、納得できない、我慢できない。こういう嫉妬心は、誰の心の中にも大なり小なりある。

 以前ある人が、「同僚や仕事仲間に対する嫉妬心は、女性どうしよりも男性どうしのほうがはるかに強い」と言っていた。そのとおりかもしれない。男の嫉妬心のほうが、女の嫉妬心よりもたちが悪いのかも。女になったことがないので、本当のところは、男と女のどちらのほうが嫉妬心が強いのかはよくわからないが。

 富田靖子さんと言えば、デビュー作は『アイコ十六歳』。可憐な少女を演じていた。私が強烈に印象に残っているのは、『あ・うん』で演じたさと子。清純でかわいらしい娘さんを上手に演じていた。そんな富田靖子さんが、こういう役を演じているのを見ると隔世の感を感じてしまう。

 嫉妬心が高じた足子先生は、ある日鈴木先生に「おまえなんか死んじまえ」と言ってしまう。そのあと、鈴木先生を失脚させられそうな事実が判明し、にやりと笑う。足子先生はこのまま壊れてしまうのか。ドラマ『鈴木先生』の足子先生を見ていると、いろんな意味で切なくなってしまう。そもそも、足子(たるこ)という名前が切な過ぎる。

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ドラマ『鈴木先生』は微妙におもしろい

 月曜の 22:00 にテレビ東京系列で放送しているドラマ『鈴木先生』を見ていると
「これって、若い子が見るようなドラマと違うの?こんなん見てておもしろい?」
と妻が言う。
「うん。そんな感じもするんやけど、そうでもないんよ。もう見るのやめようかなと思んやけど、微妙におもしろいから、やめられへん」
と私。

 『鈴木先生』は、微妙におもしろい困ったドラマなのである。よくある熱血先生を描いた学園ドラマとはちょっと違う。全体的には暗くて重い感じがするけど、辛気臭くはない。画面もずっとセピア色で映画風の演出である。ときどき、変な方向にストーリーが展開していって、もう見るのをやめようかなと思うのだが、ぎりぎりのところでとどまって、最後にはまた来週も見たいと思わせる。見るか見ないかを決める境界ラインが 60 点だとすると、このドラマは 65 点だ。合否ぎりぎりのラインよりもちょっとだけ上で、また見ようと思わせる微妙なおもしろさである。

 昨日の放送内容は、生徒の恋愛問題に絡めて、鈴木先生が生徒に人生について教えるというものだった。鈴木先生は、こんな感じのことを言っていた。

 恋愛において、人はどんな価値観を持っていてもかまわない。いろんな価値観が許されている。しかし、許されているということは、それが正しいということではない。自分の価値観だけが正しくて、それ以外の価値観は間違っていると考えてはいけない。それを知ることが大切なのだ。自分の価値観と異なる価値観を許さない人間になってはいけない。

 鈴木先生はなかなか深いことを言う。政治家にしても、評論家にしても、一般の人にしても、だれもが自分の考えが正しく、ほかの人の考えが間違っていると主張している。これは、人間だけでなく、国対国についても当てはまる。許されるていることと、正しいことは別。そういう認識を皆が持てば、世界や世の中はもっとよくなるのかもしれない。

 私は、以前からテレビ東京の経済番組のファンだったけど、ドラマもちょっと風変わりでおもしろいものを作っている。ますますテレ東のファンになりそうである。

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日曜の夜は『JIN -仁-』: 幕末と現代と未来

 『JIN -仁-』 で坂本龍馬を演じている内野聖陽氏を見て妻が言う。
「福山のまねしてる」
「でも順番的にはこっちのほうが先なんやから、似てるって言うんなら、福山が内野のまねをしたことになるんと違うか」と私。

 最近の日曜日の夜の楽しみと言えば、TBS のドラマ『JIN -仁-』である。前回放送の『JIN』がすこぶる評判がよかったらしいので、今回は見てみることにした。実を言うと、前回も『JIN』は第 1 話だけ見たのだが、20 分くらい見て「辛気臭そう」と判断して見るのをやめたのである。

 『JIN』は、現代から幕末の日本にタイムスリップした医者の話である。最初の数話を見た感想は、「ずいぶん漫画チックなドラマだなあ」だった(もともと原作が漫画なんだから、それは仕方ないのか)。世の中の人がそれほどまでに絶賛する理由がわからなかったのだが、最近『JIN』の面白さが少しずつわかってきたような気がする。今後、この話が現代とどのようにつながっていくのか、楽しみになってきた。

 幕末の時代と言えば、今から 150 年前だ。当時は、脚気で多くの人が死んでいたらしい。結核も不治の病だったし、平均寿命もずいぶん短かった。そういうことを考えると、医学の発達した現代に生まれてよかったと以前は思っていたのだが、最近は果たしてそうなんだろうかと思うようになった。今から 150 年後の未来では、日本人の平均寿命は 100 歳を超えているかもしれない。200 年後の人たちは「平成の時代の人たちは、がんで簡単に死んでたらしいよ。当時は、人生 80 年だったんだって。かわいそうだね」などと言っているかもしれない。

 22 世紀や 23 世紀の人間から見れば、21 世紀初頭に生きている私たちはかわいそうなんだろうか。いや、そんなことはないと思う。そうであれば、幕末の人たちも決してかわいそうではないということになる。幼児や子どもの死亡率が高かった代わりに、また脚気で多くの人が死んでいった代わりに、高血圧、糖尿病、がん、認知症といった病気に苦しむ人は逆に少なかったはずだ。人生は、短いより長いほうがいいのだろうが、だからといって長ければ長いほど幸せだとは限らない。

 当たり前のことではあるが、それが縄文時代であったとしても、平安時代であったとしても、どの時代に生まれた人も、その時点では私たちと同様に、現代を生きていたのである。私たちも時間とともに現代人ではなくなる。最近、時間というものはひょっとしてメビウスの輪みたいになっているのはないだろうかと思うことがある。つまり、時間がどんどん進んでいくと、最終的には太古の時代に行き着き、時間をどんどんさかのぼっていくと終いには未来になるんじゃないだろうかということである。考えても決してわかることではないが。

 福山さんの龍馬と内野さんの龍馬のどっちがいいかについては、意見が分かれるところだと思うが、私は内野さんの坂本龍馬はなかなか味があっていいと思う。そして、風貌も含めて、内野さんが演じる龍馬のほうが実際の龍馬に近かったような気がする。


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高校生レストラン

「この子どこかで見たことあるんやけど、誰やったかな?」
ドラマ『高校生レストラン』で、料理が上手い左利きの高校生を演じている男の子。見たことがあるのは確かなのだが、誰なのかわからない。
「風のガーデンに出てた子やん。変な花言葉を言う男の子」
と妻が教えてくれた。

 そのとおりだ。間違いなく『風のガーデン』の男の子である。神木隆之介という名前らしい。妻は、「どこかで見たことがある顔」の正体を必ず言い当てる。もし、「どこかで見たことがある顔言い当て大会」というものがあれば、優勝するんじゃないだろうかと思うほどだ。

 楽しみにしていたドラマ『高校生レストラン』が先週の土曜日に始まった。三重県多気郡多気町に実在する三重県立相可高校「食物調理科」が運営する「まごの店」をモデルにしたドラマである。三重県人としてはやっぱり見逃すわけにはいかない。三重県を舞台にした本格的なドラマは、私が知る限りでは初めてである。

 私はドラマの内容そのものよりも、まずはことばに注目していた。もし三重県の田舎町で標準語が話されていたら、三重県人としては興ざめだからだ。しかし、近からず遠からずという感じの伊勢弁で、だいたい 70% くらいのリアル性があったと思う。ただし、女子高生がそろいもそろって自分のことを「ウチ」と言っているのを聞いて、「いまどき、そんな女子高生はおらんやろ」と突っ込まずにはいられなかったが。

 どこが舞台であろうとも、ドラマにおける方言では、「それらしさ」や雰囲気やわかりやすさが求められるのであって、100% 正しい方言を再現することはそれほど重要なことではないのだろう。ただ、Tokio の松岡昌弘氏が演じる、元銀座の一流料理人の村木信吾は多気町出身という設定なのに、ずっと標準語で通していたことが不自然で気になった。しかし、これはジャニーズルールということで大目に見ることにする。

 肝心のドラマの内容は、つかみは OK と言う感じだった。今後、相可高校の調理クラブの高校生たちが、松岡氏が演じる元銀座の一流料理人の指導の下、どういう過程で評判の高校生レストランを開店し、運営していくのか、興味津々である。料理をテーマにしたドラマや教育をテーマにしたドラマは今までもあったが、この 2 つが合体したドラマは過去にないだろう。よくある学園ものとは違う、今までにないタイプのドラマとして今後の展開が楽しみだ。妻は「海猿の伊藤英明が、こんな田舎もんの役やってなんか変」などと言っていたが、仙ちゃんはなかなかいい味を出していたと私は思った。

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味噌煮込みのこととか、ういろうのこととか

 昨晩は震災後初めての「秘密のケンミンSHOW」 が放送された。やはり、被災地の県の話題を避けたような内容になっていた。もともと、ちょっと奇妙な習慣や食べ物をおもしろおかしく紹介するというコンセプトの番組なので、被災地の県を取り上げるのはやっぱり難しいんだろう。今後どうするんだろう。番組制作者でもないのに心配になる。

 昨日の「秘密のケンミンSHOW」の目玉はうどんサミット。日本各地のうどんを、それぞれの地元のタレントが自慢するという企画だ。うどん好きの私としては、興味津々の内容だった。讃岐うどんや大阪のきつねうどんなどは食べなれた味。稲庭うどんとか水沢うどんは、ちょっと上品な高級うどんという感じで、それぞれに、それぞれのよさがある。私が、最も興味を持ったのが博多うどん。金八先生(武田 鉄矢氏)のプレゼンが上手なのか、ごぼ天入りの博多うどんを猛烈に食してみたくなった。

 最後に紹介されたのが名古屋の味噌煮込み。一般的には「味噌煮込みうどん」と呼ばれているようだが、味噌煮込みはうどんじゃないと教育された私には、これをうどんの範疇に入れることに抵抗を感じる。実を言うと、私は学生時代に名古屋のまことやという味噌煮込み専門店でアルバイトしていたことがある。名古屋で味噌煮込み屋といえば、山本屋総本家山本屋本店が有名であるが、まことやも知る人ぞ知る名店である。

 当時まことやでは、うどんと煮込みを明確に区別していた。味噌煮込み以外にも、ざるうどんや天ぷらうどんといった、いわゆる普通のうどんも扱っていたが、まことやでは生のうどんを使ったものが「煮込み」であり、長時間じっくりゆでた麺を使ったものが「うどん」だった。早い時間にうどんが売り切れてしまうこともよくあり、客には「今日はうどんは売り切れました」と言っていた。よくわかっていない客に、「うどん売り切れたって、お宅うどん屋でしょ」と言われることも多々あったが、「うちは、うどん屋じゃなくて煮込み屋です」と答えるのがまことや流だった。

 私流に解釈すれば、煮込みとうどんの関係は、ハマチとブリの関係のようなものであり、味噌煮込みは「生うどん味噌煮込み」という、うどんとは別範疇の料理なんだと思う。しかし、両山本屋でも、これを「味噌煮込みうどん」と称しているので、名古屋人の間でも、味噌煮込みはうどんであるというのが一般的な見解なのかもしれない。名古屋人ではない私には、本当のところはどちらが正しいのかよくわからないが・・・・・・。

 名古屋ついでに、ういろうの話を少しする。先日、ういろうが無性に食べたくなり、ツイッターで「しろ、くろ、抹茶、あがり、コーヒー、ゆず、さくら」とつぶやいたところ、私と同じ三重県出身の方から、「あがり」じゃなくて「あずき」であるというコメントをいただいた。そういわれれば、「あずき」というバージョンも確かにあった。私が子どものころ、三重県では「しろ、くろ、抹茶、あがり(あずき)、コーヒー、ゆず、さくら、青柳ういろう」という歌が流れる CM をしょっちゅう目にしていた。気になったので青柳ういろうのホームページをチェックしてみたところ、現在は「しろ、くろ、抹茶、上がり、さくら」の 5 種類のようである。コーヒーとゆずはいずこへ。

AC ジャパンが悪いわけではないが

 最近うっとうしいものと言えば、公共広告機構 AC ジャパンの広告。最初のうちは何とも思わなかったが、繰り返し繰り返し流されるうちに、元阪神タイガースの赤星氏の顔を見るのも嫌になった。もちろん、AC が悪いわけでも、赤星氏が悪いわけでもないのだが。

 私がいちばんうっとうしと思うのが、「心は見えないが、こころづかいは見える。思いは見えないが思いやりは見える」というやつだ。もちろん、AC の広告はどれも大切なメッセージを伝えるものであるが、何度も何度もしつこく言われると、「わかったから、もういい」と言いたくなる。親からうるさく言われる子どもは、きっとこういう気持ちになっているんだろう。

 世間の人も同じように感じていたらしく、AC ジャパンに対して、「しつこい」「不快感がある」「内容がそぐわない」というクレームが殺到したらしい(「AC大量CMに苦情殺到...脅迫電話も」を参照)。しかし、AC の広告は、各テレビ局の判断によって流しているのであって、地震が発生したことで、スポンサーの多くが CM を自粛したためにこのような現象になっているらしい。したがって、AC ジャパンを責めるのはおかど違いである。

 事情はよくわかった。AC の広告をゼロにしろとまでは言わない。しかし、広告枠に何かを流さないといけないのであれば、心が和むようなきれいな風景とクラシック音楽でも流してくれないかなと思う。おしつけがましいメッセージを聞かされるよりずっといい。

 しかし、最もいいのは、スポンサーが自粛せずに普通の CM を流してくれることだ。今、商業メッセージを流すことはそんなに不謹慎なことなんだろうか?企業イメージがそんなに悪くなるんだろうか。経済活動が落ち込んでいる今だからこそ、人々の購買意欲や消費意欲をそそるような CM をがんがんやってくれたほうがいいと思う。そんな中で、普通に CM を流してくれるすき家はえらい。近いうちの牛丼を食べに行かないと。

 今日あたりから、普通の CM も少しだけ増えたような気もする。そうやって、少しずつつ普通の CM が増えていって、その比率が逆転し、世の中も少しずつ日常に戻っていくんでしょうね。

ゼロの焦点

 昨夜は、これといっておもしろいい番組をやっていなかったので、録画しておいた『ゼロの焦点』を見ることにした。松本清張生誕100年を記念して、2009 年に制作された作品らしい。主演は広末涼子。

「ゼロ焦でも見ようかな」と言うと、「ゼロ焦って何?」と妻が聞く。
「松本清張の『ゼロの焦点』。この前やってたやつ」
「それっておもしろいん?どんな話?」
「松本清張の代表作やで。詳しくは覚えてないけど、兵庫県の西脇市が出てくる話やと思う。おもしろいと思うで」

『ゼロの焦点』は中学生のときに読んだことがある。当時、松本清張の一連の作品を夢中になって読んだ記憶はあるが、個々の作品のあらすじまでは覚えていない。ストーリーが進行するうちに、「そうそう、こんな感じの話やった」と部分的に記憶がよみがえってきた。しかし、物語の舞台の中心は金沢であり、いつになっても西脇市が出てこない。当時中学生だった私は、『ゼロの焦点』を読んで、日本のへそと言われる西脇市の存在を知ったのだ。

「おかしいなあ。いつ西脇が出てくるんやろ」
「せやけど、どう考えても西脇が出てくる展開やないで」
妻の言うとおり、西脇市が出てきそうなストーリー展開ではなかった。

 途中から寝てしまった妻がむくっと起き上がり、「だれが犯人やった」と聞くので、物語の核となる部分を説明してやった。しかし、映画がおもしろかったとか、おもしろくなかったというよりも、私は西脇のことが気になって仕方がない。最後まで西脇は登場しなかったのだ。

「これなあ、原作からかなり話変えてるんと違うかな。原作長すぎるから、西脇の部分省いたんやで。絶対そうや」

 気になることは解明しないと気がすまない私は、早速「ゼロの焦点」と「西脇」をキーワードにググってみた。それらしきものがヒットしないので、今度は「松本清張」と「西脇」をキーワードにしてみた。

 ようやく謎が解けた。西脇市が登場する松本清張の作品は『D の複合』だった。何という思い違い。思い込みいけない。よく考えるよろし。 

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名古屋テバサキと『奇跡』

 テレビ大阪の「きらきらアフロ」に、名古屋テバサキというお笑いコンビが出演している。アメリカ人の夫と日本人の妻という異色の夫婦コンビである。

 アメリカ人と日本人のお笑いコンビというだけでも珍しいのだが、それ以上にボケ担当の夫ジョシュア・マクマリーがかなり妙なやつなのである。マクマリーが普通のお笑い芸人と違うところは、現役の弁護士だということだ。「お笑いだけで食べられるなら、本当は弁護士なんかやりたくない」と言う。もちろん、お笑い芸人よりも弁護士のほうが上等な職業などというつもりはないが、日本で弁護士といえば、かなり社会的に地位が高い職業である。

 ただ、アメリカでは「石を投げれば弁護士に当たる」と言われるくらい弁護士の数が多いらしいので、アメリカでは、弁護士は日本ほどエリートではないのかもしれない。また、資格を得るのも日本ほど難しくなかったりするのかも。そうだとすれば、「せっかく弁護士の資格を持っているのに・・・」という発想のほうがおかしいのかもしれないが。

 それで、この妙なアメリカ人は、風貌に似合わず(?)さだまさしの大ファンなのである。いちばん好きなのが『奇跡 大きな愛のように』という曲らしく、番組内でも何度か歌っている。

僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを想う心なら 神様に負けない

さだまさしさん『奇跡』の歌詞@うたまっぷより

 マクマリーがいつも歌うのはこの一節だ。相方の妻サチコに対して歌ったことがあるらしい。ただし、お世辞にも上手とは言えない。妻は、「すっごい下手くそ。それに、アメリカ人のくせに全然カッコっよくないし」などと言ってけなす。しかし、私は、マクマリーの『奇跡』を何度か聴いているうちに、本当の曲を聴いてみたいと思うようになった。今日ウォーキングをしているときにそんなことを思い出して、TSUTAYA に立ち寄った。久しぶりにほかの曲も聴きたかったので、「さだまさしベスト」と「さだまさしシングルス全集 第 7 巻」を借りた。

 帰宅して、借りてきた CD を聴く。さださんが歌う本当の『奇跡』は、やはりマクマリーの『奇跡』よりもずっとよかった。久しぶりのさだまさしワールド。『無縁坂』も心に浸みた。

 ついでに、名古屋テバサキもがんばれ。応援してます。



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4 月 1 日生まれはなぜ前年度の学年に組み込まれるのか

 私は 4 月 11 日生まれである。これまで、同級生で私よりも誕生日が早かった人は、私の知る限りひとりもいなかった。当然のことだが、同級生の中でいちばん早く年を取る。若いころは何とも思わなかったが、最近はどうもおもしろくない。私は昨年の 4 月に 50 歳になったのだが、同級生の中にはまだ 49 歳の者がいる。なんだかずるいなあと思ってしまう(本当は何もずるくないが)。4 月生まれは損だ。

 そんな 4 月生まれの中に、唯一例外の日がある。4 月 1 日生まれだ。同級生にも 4 月 1 日生まれの者がいた。しかし、誰もが知っているように、4 月 1 日生まれは前年度の学年に組み込まれるので、学年の中でいちばん遅く生まれた者ということになる。学校の年度は 4 月 1 日から始まるのに、なぜこういうことになるんだろうと、ずっと不思議に思っていた。

 一昨日、『鶴瓶の超ゆる~い会議』という番組で「なぜ 4 月 2 日生まれから学年が変わるの!?」という話題を取り上げていた。その理由を知って、何度も「へえ~」とうなってしまった。ここ数年でいちばん「へえ~」と思ったと言ってもいいくらいだ。

 それは、「年齢計算ニ関スル法律」の定めにによるとのことだった。この法律によると「年齢の加算は誕生日の前日に行う」となっている。つまり、私たち日本人は、誕生日ではなくその前日(厳密に言うと、誕生日の前日の 24 時)に年をとるということになる。

 この規定に従うと、4 月 1 日生まれの人に年齢が加算されるのは 3 月 31 日である。たとえば、小学校の就学規定が、「4 月 1 日から翌年 3 月 31 日までに満 6 歳になった児童」であるとすると、学校の年度は、4 月 1 日 ~ 3 月 31 日であっても、対象となる児童は 4 月 2 日から翌年 4 月 1 日に生まれた者ということになる。なるほどねえ。

 それでは、そもそも、なぜ誕生日ではなく、誕生日の前日に年齢を加算しないといけないのか。それは、うるう年、つまり 2 月 29 日が存在するからである。「誕生日に年齢を加算する」と定めると、2 月 29 日生まれの者は、法的には 4 年に 1 歳しか年をとらないことになる。このような不都合を解消するための措置だとのこと。うまいこと考えたものだ。私の中の「なるほどメーター」の針は振れまくり。

 番組で取り上げていた話題で、もう 1 つ興味深いものがあった。それは「なぜ最近、月に行かないのか? 」だ。番組では、「月に行くには莫大な金がかかるからである」(財政的な理由)と結論付けていた。「本当は、人類はまだ月に行ってないからやろ~」と私はつぶやいた。以前から、「人類は本当は月に行っていない」という説を唱える人たちがいるが、わたしは密かにその説を支持してる者のひとりである。 

ビューティコロシアム

 わが家のテレビ番組の選択権はほぼ 100% 私にあるのだが、何があっても妻が譲ってくれない番組がある。それは、昨夜フジテレビで放送していた「ビューティコロシアム」だ。妻は、この番組を楽しみにしており、残業などで遅くなるときなどは録画してまで見ている。簡単に言うと、美容業界のプロが、自分の容姿で悩んでいる女性を美しく変身させる番組である。ダイエットの支援をすることもあるが、たいていは整形手術を伴う。

 しかし、私はこの番組があまり好きではない。番組では、まず美しくなりたいと願っている女性が、これまで容姿のことでどれだけつらい思いをしてきたかをぶちまける。しかし、この番組に出演する女性の大半は、どこでもいるようなごく普通の女性に私には見える。こういう番組に応募するくらいだから、決して美人とは呼べないが、この世のものとは思えないほどひどい容姿ではない。「普通」という範疇に入れても差支えがないと思う。

 番組では、そんな彼女たちが悩みを打ち明ける際にできるだけ不細工に見えるように、最大限の演出を行っている。ノーメークで髪の毛はぼさぼさ、服装はこれでもかというほどの小汚い格好をさせている。太り気味の人であれば、より太く見えるような服装をさせている。きれいになったときとの差が際立つように、「最初はできるだけ汚く」という演出なんだろう。テレビ番組なんだからある程度のことは仕方ないにしても、なんだかなあと思ってしまう。

 女性が悩みや過去のつらい体験をひととおり打ち明けたら、美容のプロたちとのご対面となる。そして、美容のプロの手によって美しく変身した女性が登場する。スタジオのゲストタレントは異口同音に「きれいになった」と感嘆する。

 そりゃ、メーク、ヘアーメーク、スタイリスト、美容外科といった分野の超一流のプロが、自分の威信をかけて、よってたかってひとりの女性を改良するのだから、きれいにもなるだろう。ゲストタレントたちの感嘆を聞いているとそんなことを言いたくなってしまう。

 私が気に入らないのは、たいていの女性が安易に整形をしていることである。変身後の彼女たちの顔が、私にはどうしても画一的に見えてしまう。サイボーグのような、アンドロイドのような、なんだか不自然な美人に見えて仕方がない。もちろん、整形を一切するなというつもりはない。昨日の出演者のように、あごのかみ合わせや、顔のゆがみなど、骨格に先天的な問題がある場合は、手術すればいい。ちょっと顔をいじれば、前向きに明るく生きられるのあれば、多少いじってもかまわないと思う。

 変身してきれいになった女性が再度スタジオに登場するときは、「これで前向きに生きていけます」のようなことばとともに現れる。目がはれぼったい。鼻がぺちゃんこ。あごがしゃくれている。そういうことが彼女たちの本当の問題だったのだろうか。そして、整形によって本当に問題が解決し、今は前向きに明るく生きているんだろうか。美しく変身した彼女たちのその後が気になる。

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