[社会] カテゴリー

社会の出来事や世の中の動向に関する雑談


ベクレルだとかシーベルトだとか - 暫定規制値の取り扱い

 最近よく耳にするフレーズといえば、「暫定規制値を超える○○が検出されました」と「通常の○○倍の放射線が測定されました」だ。これらのフレーズのあとにたいてい続くのが「直ちに健康に影響を及ぼす数値ではない」である。「直ちに健康に影響を及ぼす値ではない」と言うと、「長期的には影響が出るかもしれない」と心配する人がいて当然だ。「短期的にも長期的にも影響は出ない」と、はっきり言えばいいのにと思う。

 私の認識によると、暫定規制値というのは、一定量を 1 年間継続して摂取し続けたときに、健康に影響が出るかもしれないと考えられる数値である。たとえば、ある食品から暫定規制値の 2 倍の放射性物質が検出されたとする。このような場合、その食品を一定量 180 日間毎日摂取し続けて初めて暫定規制値に達することになる。つまり、「暫定規制値の 2 倍の放射性物質が検出されました」は、正しくは「暫定規制値の 180 分の 1 の放射性物質が検出されました」と言うべきなんじゃなかろうか、と思うわけである。

 特定の作物から、暫定規制値を超える放射性物質が検出されたからといって、直ちにそれを出荷規制したり摂取規制したりするのはなぜ?もちろん、健康に関することだから、いくら慎重になっても慎重になり過ぎるってことはないんだろうが、それでも、あまりにも慎重過ぎると思う。だいたい、暫定規制値自体もかなり安全側に配慮した、つまり厳しい値であるということだし。

 昨日あれだけ騒がれた東京都の水も、翌日には乳児に対する摂取制限も解除になったとのこと。もし、このまま低い値が続けばただ混乱を発生させただけである。暫定規制値とは累積的な数値なんだから、ある程度経過を見て、累積値が暫定規制値の半分くらいになった時点(たとえば、放射性物質が暫定規制値の 2 倍の場合は、その値が 90 日続いた時点)で、出荷規制なり、摂取制限なりをすればいいのにと、私は素人考えで思うのだが・・・・・・。

 水の場合は、経済的な損失を受ける人はあまりいないと思われるが、気の毒なのは福島および関東の農家の人たちである。なんで、こんな理論的におかしな数値のために、風評被害に遭わなければいけないのだ。地震や津波は天災だけど、今回の出荷・摂取制限の措置とそれに伴う風評被害は完全に人災である。

 これ以上、風評被害が拡大しないためにも、そして原発周辺の人が安心して暮らせるようになるためにも、1 日も早く原発問題が終息してくれることを願って寝ることにします。

AC ジャパンが悪いわけではないが

 最近うっとうしいものと言えば、公共広告機構 AC ジャパンの広告。最初のうちは何とも思わなかったが、繰り返し繰り返し流されるうちに、元阪神タイガースの赤星氏の顔を見るのも嫌になった。もちろん、AC が悪いわけでも、赤星氏が悪いわけでもないのだが。

 私がいちばんうっとうしと思うのが、「心は見えないが、こころづかいは見える。思いは見えないが思いやりは見える」というやつだ。もちろん、AC の広告はどれも大切なメッセージを伝えるものであるが、何度も何度もしつこく言われると、「わかったから、もういい」と言いたくなる。親からうるさく言われる子どもは、きっとこういう気持ちになっているんだろう。

 世間の人も同じように感じていたらしく、AC ジャパンに対して、「しつこい」「不快感がある」「内容がそぐわない」というクレームが殺到したらしい(「AC大量CMに苦情殺到...脅迫電話も」を参照)。しかし、AC の広告は、各テレビ局の判断によって流しているのであって、地震が発生したことで、スポンサーの多くが CM を自粛したためにこのような現象になっているらしい。したがって、AC ジャパンを責めるのはおかど違いである。

 事情はよくわかった。AC の広告をゼロにしろとまでは言わない。しかし、広告枠に何かを流さないといけないのであれば、心が和むようなきれいな風景とクラシック音楽でも流してくれないかなと思う。おしつけがましいメッセージを聞かされるよりずっといい。

 しかし、最もいいのは、スポンサーが自粛せずに普通の CM を流してくれることだ。今、商業メッセージを流すことはそんなに不謹慎なことなんだろうか?企業イメージがそんなに悪くなるんだろうか。経済活動が落ち込んでいる今だからこそ、人々の購買意欲や消費意欲をそそるような CM をがんがんやってくれたほうがいいと思う。そんな中で、普通に CM を流してくれるすき家はえらい。近いうちの牛丼を食べに行かないと。

 今日あたりから、普通の CM も少しだけ増えたような気もする。そうやって、少しずつつ普通の CM が増えていって、その比率が逆転し、世の中も少しずつ日常に戻っていくんでしょうね。

常識で考えたら

 昨日の朝、東京の知人にメールで連絡を取った。地震直後は、メール事情への悪影響を考えて連絡を控えていたのだが、さすがにもういいだろうと思ったからだ。メールの返事には、東京も経験したことがない揺れだったこと、電車が止まって家族が帰宅できなったこと、電池や食料品の入手が困難になっていること、計画停電に混乱していることなどが綴られていた。被災地から遠く離れた東京でも、かなりのストレスがあるようだ。しかし、けがもなく、無事に過ごしているとのことで一安心。

 午後は、仕事の合間にウォーキングに出かける。久しぶりにハイボールが飲みたくなって、西友に寄ったのだが、そこで見た光景に唖然とした。米売り場の棚がほとんどスカスカだ。レジでは、大量の米やトイレットペーパーをカートに乗せた人たちが並んでいる。関西でも、買い占めをする人たちが出始めたとは聞いていたが、まさか川西でもそういうことが起こっているとは。

 地震の前とほとんど変わらずに、すべてのことが正常に機能しているここ関西で、食べるものがなくなったり、トイレットペーパーがなくなったりするはずがない。たとえ、米が一時的になくなったとしても、食料はいくらでも手に入る。飢え死にするような事態になんかならない。そんなこと、常識で考えてわかるだろうに。

 今朝のとくダネ!では、東京を脱出しようとしている人たちの映像を流していた。原発事故による健康被害を恐れて、東京を脱出する人が増えているとのことだった。私は、原発のことや、ミリシーベルトやマイクロシーベルトといった数値のことは詳しくはわからない。しかし、そんな私でも、常識で考えればわかることがある。それは、たとえ最悪の事態が起きたとしても、東京の人に健康被害が及ぶことはほとんどないということだ。チェルノブイリのときも、影響があったのはごく限られた地域の人たちだけだった。広島に投下された原爆でさえも、被害があったのは広島市を中心とした限られた地域の人たちだけである。岡山や山口や愛媛などで、原爆の直接的な被害にあった人がいたという話は聞いたことがない。そういったことを考えれば、今回のことで東京の人が不安を感じる必要がないことぐらいわかりそうなものなのに。

 このような事象が起こるのは、不安をあおりまくっているマスコミにも責任があるんだろうが、常識に基づいて物事を適切に判断できない人たちにも責任があると思う。関東の人も、西日本の人も、常識に基づいてもっと冷静に行動しましょう。

 最近、うんち・おならで例える原発解説~「おなかがいたくなった原発くん」 という動画がわかりやすいと評判になっている。見たことがない人は、一度見てみてください。
 

地震発生から 4 日経過して

 地震が発生してから丸 4 日が経過しようとしているが、ここ関西では以前とほとんど変わらない日常が続いている。この 4 日間の変化と言えば、テレビ番組が地震関係の報道一色になったことぐらいだ。本当に同じ国で起こったことなんだろうか、というくらいに平和な日常を送っていることを申し訳なく感じてしまう。

 地震のことを知ったのは、仕事中にいつも聴いていいる MBS ラジオのニュース速報を通じてだった。かなり大きな地震とのことだった。阪神大震災を経験し、神戸や西宮の崩壊したビルをこの目で見た者としては(1 カ月程度のガス供給停止で済んだ者がこういうことを言うと、本当の被災者に叱られると思うが)、正直「あの地震と比べたら、どうってことない地震だろう」くらいに思っていた。しかし、その後の報道番組で地震の実態を知るにつれて、自分の認識が間違っていたことを理解した。よくわかりました。何も知らずに勝手に判断してごめんなさい。津波に襲われた東北地方の各町の映像は、私に謝罪を要求しているかのごとく、悲惨な状況を映し出していた。

「この人ら、本当にすごいな」
建物に取り残された人たちを救助する救助隊の映像を見て妻が言う。
「そうやなあ。こういう人らって、人の命が救えるなら、最悪自分の命を落としてもいいっていうくらいの覚悟ができてるんやろなあ。本当にすごい」と私。
本当に、こういう人たちの貢献を見ていると、人間ってすごいなあと心から思える。

 また、ユニクロの柳井社長が個人として 10 億円を寄付したというニュースや、大阪の一般女性が匿名で 1,000 万を寄付したというニュースを耳にすると、本当にすごいなあと思う。いくら、金持ちであったとしても、10 億円が惜しくないはずがない(と一般庶民の私などは思ってしまう)。

「それぞれの人が、それぞれの分野で、しかるべきときに本領を発揮すればいい。今は、救助のプロが本領を発揮してくれてます」
ある人がこんな内容のことを言っていた。そのとおりだと思う。これといった影響力もなく、お金も持っていない私のような一般人ができることといえば、できる範囲で寄付をすることぐらいである。あとは、影響がほとんどなかった地域の人間として、普通に仕事をし、普通に消費をして、経済活動を低下させないことである。

 J リーグは 3 月開催予定の試合の中止を決定し、プロ野球も開幕の延期を検討しているらしい。高校野球は予定どおり行われるんだろうか。高校野球は別として、プロのスポーツ選手の本領は、すばらしいプレーを通じて国民に元気や感動を与えることである。こんなときだからこそ、自粛するのではなく、たとえ全試合でなくてもいいから、開催する方向で考えてほしい。電力を大量に使用するナイターなどが問題となっているのであれば、西日本を中心に開催するといったことは不可能なんだろうか。関西地区で普段見られない試合が見られるのであれば、私は是非見に行きたい。入場料に寄付金が上乗せされたとしても、多くの人が喜んで支払うだろう。こういった行為が、一般市民の本領の発揮の仕方だと思う。

 まだまだ書きたいことはあるが、考えがうまくまとまらない。

2D のテレビなんて見てられない

 技術翻訳の仕事をしていると、まだ世の中では一般的に知られていない、最新のテクノロジーを扱った文書を訳す機会がある。発展途上の分野だと、訳語が確立されていなかったり、概念を理解するのが困難だったりして、訳すのに苦労することもある。しかし、世の中の人がまだ知らないであろう情報を、いち早くこっそり知ることとができる。これは私たちに与えられた特権かもしれない。

 先日も、3D テレビに関するプレゼンテーション資料を訳した。3D メガネを必要としない次世代の 3D テレビの仕組みに関する最新の情報を扱った文書だった。

 私が物心ついたときのテレビ番組は当然すべて白黒だった。当時子どもの間で人気があった番組と言えば、「エイトマン」「スーパージェッター」「鉄人 28 号」といったアニメだ。実写ものでは、ちょうど私たちが小学生になるころに、ウルトラシリーズの最初の作品「ウルトラ Q」の放送が始まった。

 わが家にカラーテレビがやってきたのは、小学 4 年生(10 歳)くらいのとき(1970 年ごろ)だったと記憶している。カラーテレビで初めて見た番組はプロ野球中継。ミスタージャイアンツこと長島さんがまだ現役だったころである。確か、巨人対阪神の試合だった。当時のプロ野球では、ビジターのユニフォームに水色を基調としたものを使うのが流行っていた。その水色のユニフォームが鮮やかに映し出され、映像がすごくきれいだったことに感動した。

 その後、白黒の番組は姿を消していくことになる。それまで、何の不満もなく白黒テレビを見ていたのに、いったんカラーに慣れてしまうと、「白黒なんて見てられない」と思うようになる。一度レベルの高いものに慣れてしまうと、それまでのものでは満足できなくなるという現象は、映像の質に限ったことではないが。

 時が流れ、わが家に地デジがやってきたのは 3 年ほど前だったろうか。地デジの画像を初めて見たとき、確かにきれいだとは思ったが、白黒からカラーに変わったときほどの衝撃ではなかった。確かにきれいだが、これまでのアナログ放送の映像でも十分満足できると思った。それがどうだ。最近では、CS などで、ちょっと画像が粗いアナログの番組をやっていると、「こんな質の悪い画像なんか見るが気しない」と思ってしまう。10 歳のときにあれほどきれいだと思った映像なのに。おそろしやおそろしや。

 2009 年に大ヒットした「アバター」も 3D テレビも実際に見たことがない私には、3D で長時間ドラマなどを見ることがどんな感じなのかよくわかっていない。リアル感や臨場感やその他もろもろ、それはたいそう興奮を与えるものであろうことは想像できる。20 年後、いや 10 年後には、すべての番組が 3D 化され、「2020 年 7 月からは 2D 放送は終了します」といったメッセージが画面に表示されていたりして・・・。

 今は、「2D テレビで十分だ」と思っているが、過去の経験からすると、今のままで十分なんてことは絶対にありえない。「2D なんて、辛気臭くて見てられんなあ」とつぶやく日が来るのも、それほど遠くない将来のことなのか。

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個人的な挑戦を社会貢献に変えられるサイト

 3 カ月で 10 キロのダイエットをする。1 日 5,000 歩以上のウォーキングを 1 年間続ける。○○ に関する本を 100 以上冊読む。挑戦のレベルや難易度は別にして、このような個人的な挑戦に取り組んでいる人は多いと思う。私も今年の元日に、「筋トレを 1 年間続ける」や「That's 談を 1 年間継続して書く」などといった、ごくありふれた目標を掲げ、今のところなんとか続けられている。

 このような自分自身の挑戦を、社会貢献という形に変えている有名人は多数いる。元阪神タイガースの赤星憲広氏が現役時代、全国の病院や福祉施設に、自身の盗塁数と同じ数だけ車いすを寄贈していたことは有名である。また、ソフトバンク・ホークスの和田毅投手が、自分の投球数や成績に応じて世界の子どもにワクチンを寄付していることもよく知られている。最近知って驚いたのが、読売ジャイアンツの内海哲也投手の活動だ。2008 年から、奪三振と同数のランドセルを児童養護施設に寄贈する活動に取り組んできていたらしい(内海こそ元祖伊達直人じゃないか)。しかし、このような自分自身の挑戦や頑張りを社会貢献に変えられるのは、プロのスポーツ選手だからこそ、有名人だからこそできることであって、一般人には関係のないことだと思っていた。

 しかし先日、ワールドビジネスサテライトを見ていて、一般人の個人的な挑戦を社会的な貢献に変える仕組みを提供している組織があることを知った。それは JustGiving Japan という組織である。

 JustGiving Japan は、「自分が何かをチャレンジすることで、それを応援する人が寄付をしてくれる」仕組みを提供しているサイトである。もちろん、寄付金は自分に入るのではない。自分が指定した、特定の NPO や分野に寄付される(寄付先の支援先団体一覧)。

 たとえば、10 キロ減量のダイエットに挑戦するとする。寄付先として、たとえば、海洋生物の保全活動を行っているエバーラスティング・ネイチャーという団体を指定する。この挑戦を応援してくれるサポーターが寄付をしてくれると、その寄付金がエバーラスティング・ネイチャーに支払われるという仕組みだ。

 川西市出身の元ヤクルト・スワローズの古田敦也氏(チャレンジはホノルル・トライアスロン完走)など、有名人も参加しているようであるが、ほとんどは一般人のささいなチャレンジである。中には、「なんのためらいもなく3秒でバンジージャンプを飛びます」といったユニークなチャレンジもある(チャレンジ一覧はこちらで見られる)。

 普通であれば自分の達成感と満足感だけで終る個人の挑戦が、社会に役立つなんてすばらしい仕組みだと思う。そして、応援してくれる人(サポーター)がいることで、自分の挑戦に対するモチベーションも維持できるので、一石二鳥だ。挑戦をするのはいやだという人も、サポーターという形で社会貢献でききる。自分も伊達直人になりたかったけど、勇気がなかったという人もこのプログラムでタイガーマスクになってみたらどうだろうか。

 私も、近いうちに是非このプログラムに参加して、たとえ少額でも社会に貢献してみたいと思う。でも、どんな挑戦に取り組もうか。それをまず決めないとなあ。

 

10 分 1000 円

高いなあ。思わずうなってしまった。何の値段かというと、愚痴を聞いてもらうために支払う料金である。

「最近は、電話で愚痴を聞く『愚痴聞きビジネス』っていうのが流行ってるねんて。ほんで、料金は 10 分で 1000 円やて」。先週のきらきらアフロで鶴瓶師匠がこんな感じのことを言っていた。本当にそんなビジネスがあるのか。どんなシステムになっているのか。気になったので早速調べてみた。

Google で検索した結果、「[電話相談]「愚痴聞き」ビジネスが人気」(@yomiDr./ヨミドクター)という記事を発見。確かに「愚痴聞きビジネス」なるものが存在し、利用者が増えているという。以下は同記事からの引用。

料金は10分1000円。当初は1本も電話がない日が続いたが、2008年から徐々に利用は伸び、今では延べ3000人に達した。男女25人のスタッフが交代で24時間対応する。

 同倶楽部のセラピストの一人、あさくらゆかりさん(42)は、主婦業のかたわら1日1時間半~6時間程度、自宅に転送されてくる電話を受ける。「9割以上は愚痴です。ばかにされると思って友人には話せないのでしょう。最後には『元気をもらった』と喜ばれることも多い」という。

この「電話で愚痴を聞く」サービスを提供しているのは、聞き上手倶楽部という会社らしい。愚痴聞きだけでなく、うつ病専門の電話カウンセリング、子育て育児電話相談、恋愛カウンセリングなど、幅広く電話相談サービスを提供しているとのこと。

確かに、愚痴や不満を誰かに話せばすっきりしたり、ストレスを解消できたりすることは事実だと思う。でも、いくらストレス社会とは言え、こんなビジネスが成立するとはねえ。

「私それやりたい。人の愚痴を聞いて、『そうですよねえ』って相づちうってればええんやろ。それで時給 6,000 円やったらすごくええやん」
どういうわけか、利用者の立場ではなく仕事をする人の立場から妻がこんなことを言う。
「でもなあ、最初はええかもしれんけど、ずっと人の愚痴ばっかり聞いてたら、だんだんいやになってくると思うで。きっと想像以上に大変な仕事やで」と私。

細かいことを言えば、10 分 1,000 円は利用者が会社に支払う金額であり、実際に話を聞く人がもらえる金額はせいぜいその半分くらいだろう。それでも十分魅力的な金額ではあるが、人の愚痴を延々と聞き続けるなんて、私には絶対無理だと思う。

今のところ、お金を払ってまで聞いてもらいたい愚痴は私にはない。これからも「愚痴聞き」サービスのお世話にならなくてもよい、ストレスの少ない生活環境を維持したい。そんなことを感じたちょっと前の出来事でした。

手帳に書くことは未来それとも過去?

デジタル製品全盛でも...手帳が多様化、根強い人気(@神戸新聞)」によると、ここ 4 ~ 5 年、昔ながらの紙の手帳がよく売れているとのこと。iPad やスマートフォンなどの流行で、最近はスケジュール管理もそういった電子機器でする人が増えているのかと思っていたが、そうでもないようだ。どんなものでもデジタルのほうが優れているとは限らないってことか。

手帳が売れているという現象は十分納得できる。やっぱり、手帳は原始的に紙にペンで書くのがいちばんだ。紙の手帳はフリーズしたり、突然内容が消えたりすることもないからバックアップをとる必要もないし、起動に時間がかかることもない。そう考えると、電話番号や住所などを携帯電話だけで管理しているのはとても危険なことだと思う。何らかの理由でデータにアクセスできなくなったら、特定の人と一生連絡が取れないなどという事態も起こりうる。

ここ数年手帳の売り上げが右肩上がりということは、皆さん毎年手帳を買い換えてるんでしょうか。私はというと、ここ 15 年ほどずっと同じ手帳を使っている。昔流行ったシステム手帳だ。毎年スケジュール帳のレフィルを買って入れ替えている。この方式の便利なところは、住所録やその他の重要なメモはずっとそのまま使えるということである。システム手帳はかさばるので、持ち歩くのに不便だと言う人もいるが、私の場合手帳を外に持って行く必要がないので、多少大きくても重くてもかまわない。

15 年間使っているシステム手帳

それと、私がほかの人と違うであろう点は、手帳をスケジュール管理には一切利用してないということである。そもそも、手帳に書いておかないと忘れるほど、あれやこれやとやることが多くあるわけではない。毎日何人もの人と会うわけでもなく、会議に出席するわけでもない。基本的には 1 つの仕事を何日間かかえて仕上げ、約束の期日に納品するという毎日を送っている。絶対に覚えていなければならない項目は、現在取り組んでいる仕事の納期ぐらいである。たまに複数の仕事を平行して行うこともあるが、それでもせいぜい 2 つか 3 つだ。全部頭で覚えられる程度の情報量である。

それでは、何のために手帳を使っているのかというと、日々の記録を書き留めるためである。どの仕事を何時間したとか、どの仕事を納品したとか、どの会社に請求書を送ったとか、そういうことを記録している。先のことは覚えていられるが、1 カ月前に A 社に請求書を送ったかどうかはなかなか思い出せない。あと、ウォーキングをした場合は、何歩あるいたかとか、薬を飲んでいるときであれば、ちゃんと飲んだかどうかだとか・・・。要するに簡単な日々の記録である。

手帳はやっぱり未来のことを管理するために使うのが正しい使い方で、私のように過去を記録するために使っている人は少数派なんだろうか。

前述の神戸新聞の記事によると、手帳は女子高生や 20 代の女性会社員にもよく売れているとのことであるが、そんな若い女性は手帳にどんなことを書いてるんだろうか。頭で覚えきれないほどスケジュールがびっしり?また、糸井重里氏が考案した「ほぼ日(にち)手帳」が大人気らしい。どんなものなのかちょっと興味がある。

最後に手帳関連の記事をもう 1 つ。「男性ビジネスマンの9割以上が手帳に秘密を抱えている?!--高橋書店調査で@マイコミジャーナル」によると、「手帳に記入した内容を見られることにはほとんどの人が抵抗感があり、ほぼ全員が手帳に何らかの秘密を抱えている」とのことである。もちろん、私の手帳には見られて困るような秘密は一切ありません。

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今年の漢字と創作四字熟語

昨日、清水寺で好例の「今年の漢字」が発表された。選ばれたのは「暑」だったが、これはちょっと意外な結果だった。今年の夏の猛暑だけでなく、チリ鉱山の事故や「はやぶさ」などの「暑い」も表しているとのこと。2 位以下の漢字が、「中」「不」「乱」「異」だったことを考えれば妥当かなと思える。暗い印象を与える漢字が選ばれるよりはずっといいだろう。

私個人のこの 1 年を漢字で表すなら「待」だ。景気の回復を待ち、仕事が来るのを待ち、いろんなものを待っていた年だったと思う。夏ごろまでは、待っても海路の日和はなかなかやって来なかったが、ここにきてようやく好転の兆しが見え始めた。

「今年の漢字」の 1 日前に発表されたのが、日本生命の「創作四字熟語」。こちらのほうが、世相をよく表しており、風刺もきいていておもしろいと思った。入選作品と優秀作品に選ばれた中で私が特におもしろいと思ったのは以下の 5 つ(日本生命が選んだ優秀作品は 2010 年優秀作品 10 編を参照)。( )内は本来の四字熟語。

  1. 諸牛無情(諸行無常)
  2. 戸籍騒然(古色蒼然)
  3. 三見立体(三位一体)
  4. 全人見塔(前人未到)
  5. 不眠蹴球(不眠不休)

それぞれの四字熟語が表している今年の事件や現象は、1. 諸牛無情(しょぎゅうむじょう)が口蹄疫問題、2 戸籍騒然(こせきそうぜん)が戸籍問題、3. 三見立体(さんみりったい)が 3D の映画やテレビのブーム、4. 全人見塔(ぜんじんみとう)がスカイツリー、5. 不眠蹴球(ふみんしゅうきゅう)が サッカー W 杯を表しているらしい。

あっという間に過ぎていった 1 年だったが、こうやって見てみるとずいぶんいろんなことがあったんだなあと思う。W 杯で日本中が熱くなったのは、ずいぶん昔のことのようにも思える。関西に住んでいると、スカイツリーはあまりピンとこないが、全ての人が見る塔と書いて「全人見塔」はうまい!

今年もあとわずか。「終わりよければすべてよし」にしたいものである。


政治家センセイのジョーシキ

最近、いろんな政治家の失言が問題になっている。たしかに、先日辞任した柳田元法務大臣の発言は言語道断であるが、ことさら目くじらを立てるようなことでもないと思う。もちろん非難すべきことではあるが、政治家のこの手の問題発言は今に始まったことではないし、もう聞き飽きた。

民主党議員の問題発言を得意げに非難している自民党を見ていると、そんなことに必死になるよりも、もっとやるべきことがあるだろうと思ってしまう。見逃すことができないのは理解できるが、それでは野党時代の民主党と同じである。きっと、与党議員の失言を徹底的に非難するのは政治家センセイのジョーシキなんだろうが、「そんなことどうでもいい」と言ってのける非常識な先生がひとりくらいいてもいいと思う。

「人のふり見て我がふり直せ」ではないが、そんな小さいことなど問題にせずに、もっと建設的な意見を出して本質的な部分で議論を戦わせれば、自民党に対する国民の目も変わるのにと思う。せっかく、民主党政権という悪い見本のおかげで、過去の自分たちの悪かったところを客観的に反省できる機会だというのに、残念でしかたがない。

私は決して、自民党を応援しているわけではない。民主党だけが悪いと思っているわけでもない。テレビなどで政治家センセイの発言を聞いていると、「なるほどなあ」と思うようなことや「それはいい政策だ」と思えるような、まっとうな意見も多い。しかし、そういう立派なことを言うセンセイたちも、いざとなると言動が一致しない。そして、「これが政治のジョーシキだ」と言わんばかりに、どういう理由で実現が難しいのか、何が問題なのかを、政治家の独特の理論に基づいて得意げに語る。

しかし、こんなジョーシキの塊のような政治家にはもううんざりだ。これまでの因習にとらわれない KY で非常識な政治家の出現を期待する。

一般的に、政治家としてのジョーシキに毒されていない常識を持った政治家は、ほかの議員から馬鹿にされたり、議会から嫌われたりという傾向にある。橋下大阪府知事は決して政治家のジョーシキに染まることなく、非常識な政治家のいい見本になってほしいと思う。

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