[社会] カテゴリー

社会の出来事や世の中の動向に関する雑談


タイガースグッズのプレゼント応募にご注意

 インターフォンが鳴る。訪ねて来たのは○○新聞。先日応募したタイガースグッズのプレゼントに当選したとのこと。そう言われれば、数週間前に郵便受けに入っていたタイガースグッズのプレゼントに応募したことを思い出した。オートロックを開ける。

 3等のタイガースメモパッドが当たったとのこと。3等の当選者は100人らしい。○○新聞の人は、景品を手渡しながら新聞の勧誘を始めた。営業活動はそれほどしつこくなかったので、迷惑というほどではなかったのだが、こういうやり方はどうなのよ。

 証拠はないので断言はできないが、3等のタイガースメモパッドは、応募者全員に当たっているのではないだろうか。何の脈略もなく突然新聞の勧誘に来ても門前払いされる可能性が高いが、グッズが当たったと言われれば、ドアを開ける可能性は高くなる。営業の機会が増えるというわけだ。

3等のタイガースメモパッド

 それほど目くじらを立てるようなことではないのかもしれないが、プレゼント応募という形で個人情報を集め、それを別の用途に利用するのはやっぱりよろしくないと思うのである。タイガースグッズのプレゼントに応募する場合はご注意を。

カフェオレ様

 今朝の『とくダネ!』で「カフェオレ様」を紹介していた。何のことかと思って観ていたら、居酒屋で酒を飲むよりもカフェでスイーツを食べるほうが好きな男性のことを「カフェオレ様」と呼ぶらしい。草食系男子との違いは、女性に積極的にアタックし、食事代なども気前よく奢ってくれるところだとか。つまり、男らしさと女性的な要素の両方を備えた男性を指すとのこと。検索してみたら、あらちゃんのこんなツイートを発見。

 草食系男子の次は「カフェオレ様」か。うまいこと名付けるねえ。こういう名称はいったい誰が考えるんだろう。私は、カフェでスイーツよりは居酒屋やバーで酒というタイプなのだが、家では甘いものも食べるし、スイーツもまあまあ好きなほうだと思う。しかるべき時は、食事代なども気前よく奢るほうなので、強いて言えば「ときどき家カフェオレ様」か。

 「気前よく奢る」で、ある知人女性の話を思い出した。その女性は 30 代半ばで、真剣に結婚相手を探しており、出会い系サイトで知り合った 30 代後半の男性とデートをすることになった(真剣に結婚相手を探している普通のまじめな女性が出会い系サイトというものを利用していることに驚いたのだが、話の本筋とは関係ないので、この話を広げるのは止めておく)。初デートでは、大衆的な料金の居酒屋に行ったらしいのだが、そこの支払いを割り勘にされたのだそうだ。顔もまずまずで、感じもよくて、フィーリングも合う人だったが、この点だけが不満だったらしい。

 30 代後半ということは、私よりもひとまわり若いだけだ。今時の若者と呼べる年代でもない。私が若い頃は、女性と食事に行ったら、たとえそれが彼女でなくても、付き合おうという気持ちがなくても、好みの女性でなくても、男が出すのが当たり前という風潮があったと思う。少なくとも私は、女性に払わせることは男として恥ずかしいことだと思っていたので、お金を借りてでも自分が出すようにしていた。そういう考え方はもう時代遅れなんだろうか。

 「奢る」でもう 1 つ思い出したのが、サラリーマン時代の出来事。中途入社の S さんという男性が入社してしばらく経った頃、日ごろいろいろお世話になっているお礼にお茶を奢らせてくれと私を含む 3 人に申し出たことがあった。ただし「奢るのは 250 円まで。それ以上のを飲みたい人は、差額は自分で払ってください」という条件が付いていた。その店の飲み物は、いちばん安いものが 250 円、高いものでも 400 円くらいだったと思う。別にこちらはどうしても奢ってもらいたいわけではない。たかだか 150 円の差額を払うことが気になるのなら、奢るなどと言い出さなければいいと思うのだが。

 割り勘にするときも、1 円の位まできっちり割りたがるのは女性が多いことを考えると、250 円までという条件を付ける S さんはお金に関しては女性的なのかもしれない。当時、S さんは私よりも 5 つくらい年上だったので、割り勘好きは今の若者に特定の現象ではないのかも。

決闘値が高い人

 先日、 JR 東西線に乗っていた時の出来事。ある駅で下車した 50 代半ばくらいのおじさんが、車内に向かって何やら大声で怒鳴っている。
「文句があるんやったら、降りて来いや。外でやろうや」
誰に対して言っているのかはよく分からない。
「何笑とんや。こっちが下手にでてたらええ気になりやがって。兄ちゃん、出て来いや」
おじさんは、ますます声を荒げて興奮している。車内からは何の反応もない。おじさんは一瞬立ち去るそぶりを見せたが、ドアが閉まる直前に急いで車内に舞い戻って来た。

 おじさんが怒っている相手は 20 代と思われる若者。話を聞いていると、車内の奥のほうにいたおじさんが下車する際に、「道を開けてくれ」と若者に頼んだらしい。なかなか通してくれない若者におじさんが文句を言うと、「満員で身動きが取れないから仕方ないやろ」みたいなことを言ったとのこと。

 車内に舞い戻ってきたおじさんの怒声はとどまることなく続く。
「兄ちゃん、次の駅で降りろや。なあ。文句があるんやったら勝負したらええやないか」
若者は黙ったままだ。車内に緊張感が漂う。
「なんや、若いくせにこんな年寄りが怖いんか。なんやったら、兄ちゃんにだけ武器持たせたってもええで」
それでも若者は反応しない。やがて電車が次の駅に止まる。
「しょうもないやつやな。勝負するのが怖いんやったら、おとなしい謝っとけけや」
おじさんははき捨てるようにそう言って電車を降りていった。車内に安堵感が湧く。

 世の中にはこういうタイプの人が時々いる。何事も腕力で決着を付けようとする喧嘩好きの人だ。気に入らないことがあると、すぐに「文句があるんやったら外でやろうや」と言う。私はこういう人を「決闘値の高い人」と呼んでいる。こういう決闘値が高い人に対しは、国の措置として決闘値を下げる注射を打つべきだ。迷惑極まりない存在である。

 今回の出来事で、この決闘値が高いおじさんが悪い事は火を見るより明らかなのだが、若者も若者だと思う。自分が悪いと思っていないことに対しては謝りたくないという信念なのかもしれないが、「すいません」とひとこと言っておけば済むことである。別に信念を曲げるというほどの大げさなことではない。公共の場では、周囲の人のことを考えてそうすべきだと思う。それに、こんなご時勢だから、おじさんが逆上してナイフで刺したりということもありえなくもない。そんなことになったら損をするのは自分である。負けるが勝ち。触らぬ高決闘値にたたりなし。決闘値の高い人には注意しましょう。

それって本当に流行語?

 今年も恒例の流行語大賞が発表された。見事大賞に輝いたのは「なでしこジャパン」とのこと。ほかに候補に挙がったことばは、「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「絆」「こだまでしょうか」「どじょう内閣」「ラブ注入」「スマホ」「どや顔」などらしい。

 以前から思っていたことなのだが、果たしてこういうことばは本当に流行語と呼べるんだろうか。流行語と聞いて私が思い浮かべるのは、「がちょ~ん」「お呼びでない」「ちょっとだけよ」「おしゃまんべ」「当たり前田のクラッカー」「どろんする」「シェー」といったことばだ。残念ながら、古いものしか思いつかなかったが、多くの国民に長期に渡って浸透し、何かにつけて使われていたことばである。

 それに対して、「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「どじょう内閣」「スマホ」などは、今年話題になったり注目を集めたりした事象であり、何かのおりにそれを口にするといった類のものではない。そういう意味で言うと、今年の候補の中で「流行語」と呼んでも差支えがなさそうなものは「ラブ注入」しかないような気がする。「ラブ注入」が、老若男女を問わず、どの世代にも広く浸透したかどうかは別として。

 多様化がますます進む現代社会では、昔のように世代に関係なく誰もが知っているような流行語というのものはもう生まれないのかもしれない。最近では、世代を超えてだれもが歌えるようなヒット曲がほとんど生まれなくなったのと似ている。裏返して言えば、昔は娯楽の選択肢が少なかったため、みんなが同じものを見て同じように興じていたということである。楽しみや娯楽が多様化し、各人がそれぞれの楽しみを持てる今の時代と、どちらのほうがいいのかはよくわからないが。

 今年最も印象に残った出来事や事象という意味では、「なでしこジャパン」が大賞を受賞したのは妥当だと思う。このあとの年末の恒例行事といえば今年の漢字。今年はどんな漢字が選ばれるんだろうか。今年も残りわずか。終りよければすべてよしにしたいものである。

ひとり焼肉、ひとりカラオケ、ひとり鍋、ひとり酒

 ひとり焼肉専門店「ひとり」に続いて、ひとりカラオケ専門店「ワンカラ」が明日 11 月 25 日にオープンするらしい(「ひとりカラオケ専門店「ワンカラ」体験してみた!」を参照)。焼肉にしてもカラオケにしても、こういう店が成立するということは、それだけ需要があるということなんだろう。「FNN ニュース: 1人カラオケの専門店」によると、一人しゃぶしゃぶの専門店もあるという。

 こういう「おひとり様市場」が拡大しているのは、人との関わりを避けて、いろんなことをひとりで楽しみたいという人が増えているからなのか、それとも本当は大勢で行きたいけど、なかなか一緒に行く人が見つからないからなんだろうか。もちろん、そういうところにひとりで行くのが楽しい人は、それを楽しめばいいと思うが、私個人としては焼肉も鍋もカラオケもひとりで行きたいとは思わない。特にカラオケについては、大勢で行くこともあまり好きではないため、ひとりでなんて考えられない。

 人とつるんだり他人に付和雷同したりせずに、いろんなことをひとりでやろうとする「ひとりで」精神は大切だと思うが、こういう「ひとりで」は寂しくてよろしくない。

 ひとりで行っても寂しくないのは映画と飲み屋である。映画はむしろひとりのほうがいいとも言える。それと、カウンターがある居酒屋やバーなどにひとりで行くのもけっこう好きだ。友人と、ああだこうだとしゃべりながら飲むのも楽しいが、知らない店にふらりと入って、店の人としゃべったり、何回か通っているうちに常連さんと顔見知りになったりするのもなかなか楽しいものである。

 ここ数年は、健康上の理由と経済的な理由から、ひとり飲みを控えていたのだが、最近どうしても行ってみたい店ができた。カウンターが中心の関東煮の店だ。関東煮は「かんとだき」と読む。おでんのことである(厳密に言うと、おでんと関東煮は別のものらしいが)。近いうちに行ってみることにする。

 「おひとり様市場」の拡大に伴い、今後はどんなひとり専門店が登場するんだろうか。自分にぴったりのひとり専門的が登場したら行ってみたいけど、個室でひとりでひっそりと飲む「ひとり居酒屋」だけはごめんだ。

パソコン要らないやつ

 やるべきことを次から次へとこなしているのに、私の「やること」リストはいつまでたってもきれいにならない。厳密に言うと、「やること」リストの項目は、「やりたいこと」と「やらなければならないこと」に分かれる。「やりたいこと」は放っておいてもやるので、リストにいつまでも残るのは、当然「やらなければならないこと」ばかりになる。

 早いもので、今年もあとわずかであわただしい年末がやってくる。この時期の「やること」リストの項目で、最もやっかいなものが年賀状書き。以前は、私の年末の「やること」リストにも「年賀状」の文字がいつまでも残っていたのだが、数年前に年賀状を書くのをやめることに決めてからは、その重圧から完全に開放された。一度書くのをやめてしまうと、再びあの重圧を味わうのはもうゴメンだと思う。「今年は久しぶりに会いたいですね」みたいな白々しいコメントを書くのが嫌になったことも年賀状を書くのをやめた理由の 1 つである。

 「『新年おめでとう』はNG? 震災で年賀状に異変‎(日本経済新聞)」によると、東日本大震災の影響を受けて、「おめでとう」や「謹賀新年」といった文言を使っていいものかと悩む人が増えているという。しかし、「おめでとう」や「謹賀新年」は決まり文句みたいなものなんだし、そこまで気にする必要があるんだろうか。被災していない人に出すのであれば、別に問題はないと思う。今回の震災で被災した知り合いに出すのであれば、同じデザインのものに、ねぎらいのことばを書き加えればいいのではないだろうか。

 年賀状といえば、最近気になるのが EPSON の Colorio Me の CM 。この CM で黒木メイサさんは、「これお土産。パソコン要らないやつで~す」と言っている。私は最初、「パソコン要らないやつ」は「要らなくなったパソコン」という意味だと思っていた。要らなくなったパソコンを娘が母親に持ってきたんだと思っていたのだが、「パソコンを必要としないプリンター」という意味であることが判明。「パソコン要らないやつ」は「不要なパソコン」と「パソコンを必要としないやつ(プリンター)」の 2 とおりに解釈できる。もちろん、目くじらを立てるほどのことではないのだが、こういう些細なことが気になる。きっと職業病だ。

 Colorio を使うと、印刷業者に頼んだようなきれいな年賀状ができあがるようである。年賀状を出さない私にそんなことを言う資格はないのかもしれないが、そこまできれいなものができるのであれば手作りする必要があるんだろうか。プリントごっこのような、手作り感が漂うものであればある程度意味があると思うのだが。



こんなところでもイチロー

 私の子ども時代の伝記の定番と言えば、エジソン、リンカーン、ワシントン、キュリー夫人、ライト兄弟など。どちらかと言えば外国人のものが多く、日本人だったら野口英世とか青木昆陽くらいしか思い浮かばない。

 「特集:第57回学校読書調査(その1) 高学年ほど「感動」」によると、最近の伝記の定番は、私たちの時代とはずいぶん様変わりしているようである。最近の子どもたちの間では以下の伝記が人気があるらしい。

男子に人気のある伝記

  • イチロー
  • エジソン
  • 坂本龍馬
  • 織田信長
  • 野口英世

女子に人気のある伝記

  • ヘレン・ケラー
  • マザー・テレサ
  • ナイチンゲール
  • アンネ・フランク

 男女ともに 2 位以下の順位は多少異なるが、小中高いずれでも、1 位はそれぞれイチローとヘレン・ケラーらしい。伝記と言えば、歴史上の偉人が対象になるものだとばかり思っていたのだが、イチローが 1 位とは驚きだ。私たちの時代で言えば、王選手が伝記になるようなものだ。現役で、しかも 30 代という若さでありながら伝記として扱われるのは、海を渡り遠い存在になったからだろうか。こんなところでもトップを取るイチローはつくづくすごいと思う。坂本龍馬がランクインしているのは、きっと昨年の大河ドラマの影響だろう。 
 

4062712040イチロー (火の鳥人物文庫)
佐藤 健
講談社 2000-11-20

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4061475045ヘレン=ケラー自伝 (講談社火の鳥伝記文庫 (4))
ヘレン=ケラー 柳 柊二
講談社 1981-11-19

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なでしこジャパンと国民栄誉賞

 なでしこジャパンに国民栄誉賞を授与する方針を政府が固めたとのこと。政権浮揚を目的とした政治利用であると批判している人もいるが、枝野官房長官が「このことで政権浮揚できるならこんな楽なことはない」と言っているように、こんなことで政府に対する不信感が払拭されるはずはなく、この批判自体は的外れのような気がする。

 私は、なでしこジャパンに賞を授与することには決して反対ではない。今回の彼女たちの快挙は、震災で暗くなっている日本国民に大きな勇気や元気を与えたことは紛れもない事実である。だから、何らかの形で表彰するのは賛成だ。しかし、それは国民栄誉賞なんだろうか。過去には、どんな人が国民栄誉賞を受賞しているのか気になったので調べてみた。受賞者は以下のとおり(受賞順)。

  • 王貞治
  • 古賀正男
  • 長谷川一夫
  • 植村直己
  • 山下泰裕
  • 衣笠祥雄
  • 美空ひばり
  • 千代の富士
  • 藤山一郎
  • 長谷川町子
  • 服部良一
  • 渥美清
  • 吉田正
  • 黒澤明
  • 高橋尚子
  • 遠藤実
  • 森光子
  • 森繁久弥

 受賞者はほとんどスポーツ、芸能分野の人たち。それ以外の人は植村直己さんくらい。もちろん、過去に団体が受賞した例はない。過去の受賞例を鑑みると、なでしこジャパンに国民栄誉賞を与えるのはちょっと違うのではないかと思う。なでしこが国民栄誉賞であれば、WBC で二連覇を遂げた日本の野球チームも国民栄誉賞に値する。スポーツ以外の分野でも、チームとして何かを成し遂げた団体もきっとあるはずだ(たとえばはやぶさのプロジェクトチームとか)。

 これをきっかけに、国民栄誉賞とは別に、偉業や快挙を成し遂げた団体やチームを対象とした賞を設立したらどうだろうか。「日本を元気にしたで賞」ではちょっと軽過ぎるだろうから、「国民希望賞」とか「国民士気高揚賞」とか(名称は、もっといいものをセンスある人に考えてもらうとして)。どちらにしても、今回のなでしこの快挙をきっかけに、日本が立ち直りに向けて前進することを願う。

人間も自然の一部(環境問題について考える)

 原発問題による電力不足が大きな問題になっている。当初は、関西はほとんど影響を受けないと思っていたのだが、先日ついに関西電力も 15% の節電要請を発表した。そんな中、昨日の『たかじんのそこまで言って委員会』では、原子力に代わる新エネルギーについて取り上げていた。自然エネルギーやメタンハイドレートやオーランチオキトリムなど、最近話題になっているさまざまな代替エネルギーについて、専門家の解説が聞くことができて、興味深い内容だった。このような代替エネルギーの開発において、最大のポイントとなるのは、いかに CO2 の排出を削減して、地球環境を保護するかである。

 私は以前から、環境保護や温暖化対策には大きな関心を持っていた。環境問題を真剣に考えて取り組んでいかないと大変なことになると考えてきた。しかし、人間が地球環境や生態系をコントロールできるという考えは、思い上がりもはなはだしいのではないかと最近思い始めている。

 「人間も自然の一部である」と言うと、「いまさらそんなこと当たり前のこと言うな」という声が聞こえてきそうだ。しかし、われわれが自然ということばを使うとき、一般的には人間の活動の影響を受けていないものを指している。「自然が残っている」とか「手付かずの自然」と言った場合、人間の影響をあまり受けていない環境という意味である。

 しかし、人間も数多く存在する生物の 1 つであり自然の一部であることは紛れもない事実である。そうだとすると、自然の一部である人間が引き起こすあらゆる変化や事象も自然であると考えてもいい。つまり、大気汚染も、水質汚濁も、温暖化も、生態系の変化も自然の姿ということになる。人間がコンクリートや材木で家や建物を作るという行為は、鳥が葉や枝を集めて巣を作る行為と基本的には変わらない。単に、環境に与える影響が大きいか小さいかという違いがあるだけである。

 私たち人間は、自分たちが作ったものを人工物、それ以外の物を自然と区別しているが、本当は建物や道路や車など、人間が作ったあらゆる人工物もひっくるめて自然と考えるべきなんじゃないだろうか。すべてが、自然の一部である人間が作ったものなのだから。

 考えてみれば、人間が地球上に存在する前から、地球ではさまざまな変化が起こっており、三葉虫や恐竜やカモノハシなど、これまでにさまざまな種が絶滅している。また、現在でも、局地的な観点から見れば、北海道ではエゾシカが増加しており、従来の自然・森林生態系を変えてしまうおそれがあるという。このように、環境を破壊し生態系を変えてしまうのは、人間に限ったことではない。もし人間が存在しない環境でエゾシカが爆発的に増殖すれば、最終的には自分たちの食料を食いつくし、その結果エゾシカの個体数が減ることになる。このように、増えすぎた種は自然に減るという仕組みによって、地球上のバランスは保たれてきた。また、特定の種が絶滅しても、地球は生態系の変化にうまく対応してきた。

 人間がこれまでどおりの活動を続けると、環境破壊、生態系の変化、温暖化が進んで、大変なことになると言われている。しかし、この「大変なこと」というのはあくまでも、人間の視点でとらえたものであって、地球にとっては別に「大変なこと」ではないのかもしれない。つまり、人間によって環境や生態系が変化し、その結果人間が地球上からいなくなれば、地球は時間をかけてまた別の姿に変化していく。要するに地球(自然)の自浄力が働いたことになる。また、人間が知恵を働かせて、環境を保護し、徐々に昔の状態に戻すことができたとしたら、これも自然の一部である人間が行ったことであるから、自然の自浄力が働いたことになる。地球にとっては、どちらの結末になろうとも、大きな違いはないのかもしれない。

 地球は 46 億歳。それに対して人間はたかだか 5 万歳。約分すると 46万歳と5 歳である。地球上の新参者とすら呼べない存在である。宇宙や地球に意思があるとするならば、「ついこの前生まれたばかり人間が、地球の環境をどうのこうの言うのは、100 年、いや 1 億年早い」と思っているかもしれない。

サマータイムとユーモレスク

 今日から 4 月。新年度である。今日の川西は、ユーモレスクがぴったりのぽかぽか陽気。こんな穏やかな春の昼下がりに、「地震は実はエイプリルフールでした」って神様が言ってくれたらどんなにいいだろうと思う。

 関東地方の電力不足の対応策として、サマータイムの導入が検討されているというニュースが伝えられたが、その後どうなったんだろう。立ち消えになったのか。日没が遅くなる分、ピーク電力がずれていいんじゃないか、と単純に私は思うのであるが、そんなに簡単な話じゃないという専門家もいる。システムの問題などもあって、大混乱を招くため、効果よりも問題のほうが大きいというのだ。

 正直言って、サマータイムを導入することによるメリットとデメリットのどちらのほうが大きいのかはよくわからない。でも、世界の多くの国で長く採用されているシステムなんだから、メリットのほうが大いはずだ。日本でも採用できないはずがない。実際、日本でも、1948 年から 1951 年まで(昭和 23 年から 26 年まで)採用されていた。そのことは、子どものころ父親から聞いたことがある。

 現在の日本でサマータイムを導入することによって、節電効果があるのか、経済効果があるのかは私にはよくわからない。しかし、数字に表れない心的な効果というものもあるのではなかろうか。私は過去に日本で行われたサマータイムがどんなものだったのかは知らないが、海外でサマータイムを経験したことはある。5 月の上旬にロンドンを訪れたのだが、9 時半ごろまで明るかったと思う。そんな時間に外が明るいと、気分も明るくなる。家の中に閉じこもっていないで、外に出て遊ぼうかという気分になる。

 5 月の上旬でこうなんだから、夏至のころのロンドンはきっと 10 時を過ぎても明るいんじゃないだろうか。関西では、夏至のころは 19 時ごろまで明るい。完全に暗くなるのが 19 時半ごろか。日本で 2 時間のサマータイムを実施したら、いちばん日が長いときだと 21 時~ 21 時半ごろまで明るいことになる。緯度が高い東北や北海道ではもっと日が長くなることになる。想像しただけでも楽しい。問題になっているプロ野球のナイターも、実質午後 4 時(サマータイムの午後 6 時)に開始することになり、本格的に照明を点ける前に試合が終るなんてこともあるかもしれない。

 システムの変更については、この際専門家に苦労していただいて、是非ともサマータイムやろうじゃありませんか。実を言うと、私はサマータイムが開始される瞬間と終る瞬間を体験してみたいのである。切り替えの日は、午後 10 時で 1 日が終わる。テレビ番組はどうなるの?電車はどうなるの?いつも 12 時に寝る人は、当然午前 2 時ごろまで眠くならないから、全国的な寝不足が発生する。逆に、サマータイムの最終日は、12 時を過ぎてもその日が終らない。午後 13 時とかって呼ぶのだろうか?その幻の 2 時間の間に生まれる子どもだっているはずだ。「私は○月○日の、午後 13 時(25 時)に生まれました」という珍しい現象も起こる。

 夏の明るい夜を想像しながら、たまにはクラシックを聴いてみるのもいいものです。私の大好きなユーモレスクをどうぞ。 



 
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