旗日と日本人の休日
今日はこどもの日。国民の祝日である。私が子どものころは、祝日に日の丸を掲げる家は多かったが、最近ではなかなか見られない光景になってしまった。当時、祝日は旗日とも呼ばれていたが、最近はあまりこのことばは耳にしなくなった。すでに、死語になってしまったのかもしれない。そんなことを考えながらウォーングをしていてたら、国旗を掲げている珍しい家を発見。昭和にタイムトリップしみたいで懐かしい感じがした。
「国民の祝日に関する法律」(祝日法)では、国民の祝日とは「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」と定義されている。戦後から昭和 40 年代ごろまでは、この精神がある程度根付いていたと思うが、現在では祝日は単なる休日になってしまった感がある。
振り替え休日やら、ハッピーマンデーやらで、やたら連休を増やす方向に祝日法が改正されたこともその原因の 1 つだろう。でも、日本人の休日数を増やすことを第一の目的としたこの法改正は、祝日法の本来の趣旨とかけ離れた方向に向かっていると思う。
休日を増やすという目的であれば、みんながいっせいに休むのではなく、欧米のように、各自が好きな時に長期的に休暇を取れる風習や文化を根付かせるべきだったと思う。そうすれば、ゴールデンウイークの分散といった変な政策を検討する必要性も生じなかったように思う。日本人は、欧米のものを何でも無節操に取り入れてたくせに、休暇に関する欧米の考え方は取り入れられなかったのはなぜだろうが。
きっと、「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な発想で、みんなが働いているときに自分だけ休むのは怖いのだろう。昭和の時代と比べてたら、有給休暇という概念もかなり浸透しているのだとは思うが、中小企業などではまだまだ、遊ぶことを目的に休暇を取ることはよくないことと考えている経営者や社員も多いと思う。そのためには、罪悪感を感じることなく休める国民の祝日という大義名分が必要だったのだろう。
ゴールデンウイークも今日で終わり。もちろん、フリーランス翻訳者にとっては、日曜も祝日もゴールデンウイークも一切関係ないが、世間がなんとなく騒がしくなる長期の連休よりも、平日のほうがなんとなく落ち着いて好きだ。