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翻訳の仕事に関連する雑談


ちょうどいいを目指して

 今日で 10 月も終わり。明日から 11 月だ。ちょうどいい日差と暑くも寒くもないちょうどいい気温。ウォーキングにもってこいのちょうどいい気候だ。このちょうどいいがずっと続くといいが、「ちょうどいい」はそれほど長くは続かないものだ。

 ここ数日は、気候だけでなく仕事の分量もちょうどよかった。私にとってちょうどいい仕事量とは、1 日 5 時間程度でこなせる仕事量だ。急ぎの仕事が入ると、1 日 7 ~ 8 時間、場合によっては 10 時間くらい働かないと納期に間に合わないこともあるので、ちょうどよい状態を長期に渡って維持することはなかなかできない。午前中は 3 時間しっかり集中し、午後はお茶を飲みながらんびりゆったり 2 時間くらい仕事をするのが理想。途中でウォーキングをしたり、時には「That's 談」を書いたりできる時間も欲しい。

 1 日の労働時間が少ない代わりに完全な休日はなくてもかまわない。ワークスタイルとして、5 時間 x 週 7 日か、7 時間 x 週 5 日のどちらかを選べと言われたら、迷うことなく前者を選ぶ。ただし、本当のことを言うと、1 日 5 時間の労働では収入的にはちょうどよくはない。リーマンショック以降単価が 2 割程度下がっているので、ちょうどいい収入を確保するには、効率を 2 割アップするか労働時間を 2 割増やす必要がある。

 ここのところ、気候も仕事量もちょうどよかったのだが、ちょうどよい状態から遠ざかっていることが 1 つある。それは体重だ。身長から割り出した私のちょうどいい体重は 62 キロ。8 月の下旬に体調を崩してアルコールを控えたときに、64.2 キロまで落ちた体重が 66 キロ台に戻ってしまったのだ。ここ 1 カ月ほど忙しかったため、家にこもりっきりでほとんど運動できなかったことが原因の 1 つだと思うが、それ以外にアルコールの影響も大きいと思う。

 この前体調を崩したときに 1 週間アルコールを抜いただけで驚くほど効果があったので、断酒するのがいちばん手っ取り早いことはわかっている。「よし今日から断酒するぞ」と決意したのだが、これから鍋やおでんが美味しくなる季節が到来する。そんなときにビールが飲めないのはつまらない。何事も無理はよくない。鍋やおでんや焼きそばのときには我慢せずにビールだけは飲むことにする。ただし、ほぼ毎日飲んでいる食事後のハイボールはやめることにした。柿ピーやチーズを当てにハイボールを飲むのはどう考えてもよくない。ということで、断酒はやめて断ハイボールを実行することにした。これがちょうどいい減量対策だと信じて。

時間ができたら

無線 LAN の親機(Buffalo AirStation WHR-G301N) この 1 カ月間常時複数の仕事を抱え、おそろしく忙しかった。動作モードも、やる気モードから通常モードに切り替わり、ちょっと疲れ気味になっていたところだ。私にはよくあることだが、時間がたっぷりあるときは時間をもてあましているのに、忙しいときに限ってやりたいことがいろいろと出てくる。

 今日の正午、最後の仕事を納品して手持ちの案件がすべてなくなり、待望の「時間ができたら」状態が到来。まずは、「時間ができたらやりたいこと」リストのいちばん上に記載した項目に取りかかることにする。無線 LAN ルーターの接続・設定だ。

 わが家では、2 台の PC をスイッチングハブで接続している。しかし、この方法だと IP アドレスが 2 つ必要になるため、追加 IP アドレス代として毎月 プロバイダーに 1,000 円支払っている。無線 LAN を使えば追加の IP アドレス料金なしで複数の PC を接続できることは知っていたのだが、何となく面倒くさそうなのでほったらかしにしてきた。

 しかし、毎月 1,000 円を支払うことが急にバカらしくなり、無線 LAN ルーターの値段を調べてみたら、親機と子機がセットになっているもので 6,000 円ほど。これなら半年で元が取れるということで、時間ができたらすぐに使用できるようにと、10 日ほど前に Buffalo の Air Station(WHR-G301N)を購入しておいたのだ。

 設定は拍子抜けするほど簡単だった。ソフトウェアをインストールして、指示に従っていくだけで簡単に設定できた。こんなことなら、もっと早くに導入すればよかった。しかし、大きな勘違いをしていたことが判明。わが家のノート PC には無線 LAN の子機が内蔵されてるので、子機を買う必要はなかったのだ。がび~ん。もっとよく調べてから買えばよかった。仕方がないので、不要になった子機は古い Windows 2000 マシンで使うことにする。

 「時間ができたらやりたいこと」リストの 2 番目の項目は「断捨離」。先日『探偵!ナイトスクープ』に、急に掃除に目覚めて「断捨離」名人になったおじさんが出演していた。若いころは掃除が苦手だったのに、急にコツがわかり掃除がしたくてしたくて仕方がないという妙なおじさんだった。その人によると、物を捨てるか捨てないかの基準は、必要か必要でないかではなく、今使っているか使っていないかだという。使っていないけれど、いつか必要になると思って手元に置いておくから、物が減らないらしい。なるほどねえ。確かに、1 年間使っていないものは使わないものであり、結局は必要ないものなのかもしれない。

 断捨離を開始する前に、ちょっとコーヒーを飲んでくつろいでいると、別のやりたいことが急に浮上してきた。その思いをどうしても抑えることができずに、「時間ができたらやりたいこと」リストの「断捨離」よりも上に、「何もせずにぼんやり過ごす」という項目を書き足した。断捨離は、そのあと実行することにする。

受信トイレとウンコの力

 「空目(そらめ)」ということばを初めて知ったのは 2 年ほど前である。ツイッターで誰かが「~を~に空目」と使っていたのを見たのが最初だったと思う。「『ひまつぶし』を『ひつまぶし』に空目した」とか「『about』を『adult』に空目」のような使い方がされている。要するに A を B に読み間違えたという意味である。

 私はこれまで生きてきて、この「空目」ということばを聞いたことがことがない。だから、きっと若者ことば、もしくはネットスラングの類なんだろうと思っていた。ところが、先日ツイッターで「『受信トレイ』という文字を見るたびに、心の中で『受信トイレ』と言ってしまう」とつぶやいたところ、同年代の同業者の方から、「『トレイ』の空目率はほぼ90%以上。同じくらい空目率が高いのは、なんといっても『ウコン』」というリプライをいただいた。

 ひょっとして、「空目」は若者ことばでもネットスラングでもなく、誰もが知っている普通の日本語なんだろうか。確認のため広辞苑を引いてみる。

そら‐め【空目】
(1) 見えないのに見えたように思うこと。また、見あやまること
(2) 見て見ないふりをすること。
(3) 黒目を上にあげて見ること。うわめ。
(4) どこを見るともない、うつろな眼つき。

[広辞苑 第四版]

 むむむ。広辞苑に、しっかり「見あやまること」と定義されているではないか。こんなことばも知らなかったなんて、翻訳者失格?

 私は仕事においてもたまに空目をやらかす。原稿の文字を空目してしまうことがあるのだ。しかし、たとえば「about」を「adult」に空目したとしても、意味不明な訳文になってしまうので、空目していたことがすぐに判明する。だから、たいていの場合は大事には至らない。厄介なのは、PGL のような特に意味がない頭字語だ。長い単語の場合はコピペするのでミスをすることはないのだが、3 文字くらいの頭字語だと、コピペするより直接タイプするほうが速いので、タイプ時に空目ミスが発生する。

 たとえば、原稿に「TKG」と書かれていても、私の脳内で「TGK」に変換され、何度「TKG」を見ても「TGK」とアウトプットされてしまう。たいていの場合は途中で気付いて修正するのだが、先日このような 3 文字の頭字語を空目ミスしたまま納品してしまい、いたって恥ずかしい思いをした。あとになってみれば、どうしてこんな簡単な文字列を空目してしまったんだろうと不思議に思う。何かいい「空目」対策を考えないといけない。

 昔、升田 幸三という棋士が名人戦で勝利を目前にしながら、勘違いから悪手を指してしまい、大逆転負けを喫したことがある。そのときに升田 幸三が言ったことばが「錯覚いけない。よく見るよろし」だった。今後空目ミスをしないように、自分にも「錯覚いけない。よく見るよろし」と言い聞かせておいた。

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やる気モード

 私の動作モードは2 週間ほど前に「やる気」モードに切り替わったようである。私には、「やる気」モード、「通常」モード、「やる気なし」モードの 3 つの動作モードがあり、この 3 つのモードが周期的に切り替わる。

 「やる気」モードに切り替わると、やる気がとめどなく湧いてくる。集中力が長時間持続するので、効率もよく、長い時間仕事をしてもほとんど疲れない。くだらないテレビを見ているくらいなら、仕事をしていたほうが楽しいと思うくらいだ。このモードになっているときは、仕事の質が通常の 1 ~ 2 割増しになっていると思う。

 それでは、「やる気」モードはいいこくとずくめかというと、そんなことはない。大きな欠点が 1 つある。それは、睡眠不足になるということだ。5 時間も寝ると目が覚めてしまい、そのあと寝られない。もっとゆっくり寝ていたいと思うのだが、一度目が覚めるともうだめだ。おそらく、一種の興奮状態になっていて、交感神経が優位になっているんだろう。

 「やる気なし」モードはこれと正反対のモード。とにかく集中力が続かない。30 分も仕事をするともう嫌になるのだ。同じ仕事でも普段よりも時間がかかる。もし私がサラリーマンだったら、仕事をしているフリをして遊んでいるところだが、フリーランスの仕事はそういうわけにはいかない。とにかくやらないと仕事にならない。しかも、それなりの品質を維持しないと仕事をなくすことになるので、自分に鞭打ってやっている。いい点は、「やる気」モードの逆で、よく寝られること。ほうっておけばいくらでも寝ている。

 そういうわけで、現在やる気モードが 2 週間続いている私は、かなりの寝不足状態である。そろそろぐっすり寝たいと思っているのだが、動作モードは自分の意志で切り替えることができない。自動的に切り替わるのを待つしかない。

 「やる気」モードや「やる気なし」モードといった極端なモードはあまり長く続くといろいと弊害が出てくる。やっぱり普通がいちばん。一刻も早く、通常モードに切り替わられたし。 

旅館みたいだねえ

 震災関連の仕事を初めて受注した。復興の施策に関する文書だ。寄付とか直接的な支援といった形では大したことはできないが、自分の本来の仕事である翻訳という形で多少なりとも貢献できればと思う。今後、電力やエネルギー関係のものも含め、復興関連の仕事は大歓迎。昨日テレビ東京の『カンブリア宮殿』で取り上げられていたケニア・ナッツ・カンパニー創業者の佐藤芳之氏の生き様を見て、私も猛烈に人の役に立つことをしたくなった。

 震災関連とは別に、野球関連の仕事も受注。7 ~ 8 年前に野球ゲームの仕事を受注して以来である。自分の好きな分野に関連する仕事は楽しみながらできてよい。野球と言えば、今年も交流戦が始まって熱い戦いが繰り広げられている。楽天イーグルスは開幕時の勢いがすっかりなくなってしまった。今後に巻き返しに期待したい。

 話は変わるが、最近気が付いたら口ずさんでいる歌がある。梅の花の CM で使われている「旅館みたいだねえ」という妙な歌だ。中年の男性が「旅館みたいだねえ」と歌うと、若い女性が「旅館じゃないのよ」と歌って答える変な CM である。この CM に登場する男性と女性がどういう関係なのか気になって仕方がない。

 またまた話が変わって、おとなの塗り絵の第 2 作目が完成。今回は山梨県北杜市というところの風景だ。前回よりもよい出来のような気がする。要領がわかってきたのかもしれない。こういう風景のところをのんびり散歩してみたい(画像をクリックすると拡大表示されます)。

おとなの塗り絵(山梨県北杜市)

せいてせかん

 震災後、仕事が大幅に減るのではないかと心配していたのだが、今のところ震災前と変わらないペースで仕事が来ている。むしろ、急ぎで難しい仕事が多くなり、ここ 1 カ月ほど、ずっと「急かされてる」感があった。昨日、急ぎの案件を納品して、ちょっと一息ついたところである。仕事がなくなったり激減したりして、大変な思いをしている人がいることを考えたら、とてもありがたいことである。この先どうなるのか少し不安ではあるが。

 最近のマイブームは寝る前の読書。もっぱら田辺聖子さんのエッセイ集を読んでいる。その日の眠さの度合いに応じて、2 編から 5 編くらい、10 分から 30 分くらい読書を楽しんでいる。おせいさんのエッセイの特徴は、ところどころに関西弁や大阪弁の解説が盛り込まれていることだ。田辺さんの大阪弁講座はわかりやすくて、ためになる。

 今読んでいるのは『楽老抄 IV そのときはそのとき』。この本で紹介されていた大阪弁で、ふむふむと思ったのが「せいてせかん」ということば。聞いたことはあるが使ったことはない。大阪(関西)弁とはいっても、若い人が使うことばではない。使っても違和感がないのは、60 歳から 70 歳以上の生粋の関西人だろうか。

 「せいてせかんのやけど」とか「せいてせかん話やけど」などと言われたら、「急く」のか「急かない」のか、どっちだと思うかもしれないが、超要約してしまうと「急く」ということになるらしい。しかし、このことばの意味を正確に表そうとすると、恐ろしく説明的になるようである。

 これとよく似たことは翻訳でも経験する。1 つの英単語を正確に日本語に訳そうとすると、数行に渡る説明が必要になることがある。あまり説明的な訳文にすることもできないので、まだ日本語として定着していないカタカナ語を使ったり、意味がある程度近い日本語に置き換えたりしている。

 閑話休題。「せいてせかん」は「願わくは」という願望と相手への心くばりを込めたことばらしい。あえて標準語にするなら、「せいているようで、せいてはおりませんが、相なるべくは、せいて下さると、誠にありがたいのですが」になるとのこと。つまり、本音は「急いているのだけど、それをはっきり言ってしまうと身もふたもないので、ちょっと遠慮気味に言っているが、そこらあたりを察して、なるべく急いでくださいよ」だ。何と奥が深い言い回しだ。

 私はこの「せいてせかんのやけど」というフレーズを使ってみたくてうずうずしているのだが、たかだか関西在住 25 年の 50 歳の「若造」が使うには、ちょっと敷居が高い言い回しである。10 年後、いや 20 年後にはこのフレーズを違和感なく言える老人になりたい。しかし、そのころにはこのことばの真意を理解してくれる人がいくなっているかもしれない。いと悲し。

 この週末の予定は小さ目の仕事が 1 つ入っているだけである。願わくは、週末は少しゆっくり過ごし、また週明けから大き目の仕事に取り組みたい。もちろん「せいてせかん案件」も大歓迎だ。

 福島原発の問題は、相変わらず先が見えない。まさか事故発生時に管総理が「せいてせかんのやけど」という前置きを付けて指示を出したことが、問題が大きくなった原因じゃないでしょうね。

4087712958楽老抄(4)そのときはそのとき
田辺聖子
集英社 2009-06-05

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有給休暇と確定申告

 昨日は 3 週間ぶりの休み。正確に言うと、予定していた仕事が急に保留扱いになり、仕事がなくなってしまったのである。引き合い段階のプロジェクトが立ち消えになることはよくあることだが、一度正式に発注になった仕事が保留になることは、それほど頻繁にあることではない。翻訳会社の担当者はたいそう申し訳なさそうに私に詫びた。

「この仕事を受けるために、ほかのお仕事を断ったりはされてませんか」。
「いいえ。そんなことはないです」
「もし、すでに作業を開始されていた場合は、やったところまで料金をお支払いします」
「まだ、手を付けてなかったので、大丈夫です」

 その仕事は前日の夕方に受注したもので、まだ手を付けてなかった。ほかの仕事を断ったりもしていなかったので、実害はまったくない。そろそろ、休みたいという気持ちもあったので、それはそれでよしとしよう。こういうときは、のんびり過ごすのもよし、普段やりたいと思っていたことをやるもよし。

 そんなことを考えながら、普段見に行くインターネットのサイトを巡回していると、その翻訳会社からのメールを受信。該当案件が 1 日動かないようであれば、20% 相当のキャンセル料を払ってくれるという。今回は実害があったわけではないので、キャンセル料をもらうのは多少気が引けるが、せっかくくれるというものを頑なに断る必要もない。もし、このままこの案件がキャンセルになって、ほかの仕事も入らなければ、今日は有給休暇ということなる。有給休暇。なんていい響きだろう。

 まずは図書館に出向いて、借りていた本を返却する。おもしろそうな本はないかと物色してたら『昭和レトロ語辞典』という本を発見。ほかにも日本語に関する本を新たに 5 冊ほど借りた。そのあと、紀伊国屋書店に行き、前から読みたいと思っていた本を商品券で購入。西友に寄って、昼ごはんの食材を買って帰宅し、ハイカラあおさうどんを作る。テレビをつけると「ごきげんよう」で、西田ひかるさんが息子さんの話を楽しそうにしている。

 今日はこのまま、だらっと本でも読みながら過ごそうかと考えていたら、いやなことを思い出す。確定申告だ。毎年のことながら、確定申告のことを考えるだけで気が重くなる。せっかくの有給休暇に確定申告なんかやりたくないなあ。そんなことをことをぶつぶつ言いながら、コタツと一体化していたのだが、夕方の 4 時になってようやく重い腰を持ち上げる。

 自営業者は、青色申告をしたほうが得だということは知っている。しかし、青色申告の仕方を調べたり理解したりするのがめんどうで、もう 10 年以上も「来年からやろう」と言っている。E-Tax を導入すれば、確定申告の作業もずいぶん楽になるだろうと思いながら、これも「今年はまあいいか」と言い続けている。きっと、私は生涯この原始的な確定申告作業を続けるんだろう。

 確定申告の書類が完成し、床についたのは午前 2 時だった。もし、また有給休暇があったら、今度はもっと有意義に過ごそう。

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2D のテレビなんて見てられない

 技術翻訳の仕事をしていると、まだ世の中では一般的に知られていない、最新のテクノロジーを扱った文書を訳す機会がある。発展途上の分野だと、訳語が確立されていなかったり、概念を理解するのが困難だったりして、訳すのに苦労することもある。しかし、世の中の人がまだ知らないであろう情報を、いち早くこっそり知ることとができる。これは私たちに与えられた特権かもしれない。

 先日も、3D テレビに関するプレゼンテーション資料を訳した。3D メガネを必要としない次世代の 3D テレビの仕組みに関する最新の情報を扱った文書だった。

 私が物心ついたときのテレビ番組は当然すべて白黒だった。当時子どもの間で人気があった番組と言えば、「エイトマン」「スーパージェッター」「鉄人 28 号」といったアニメだ。実写ものでは、ちょうど私たちが小学生になるころに、ウルトラシリーズの最初の作品「ウルトラ Q」の放送が始まった。

 わが家にカラーテレビがやってきたのは、小学 4 年生(10 歳)くらいのとき(1970 年ごろ)だったと記憶している。カラーテレビで初めて見た番組はプロ野球中継。ミスタージャイアンツこと長島さんがまだ現役だったころである。確か、巨人対阪神の試合だった。当時のプロ野球では、ビジターのユニフォームに水色を基調としたものを使うのが流行っていた。その水色のユニフォームが鮮やかに映し出され、映像がすごくきれいだったことに感動した。

 その後、白黒の番組は姿を消していくことになる。それまで、何の不満もなく白黒テレビを見ていたのに、いったんカラーに慣れてしまうと、「白黒なんて見てられない」と思うようになる。一度レベルの高いものに慣れてしまうと、それまでのものでは満足できなくなるという現象は、映像の質に限ったことではないが。

 時が流れ、わが家に地デジがやってきたのは 3 年ほど前だったろうか。地デジの画像を初めて見たとき、確かにきれいだとは思ったが、白黒からカラーに変わったときほどの衝撃ではなかった。確かにきれいだが、これまでのアナログ放送の映像でも十分満足できると思った。それがどうだ。最近では、CS などで、ちょっと画像が粗いアナログの番組をやっていると、「こんな質の悪い画像なんか見るが気しない」と思ってしまう。10 歳のときにあれほどきれいだと思った映像なのに。おそろしやおそろしや。

 2009 年に大ヒットした「アバター」も 3D テレビも実際に見たことがない私には、3D で長時間ドラマなどを見ることがどんな感じなのかよくわかっていない。リアル感や臨場感やその他もろもろ、それはたいそう興奮を与えるものであろうことは想像できる。20 年後、いや 10 年後には、すべての番組が 3D 化され、「2020 年 7 月からは 2D 放送は終了します」といったメッセージが画面に表示されていたりして・・・。

 今は、「2D テレビで十分だ」と思っているが、過去の経験からすると、今のままで十分なんてことは絶対にありえない。「2D なんて、辛気臭くて見てられんなあ」とつぶやく日が来るのも、それほど遠くない将来のことなのか。

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わが家に Windows 7 がやってきた

 パソコンから異音が発生するようになってから 1 年半ほどが経過。起動すると、今にも爆発しそうなジーという音が鳴り響き、5 分くらいで止まる。いつ起動しなくなってもおかしくないような状態で、この 1 年半だましだまし使ってきた。しかも、セカンドマシンの調子もあまりよくない。こんな状態でもしメインのパソコンが突然動作しなくなったら、仕事に支障が出る。そのせいで納期遅れなどを起こしたら、信用をなくすことにもなる。そんなわけで、ついに新しい PC を購入することにした。

 今回はパソコン工房と DELLを検討したが、最終的に Dell に決定した。ベーシックなデスクトップモデルとついでにセカンドマシン(= 普段は妻が使用)としてノート PC も購入。価格はどちらも 49,800 円。2 台合わせても 10 万円以下だ。13 年前に初めて購入した富士通のパソコンは当時 20 万円以上もした。それと比べると、4 分の 1 以下である。しかも性能が大幅に向上している。単純にハードディスクの容量だけで比較してみても、新しいマシンは初代マシンのおよそ 120 倍だ。隔世の感がある。これって、ムーアの法則を超えるものなのか、それともそれ以下なのかはよくわからないが。

 新しい PC の使用は、作業中の仕事の納品が完了するまで我慢した。データの移行を含め、快適に仕事をできる環境を構築するには、最低でも丸 1 日はかかるため、仕事を抱えている状態でうかつに新しいパソコンの設定をすると大変なことになるからだ。

 一昨日、作業中の仕事を納品し、待ちに待った仕事途切れ状態になった。その日 1 日は新しい仕事が入らないことを願って、新しい PC の設定を開始。しかし、心配していたとおり、これまで使っていた 15 ほどの辞書のうちの 2 つが Windows 7 でどうやっても使用できない。われわれ翻訳者にとって、命と体力の次に重要なのが辞書である。仕方がないので、この 2 つについては、妻が使っていた古い Winodws 2000 モデルにインストールして使用することにした。また、様子をみて、Windows 7 対応の新しいバージョンのものを買うことにしよう。

 先に述べたとおり、この 10 年間でコンピュータはめまぐるしい進歩を遂げたのだが、最近のコンピュータでイラッとすることが 1 つある。いろんなアプリケーションがアップデートを求めてくることだ。昔は、常時接続なんてものが前提になっていなかったので、アプリケーション自体がアップデートを求めてくるなんてことはなかったのだが、今はありとあらゆるアプリケーションが「アップデートしてくれ~」と嘆願してくる。

 あまりにもうっとうしいので、自動アップデートを通知するプログラムは、支障のない範囲ですべて停止した。このような最近のアプリケーションの挙動を見ていると、「2001年宇宙の旅」という映画を思い出す。この映画で、宇宙船ディスカバリー号に搭載されていたコンピュータの HAL は、自分の信頼性に対して乗組員が不信感を持ち始めていることを察知して乗組員を殺してしまうのだ。コンピュータは使うものであって、使われるものではない。

 2 日間かけてようやく仕事をできる環境を構築できた。「お仕事さん、いつでもいらっしゃい」。そうつぶやいた瞬間に、タイミングよく新規案件を打診するメールを受信。もちろん、「お引き受けします」とすぐさま返信した。これから 4 代目 PC 君の初仕事だ。しっかりがんばってちょうだい。


デル株式会社


B003GQSYI02001年宇宙の旅 [Blu-ray]
ワーナー・ホーム・ビデオ 2010-04-21

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○○ 冥利に尽きる

「○○冥利に尽きる」と言ったとき、「○○」に入ることばとしてすぐ頭に浮かんでくるのは、「男」「女」「母親」などだ。「○○」に入る職業としてすぐに思い浮かぶのは「教師」くらしかない。そう考えると、「○○冥利に尽きる」という表現がしっくりくる職業はかなり限定されているのかもしれない。少なくとも、サラリーマンをしていたころ、私自身は「サラリーマン冥利に尽きた」と感じたことはない。

非常に難しい手術を成功させ患者やその家族から感謝される医者、すばらしい演技で人々を感動させ絶賛される俳優、大事な場面でファンの期待に応える活躍をみせた野球選手などは、この上なく「冥利に尽きた」と感じたことがあるんだろうと想像される。

この冥利ということばはよく聞くことばであるが、正確な意味を知らなかったので調べてみた。仏教から来ていることばのようだ。

冥利
〔知らず知らずの間に神仏から受ける恩恵の意〕
(一)〔それ以外のものでは決して味わうことの出来ない〕人間として最高の充足感(幸福感)。「教師―に尽きると言うべきだ/男―・女―」
(二)#〔仏教で〕よい行いの結果として受ける、現在の幸福。
(新明解国語辞典より)

私たちは普段(一)の意味で冥利を使っているが、根本的には神仏から受ける恩恵を意味するのか。そうだとすると、特殊な人じゃなくても、誰でも人間冥利に尽きることはできるってことか。

閑話休題。私の職業的な冥利について。翻訳者という仕事(産業翻訳の業界では翻訳する人のことを「翻訳家」ではなく「翻訳者」と呼びます)は、エンドクライアントや最終の読み手の反応がわかりにくい。だから冥利を感じにくい仕事である。それでも、エンドクライアントなどの反応が間接的に翻訳者に伝えられることがないわけではない。そしてその反応がすごくよいものであると、ほんの少しだけ「翻訳者冥利」を感じることもある。誉めてもらえる機会なんてほとんどないけれど、これからもっと大きな冥利を感じられるように日々是精進。

今年もあとわずか。3 月 22 日に「景気は上向き」で、仕事が増えつつあると書いたが、その後状況は期待どおりには進展せず苦しい 1 年になった。しかし、10 月くらいからまた忙しくなり始め、最近は仕事を断らなければならないほど忙しくなってきた。まだぬか喜びはできないが、翻訳業界に限って言えば、今度こそ底を脱したと信じたい。多少厳しい 1 年ではあったが、それでも仕事がゼロになることなく、どうにかこうにか持ちこたえてこれたのは、知らず知らずの間に神仏から受けている恩恵のおかげ。だから私も十分に冥利を享受しているってことだ。感謝多謝。

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