夢の中で吸うタバコはうまい
タバコを止めて 3 カ月になる。きっかけは、『禁煙セラピー―読むだけで絶対やめられる』を読んだこと。あれだけヘビースモーカーだった自分が、この 3 カ月間 1 本もタバコを吸っていないなんてちょっと信じ難い。
3 箇月もすれば、タバコなんて吸いたくなくなるのかと思っていたが、そんなことはない。今でも無性に吸いたくなるときがある。タバコを吸ってしまって後悔している夢もよく見る(夢の中で吸うたばこはむちゃくちゃうまい)。一筋縄ではいかんなあ。
タバコが吸いたくなると、『禁煙セラピー―読むだけで絶対やめられる』に書いてあったことを思い出すようにしている。そしたら、やっぱりもう一度吸おうとは思わない。あんなバカバカしい習慣に逆戻りなんてしたくない。タバコを止めたことで、年間 20 万円以上も節約できることは大きなメリットなのだが、それ以上に「タバコから開放された」ことのメリットのほうが大きいと思う。
近々、タバコ購入の認証制度が始まるようだが、このシステムいいね。今いちばん怖いのは、出来心でタバコを買ってしまうことだけだから。過ちが起こらないうちに、早くこのシステム導入してくれないかな。
タバコを止めたいと思いながら、なかなか止められない人は、『禁煙セラピー―読むだけで絶対やめられる』を是非読んでみてください。うそみたいに簡単に止められるかも。
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『読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー 』のくにしろの評価:
参考・参照サイト
自分に足らないもの
自分に足りないものを調べてくれるサイト(たりないものメーカー)を見つけたので調べてみた。こんな結果が出た。
くにしろさんに足りないものくにしろさんは周りの人に、以下のものが足りないと思われています。
耐震強度 (29%)
存在感 (26%)
睡眠 (21%)
腐敗臭 (16%)
アレ (8%)
確かに最近睡眠不足だ。
でも、「アレ」って何だ?
今年はうるう(閏)年だけど、「うるう」って何?
気になってならないの「うるう{閏}年 うるう月 うるう日 うるう秒」を読んで、「うるう」が気になったので調べてみた。
今年はうるう(閏)年。広辞苑で「うるう年」を引くと「閏のある年」と定義されている。「うるう年」以外にも、「うるう月」、「うるう日」、「うるう秒」といったことばも耳にする。「うるう」っていったい何なのだろう。
うるう【閏】
(「潤」と書き誤ったところからの訓) 季節と暦月とを調節するため、平年より余分にもうけた暦日・暦月。地球が太陽を一周するのは三六五日五時四八分四六秒だから、その端数を積んで、太陽暦では四年に一回、二月の日数を二九日とし、太陰暦では平年を三五四日と定めているから、適当な割合で一年を一三ヵ月とする。
うるう‐づき【閏月】
閏に当る月。太陰暦で、一二ヵ月のほかに加えた月。
うるう‐び【閏日】
二月二九日のこと。
うるう‐びょう【閏秒】
協定世界時において、世界時との差が大きくならないように加える余分の秒。
(『広辞苑第四版』より)
「うるう」の使い方としては、(1)「うるう秒」「うるう日」「うるう月」にように、「うるう」の対象となる時間単位を表す使い方と、(2)「うるう年」のように、「うるう」が存在することを表す使い方がある。
したがって、「うるう」がある年は (2) の使い方により「うるう年」と呼ぶ。それでは、「うるう秒」がある年も「うるう年」と呼ぶんだろうか?(うるう秒実施一覧によると、最も最近うるう秒が実施されたのは 2006 年 1 月 1 日のようである)
「うるう(日)」がある年を「うるう年」と呼ぶならば、「うるう秒」がある年は「うるう秒年」と呼ぶのが理屈的には正しいのではないかと私は思う。今年は「うるう年」だけど、「うるう秒年」ではない。
「うるう秒」を実施する日としては、1 月 1 日と 7 月 1 日の 2 種類があるようだから、「今年の 7 月は『うるう秒月』だ」とか「今年の 7 月 1 日は『うるう秒日』だ」みたいな言い方もできると思う。実際に専門家が、通常の「うるう年」と「うるう秒年」を区別しているのか、また区別して呼ぶ必要があるのかどうかはわからないが・・・。
(Google で "うるう秒年"で検索してみた結果、1件もヒットしなかったので、「うるう秒年」という言い方は存在しないようである。残念)
追記: 『西向く侍はもう通用しない?』で「うるう」に関して補足。
参考・参照サイト
ブログのカテゴリについて考える
お気に入りの分類・整理も難しいが、ブログのカテゴリー設定も難しい。
テーマがはっきりしているブログやビジネス系のブログ(企業の情報発信ブログなど)などでは、カテゴリは大きな意味を持つのだろうが、このサイトのような雑談系というか、日記系のサイトでは、カテゴリをどのように設定したらいいか悩んでしまう。日記系のほかの方のブログを見てみても、その人の趣味や興味の対象によって多少の違いはあるが、だいたいはよく似たカテゴリ設定になっている。
私は最初、「どうでもいいこと」というカテゴリを作っていたのだが、よく考えてみたら、ここはサイト名が示すとおり、「雑談」を書きなぐるサイトであり、投稿のほとんどが「どうでもいいこと」である。だから、「どうでもいいこと」というカテゴリ設定はまったく意味をなさないことに気づいた。
現在は、「どうでもいいこと」を親カテゴリとして残し、その下にいくつかのサブカテゴリを配してみた(このようにサブカテゴリを設定できることが Movable Type のいいところの 1 つだと思う)。果たして、これが適切なカテゴリ設定なのかどうかはわからないが・・・。
お気に入りの分類・整理と同じで、カテゴリを細分化しすぎるとそのときの気分で分類が変わってしまうし、大まかにし過ぎると求めている情報が見つけにくくなってしまう(なるべく大まかに分類し、細かい分類はタグでという考え方がベストなのかも)。
でも、本当のことを言うと、こういうサイトでカテゴリなんてもの自体が意味を持たないような気もする。多分、カテゴリ別に記事を読む人なんてほとんどいないと思う。実際に、私がほかの人のブログを読んでいるときもカテゴリなんて気にしてないし・・・。実際のところはどうなんでしょう。人のブログを読むとき、カテゴリを活用しているって人はどれくらいいるんでしょうか。
私は以前から、「ブログは記事が埋もれやすくなる」と感じていた。記事が埋もれないようなサイトをブログで構築している人もいるが、そのような例は少ない。価値のある貴重な情報を伝えるのなら、ブログではなく一般の Web サイトのほうがいいのではないかと思うが、更新の容易さや機能性を考えるとやっぱりブログに軍配が上がるのでしょうか。
私にとって、お気に入りの分類・整理とブログのカテゴリ設定は、答えが簡単には見つかりそうにない永遠のテーマである。