原発問題による電力不足が大きな問題になっている。当初は、関西はほとんど影響を受けないと思っていたのだが、先日ついに関西電力も 15% の節電要請を発表した。そんな中、昨日の『たかじんのそこまで言って委員会』では、原子力に代わる新エネルギーについて取り上げていた。自然エネルギーやメタンハイドレートやオーランチオキトリムなど、最近話題になっているさまざまな代替エネルギーについて、専門家の解説が聞くことができて、興味深い内容だった。このような代替エネルギーの開発において、最大のポイントとなるのは、いかに CO2 の排出を削減して、地球環境を保護するかである。
私は以前から、環境保護や温暖化対策には大きな関心を持っていた。環境問題を真剣に考えて取り組んでいかないと大変なことになると考えてきた。しかし、人間が地球環境や生態系をコントロールできるという考えは、思い上がりもはなはだしいのではないかと最近思い始めている。
「人間も自然の一部である」と言うと、「いまさらそんなこと当たり前のこと言うな」という声が聞こえてきそうだ。しかし、われわれが自然ということばを使うとき、一般的には人間の活動の影響を受けていないものを指している。「自然が残っている」とか「手付かずの自然」と言った場合、人間の影響をあまり受けていない環境という意味である。
しかし、人間も数多く存在する生物の 1 つであり自然の一部であることは紛れもない事実である。そうだとすると、自然の一部である人間が引き起こすあらゆる変化や事象も自然であると考えてもいい。つまり、大気汚染も、水質汚濁も、温暖化も、生態系の変化も自然の姿ということになる。人間がコンクリートや材木で家や建物を作るという行為は、鳥が葉や枝を集めて巣を作る行為と基本的には変わらない。単に、環境に与える影響が大きいか小さいかという違いがあるだけである。
私たち人間は、自分たちが作ったものを人工物、それ以外の物を自然と区別しているが、本当は建物や道路や車など、人間が作ったあらゆる人工物もひっくるめて自然と考えるべきなんじゃないだろうか。すべてが、自然の一部である人間が作ったものなのだから。
考えてみれば、人間が地球上に存在する前から、地球ではさまざまな変化が起こっており、三葉虫や恐竜やカモノハシなど、これまでにさまざまな種が絶滅している。また、現在でも、局地的な観点から見れば、北海道ではエゾシカが増加しており、従来の自然・森林生態系を変えてしまうおそれがあるという。このように、環境を破壊し生態系を変えてしまうのは、人間に限ったことではない。もし人間が存在しない環境でエゾシカが爆発的に増殖すれば、最終的には自分たちの食料を食いつくし、その結果エゾシカの個体数が減ることになる。このように、増えすぎた種は自然に減るという仕組みによって、地球上のバランスは保たれてきた。また、特定の種が絶滅しても、地球は生態系の変化にうまく対応してきた。
人間がこれまでどおりの活動を続けると、環境破壊、生態系の変化、温暖化が進んで、大変なことになると言われている。しかし、この「大変なこと」というのはあくまでも、人間の視点でとらえたものであって、地球にとっては別に「大変なこと」ではないのかもしれない。つまり、人間によって環境や生態系が変化し、その結果人間が地球上からいなくなれば、地球は時間をかけてまた別の姿に変化していく。要するに地球(自然)の自浄力が働いたことになる。また、人間が知恵を働かせて、環境を保護し、徐々に昔の状態に戻すことができたとしたら、これも自然の一部である人間が行ったことであるから、自然の自浄力が働いたことになる。地球にとっては、どちらの結末になろうとも、大きな違いはないのかもしれない。
地球は 46 億歳。それに対して人間はたかだか 5 万歳。約分すると 46万歳と5 歳である。地球上の新参者とすら呼べない存在である。宇宙や地球に意思があるとするならば、「ついこの前生まれたばかり人間が、地球の環境をどうのこうの言うのは、100 年、いや 1 億年早い」と思っているかもしれない。