地図とタイムマシンと私
タイムマシンというものが本当にあったら、私には是非とも旅行してみたい時代と場所がある。
私は子どものころ地図を見るのが大好きだった。知らない町の地図を見て、そこはどんな雰囲気なんだろうかとか、どんな風景なんだろうかとか、どんな人たちが生活しているだろうかとか、そんなことを想像するのが好きだったのである。趣味は何かと聞かれたら、「地図を見ること」と答えるくらい地図が好きだった。
今も忘れられない地図との出会いがあったのは、中学 1 年か 2 年のときだったと思う。その地図は伯父の家に遊びに行ったときに見つけた。普段見ている地図とはまったく違うその地図を、私は食い入るように見た。
それは南樺太も台湾も朝鮮半島も日本だったころの戦前の日本地図だ。北九州市もまだ誕生しておらず、小倉市、戸畑市、門司市、若松氏、八幡市の拡大地図が北九州都市郡として記載されていたような記憶がある。
私は、台湾、朝鮮半島、千島列島など隅から隅までその地図を堪能した。その中で、私を最も魅了したのが南樺太である。その地図から、当時の樺太には、豊原や大泊といった町があったことがわかった。樺太における政治・経済・文化の中心であった豊原は、碁盤目状に作られた計画都市だったらしく、地図からも日本最北の都市としてのロマンが漂っていた。私は豊原の市街地図を見ている内に、そこに行ってみたいという思いに駆られた。
私は今でも、この地図のことを思い出すことがある。もう一度あの地図を見たい。あの時、こっそり自分の物にしておけばよかったと後悔している。現存する日本の街であれば、その気になればいくらでも訪れることができる。しかし、豊原はもうない(当時の豊原の写真は豊原@新樺太市を参照)。豊原と呼ばれた町は、今もユジノサハリンスクという名前でサハリンに存在するが、豊原に行くことは絶対にできない。
この世にタイムマシンがあって、一度だけ好きな時代の好きな場所に連れていってやると言われたら、迷わず戦前の豊原を選ぶ。もしそれが実現したら、私はきっとこんな歌を口ずさむ。
トゥルリラー トゥルリラー 風にふかれて
豊原の町を 歩いてみたい
(注: 元歌は松田聖子の「野ばらのエチュード」)
旧豊原(現在のサハリン州ユジノサハリンスク)の位置
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