『博士の愛した数式』 - 文系とか理系とか
録画しておいた『博士の愛した数式』を見た。おもしろい映画だった。自然数、素数、虚数、階乗、・・・。学生の時に習ったなつかしい数学用語が次々と登場する。そして、博士がさまざまな数字の不思議や神秘を教えてくれる。この映画で初めて「完全数」と「友愛数」というものの存在を知った。
完全数とは、その数自身を除く約数の和が、その数自身と等しい自然数のことである。たとえば、博士が愛する阪神タイガースの江夏の背番号 28 が完全数である。28 の約数をすべて(28 を除く)足すと、1 + 2 + 4 + 7 + 14 = 28 となる。こんな数字いくらでもありそうなのだが、これまでにわずか 30 しか発見されていないらしい。
友愛数の説明については省略するが(友愛数@Wikipedia を参照)、理詰めのイメージがある数学の世界に、こんなロマンチックな概念があったことにちょっと驚いた。博士はいろんな数字を「美しい」と言うが、数字が美しいとかどうだとか、そんなこと考えたこともなかった。
もともと私は数学が好きだった。中学のころは得意科目だった。数学が苦手になったのは、高校に入ってからだ。正確に言うと、苦手になったというよりも、文系で行こうと決めてからは、わざと嫌いになったような気がする。
私の知人に、「文系人間の私には・・・」とか「それは理系人間の発想」といった発言がやたら多い人がいる。人間を文系と理系に明確に区別できると思っているんだろうか。
かくいう私も、学生のころからずっと自分は文系人間だと思ってきた。高校に入ってからは、文系に数学は必要ないと思ってほとんど勉強しなかった。しかし、現在私は技術系の文書を中心に翻訳の仕事をしている。文系と理系が融合したような仕事をしていることになる。サラリーマン時代も、高分子化合物とか金属に関する知識を要求される仕事をしていたことを考えると、決して文系の世界だけで生きてきたわけではない。
文系と理系に限らず、人間を分類したがる人は、他人を分類するのではなく、実は自分自身のタイプを決め付けたがる人なのではないだろうか。それって、すごくもったいないことだと思う。「自分はこういうタイプだ」と決め付けることで、可能性を狭めることになるかもしれない。だいたい人間はそう簡単に分類できるものはない。文系の人間の中にも理系的な要素があり、理系の人の中にも文系の要素がある。男の中にも女性的な部分はある。厳格な人も自堕落さを併せ持っている。
人はさまざまな要素を持っている。それが、どのような割合で組み合わさり配合されているかによって、その人の人間性や魅力が決まるんだよなあ。『博士の愛した数式』を見て、そんな当たり前のことを再認識した次第である。
ちなみに、博士の愛した数式とは、eπi + 1 = 0 だったが、これについては説明を聞いても何のことだかさっぱり意味不明。
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