便利は新しい不便を生む
今日の午後は、仕事が一段落してちょっと時間的な余裕ができたので、久しぶりに長めのウォーキングに出かけた。風が多少強かったが、春のやわらかい陽射しが気持ちよかった。今日の歩行数は 12,238 歩。今週の前半は忙しくてあまり歩けなかったので、今日のウォーキングで今週の歩数不足を十分に補うことができた。フリーランス翻訳者の最大の敵は運動不足で書いたように、週単位で 1 日平均 5,000 歩を達成することを目標に掲げているのだが、この目標を達成するのは容易なことではない。「時間ができたら歩こう」ではなく、無理やりにでも歩く時間を作らないと達成できない。
しかし、よく考えてみれば、健康のために歩くというのはまことに妙な話だ。現代では、歩くこと自体が目的になってる。落語を通して見る江戸時代の生活と世相でも書いたように、江戸時代の人にとって歩くことは移動の手段だった。歩かないと目的の場所に行けないから歩いていた。現代のように健康のために歩いている人なんかいなかった。
自動車や電車などの発明によって、短時間で楽に目的の場所に移動できるというメリットが生まれたおかげで、現代人には運動不足という新しいデメリットが発生し、その結果私たちは健康のために歩くという本末転倒な行為を行っていることになる。
医学の進歩についても同じことが言える。医学が進歩したおかげで、多くの人の命が助かるようになった。人の寿命も大幅に伸びた。しかし、このようなプラスによって、新しいマイナスが生み出されている。たとえば、医学的措置によって寝たきりや植物状態で生きている人たちが、家族に大きな負担を与えているといった状況だ。
新しい便利(プラス)が生まれると、必ず形を変えて別の不便(マイナス)が生じる。そして、私たちは新しく生じた不便を解消するような便利を生みだし、それに伴ってまた新しい不便が生まれる。便利と不便で常にプラスマイナスゼロ。大局的に見れば、世の中は太古の昔からまったく進歩していないのかもしれない。これって、昔物理で習ったエネルギー保存の法則に似ている。いや、作用と反作用の法則か?まあ、どっちでもいい。
間もなくプロ野球セ・リーグが開幕する。野球シーズンがまた始まることにわくわくしている。野球が始まることによって生じるデメリットもちろんある。私の場合は、野球依存症という病気が発症することである。
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