『秘密』の本当の秘密は・・・
昨夜 TBS 系列で放送された東野圭吾原作の映画『秘密』。私は常に自分がもし藻奈美だったらと考えながら見ていた。この映画を見ていない人のために簡単にあらすじを紹介しておく。
杉田家は平介(小林薫)、妻・直子(岸本加世子)、高校生の娘・藻奈美(広末涼子)の 3 人家族。ある日、スキー旅行に出かけた妻の直子と娘の藻奈美が乗ったスキーバスが転落事故を起こす。直子は息を引き取るが、藻奈美は一命を取りとめる。誰もが、死んだのは妻で生き残ったのは娘だと思っていたのだが、藻奈美の体に実際に宿っていたの妻直子の人格だった。平介と藻奈美(実際には直子)は、世間的には父と娘、実際には夫と妻して暮らすことになる。
これから見たいと思っている人のために、この先の展開は話さないでおく。自分には娘がいないので、この映画の設定をそのまま自分に置き換えることはできなかった。それよりも、もし自分が妻直子のような状況になったらどうなんだろうと考えていた。つまり、人格や経験や思想は今のままで、高校生くらいの年齢になってしまったらどんなもんだろうと考えていた。
もちろん肉体が若くなることは悪いことではない。学校でもう一度勉強し直すことも楽しいかもしれない。しかし、当然ながら友達はみな高校生だ。中身は中年のおじさんなんだから、高校生となんか遊んで楽しいわけがない。先生もたいていは年下だろうし、うっとうしいこともいっぱいあると思う。しかし、その一方では、これまでの経験や積み重ねてきた知識を生かして、人生を有利に進められるかもしれないし、今とは違う新しい人生を切り開けるかもしれない。
しかし、もし神様が現れて、「人格や経験や知識は今のままで高校生の年齢戻してやることができるが、どうする」と聞かれたら、やっぱり「戻していらない」と答えるかな。もし、高校生の年齢に戻れるとしたら、今までの経験や知識はきれいさっぱりクリアして、その年相応の中身がいい。そうじゃないと楽しくない。それで、実際にそうなったとしたら、人生の岐路において、やっぱり過去の自分と同じ選択をして、時にはうまくいき、時には同じ失敗をしながら、現在のような自分になってるんだろう。きっと、今思い出しても穴があたったら入りたくなるような、「あんなこと」や「あんなこと」を性懲りもなく繰り返すんだろうなあ。あんな恥ずかしいことをまたやっている自分を想像するだけでぞっとする。それだったら、若いときに戻らなくても今のままでいい。
「世間的には娘だけど本当は妻」ということがタイトルの『秘密』の意味だと思って見ていたのだが、最後の最後に本当の「秘密」が判明。これが本当の「秘密」だったのかと思わずつぶやいてしまった。まあまあおもしろい映画だった。
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