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トイレの鍵はかけましょう

私が通っているジムのトイレは、女性専用と男女兼用の2種類がある。どちらも個室のトイレだ。男性専用のトイレはない。

私が苦言を呈したいのは、トイレの鍵をかけないおじさんたちだ。鍵をかけるのが面倒な気持ちはわかる。小であればすぐに終わるので、鍵をかけるまでもないと思うのだろう。しかし、男性専用のトイレはないわけだから、おじさんが使うトイレは当然女性も使う。鍵がかかってなければ、誰も使っていないと思ってドアを開けてしまう。おじさんが用を足しているところなんか誰もみたくない。

トイレの鍵は自分のためにかけるのではない。ほかの人のためにかけるのだ。ドアを開けたらおじさんがいるってのは、男の私でもあまり気分のいいものではないし、「すいません」っといってまた並び直すのも面倒だし。

面倒でしょうが、ほかの人のためにトイレの鍵をかけられるデリカシーのあるおじさんになりましょう。

純喫茶って死語?

おしゃれな喫茶店にひとりで入るのはなんとなく気恥ずかしい。ガラス張りで外から丸見えの喫茶店などは最悪だ。

私が好きな喫茶店は、ちょっとだけおしゃべりのおばあちゃんがやっているような、昔風のあんまりおしゃれじゃない喫茶店。いわゆる「ダサい」店。写真が背景になっている壁掛け時計なんかが飾ってあるようなところだとなおよい。

学生のころ「純喫茶」っていう看板をよく目にしたが、最近はあまり見ない。当時友人に、「純喫茶ってのは飲み物を中心とした店で、食べるものはカレーやピラフなど、簡単なものをせいぜい 3 ~ 5 種類くらいまでしか出さない店だ」と教えられた。これが純喫茶の定義だと、ずっと思ってこれまで生きてきた。

ところが、「純喫茶とは、酒類を扱わない、純粋な喫茶店のこと。酒類を扱い、女給(ホステス)による接客を伴う「特殊喫茶」に対しての呼称」(Wikipedia)だそうだ。へえ~、そうなんや。

でも、この純喫茶ってことば、ものすごく昭和の香りがする。

純喫茶を探せ!
純喫茶を探せ 2

携帯電話の料金

少し前の仕事で、中国の携帯電話事情に関する文書を翻訳していたときに、「へえ~」と思ったことがあった。それは、中国では、(携帯)電話代は、電話をかけたほうだけでなく、かけられた(受けた)ほうも支払わなくてはならないということだ。

私たち日本人の感覚からすれば、電話を受けた側も電話代を払わされるなんて信じられないのだが、中国ではこれが当たり前なんだそうだ。ところ変われば常識も変わるということだ。

それで、ふと思ったのだが、日本の携帯メールでは、受信側も料金を払わなければならないのだが、よく考えてみればおかしな話だ。これって、いつの間にか当たり前なってるけど、電話代と同じで、送信側だけが支払うのが公平なんじゃないの?

携帯電話の通話料金と言えば、最近「日本の携帯を高くしている真犯人は」という記事を読んで、これまた「へえ~」と思った。まったく逆のイメージを持っていた。思い込みはよくないね。

抗議しない人の意見 - 幸田來未発言について

幸田來未の発言が大きな問題になっている。「35歳を回るとお母さんの羊水が腐ってくる」といった趣旨の発言に対して、抗議のメールが届いたり、ネットで批判が起きたりし、大きな問題になっているわけだが、私個人としては、そこまで非難する必要があることだろうかと思う。

YouTubeで公開されている実際の放送内容を聞いてみたが、幸田來未にまったく悪意はないようだし、単に「子どもを若いうちに産むことを推奨する」発言だと思う。実際に35歳を超えても羊水が腐ることはないらしいので、単なる知識不足な発言ということで片付けていいのではないか。

もちろん、悪意がなければ何を言ってもいいということではない。この発言で不愉快な思いをした人がいることも事実かもしれない。当然、このような発言に抗議する人の意見は尊重しなければならない。しかし、私は「抗議しない人の意見」というものについても考える必要があると思う。

たとえば、ある発言に対して100件の抗議があったとする。放送局はこれを深刻に受け止め、謝罪したりするわけだが、抗議しない(しなかった人)の意見というものがまったく無視されているような気がする。つまり、抗議した 100 人を遥かに上回る人が、「別に問題発言ではない」と考えているかもしれないということである。

私がもし幸田來未の番組を生で聞いていたとしたら、別に問題発言だとは思わないだろう。しかし、だからといって、「今日の幸田來未の羊水発言にはまったく問題がないと思う」といった意見を放送局にメールしたり、電話したりはしない。この種の問題が発生すると、いつも「抗議しない人の意見」がないがしろにされているような気がして残念である。

実際に、私はサラリーマン時代に「抗議しない人の意見が無視された」事例を経験している。

当時私が働いていた会社で、営業社員が使用しているある書類の書式についての意見を求める文書が回覧されたことがあった。社員の A さんから、「書式のある部分を変えてほしい」という意見が寄せられたらしい。担当者の総務部長は「A さんの意見を反映して書式を変更した」と言った。

ところが、ほかの大多数の社員は、当該箇所は変更しないほうがいいという意見を持っていたようで、結局は元に戻すことになった。もし私がそのような変更要求があることを知っていたなら、変更が行なわれる前に「今のままいい」という意見を述べていたと思う。

この総務部長は、「なるべくみんなの意見を採り入れて、よりよいものに」という考えだったそうだ。しかし、ひとりから意見が出た場合は、ほかの人がどう考えているのかを確認しないとみんなの意見を採り入れたことにはならない。

何も言わないということは、何も意見がないということではない。

チョコレートもカスタマイズできる時代

先日の「きらきらアフロ」で、チロルチョコの「DECO チョコ(デコチョコ)」というのを紹介していた。チョコレートの(個別)包装に自分のお気に入りの写真(画像)をプリントしてもらえるサービスだそうだ。

申し込みはDECO チョコの Web サイトから簡単にできるようだ。1 種類または 3 種類の画像を指定できる。値段は、45個入りで 2,250 円。これ、ちょっとしたプレゼントにいいね。ただし、どんな画像を使うかがセンスの問われるところ。自分の顔写真を使うほど自意識過剰じゃないし・・・(ラブラブの恋人に贈るのなら、自分の顔写真もいいと思うけど。残念ながら、今年のバレンタインにはもう間に合わないか)。

絵を描くのがうまい人なら、オリジナルのイラストを使ってもいい。アイデア次第でおしゃれなプレゼントになりそう。

何でもカスタマイズできる時代なんやなあ。

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