home (Translation Room 9246) > Diary 9246 :: That's 談

今年の夏はそうらーめん

 梅雨が明けて夏本番がやってきた。この暑さがあと 2 カ月続くかと思うとうんざりする。梅雨明けが早いと、夏が早く終るという説もあるが、果たしてどうなることやら。

 夏の昼ごはんの定番といえば、冷たいうどん、冷やし中華、ソーメン。私は特にソーメンを食べることが多いが、ソーメンばかりというのも飽きてくる。そこで、以前から興味があった、永谷園のそうらーめんというものを試してみる。パッケージには、「のどごしはそうめん、味わいはらーめん」と書かれている。

永谷園のそうらーめん

 ソーメン用やざる蕎麦用の麺つゆに浸けて食べるらしい。過去の経験から、こういう奇抜なものは美味かったためしがないので、あまり期待せずに作ってみた。麺だけというのもさびしいので、玉子焼きとハムを切って麺の上に乗せ、冷やし中華風にしてみた。

永谷園のそうらーめん

 このソーメン風の冷たいつけ麺は、キャッチフレーズどおり「のどごしはそうめん、味わいはらーめん」といった感じで、確かに新しい味だ。すごく美味というわけではないが、二度と食べたくないということもない。むしろ、もう 1 回食べてみたいと思わせる不思議な触感と味。点数を付けるとしたら 65 点。ソーメンに飽きたという人は、是非一度試してみたらどうでしょうか。

参考・参照サイト

なぜ書くのか

 Diary 9246 を書き始めたのは 2003 年 の 3 月。およそ 8 年になる。厳密に言うと何度か休止しているので、正味の期間は 5 ~ 6 年といったところだろうか。元々は Translation Room 9246(当時の名称は Kunishiro's Web Page)の一部として、定期的に更新できるコンテンツ(日記)として始めたものである。当時は、ブログなどというものはまだ存在していなかった。ほかの人たちと同様、私も普通の HTML サイトを手動で更新していた。

 何かで読んだのだが、世の中のブログの 85% は休眠ブログらしい。いちばん多いのが 3 カ月でやめてしまうブログで、次が半年とのこと。2 年以上継続しているブログは一握りだそうだ。私の場合、定期的に休止して、そのたびに復活しているので、厳密に言うと、2 年以上継続していることにはならない。こういうのは、ひょとするとかなり特殊なパターンなのかもしれない。

 最近、テキスト庵という Web 上のコミュニティが閉鎖された。Web 上で何らかの文章を書き続けている人たちが集うコミュニティである。私もそのコミュニティに 5 年ほど前から参加していた。いまどき珍しいアナログのコミュニティとして、気に入っていたのでとっても残念である。テキスト庵経由でここを覗いてくれる人も多少なりともいたようなので、もともと少なかったアクセスがさらに少なくなりそうである。

 テキスト庵の古株の人の中には、15 年間ほぼ毎日書き続けているというとんでもない人もいる。私にはとうていまねのできない芸当であり、ただただ尊敬するばかりである。そういう人たちと自分を比べてみると、「自分はなぜ書いているだろうか」と疑問に思うことがある。書き続けて得することはこれといって何もないのに。おそらく、この答えはいつまでも見つからないと思うけれど、なるべく長く続けていきたい。たとえおもしろくなくても、断続的であっても、目的がわからなくても、読んでくれる人がいる限りは。

宇宙人がやってきた

 数日前の出来事。トイレに行きたくなって目が覚めた。リビングの時計を見ると 7 時 50 分。妻はすでに出かけているようだ。中途半端な時間なのであと少しだけ寝ることにする。

 どれだけ時間が経っただろうか。ずいぶん長い時間寝たような気がする。飛び起きて時計を見ると 7 時 50 分のままだった。「なんや、時計止まってたんか」。急いでほかの時計を確認してみる。9 時半だ。ちょっと寝過ぎた。急いで仕事にとりかかる。

 あとで時計の電池を取り替えようと思いながら、時計の件についてはすっかり忘れていた。夜の 11 時ごろになってそのことを思い出す。そういえば、リビングの時計はちゃんと動いている。時間も合っている。

「ひょっとして、時計の電池入れ替えて、時間合わせた?」
と妻に聞いてみる。返ってきたことばは
「そんなことしとらへん」
朝、7 時 50 分で時計が止まっていたはずなのに、時計がちゃんと動いていること、しかも時刻も合っていることを伝えると、
「寝ぼけとったんとちゃうん」
とはき捨てるように言われた。

 絶対に寝ぼけてなんかいなかった。眼鏡をかけて何度も時間を確かめた。だいたい、7 時 50 分と 9 時半を見間違えるはずがない。昼間はずっと仕事部屋にいたので、7 時 50 分で止まっていた時計がいつから正常に動作していたのか、さっぱりわからない。狐やたぬきにばかされたとは思えない。だいたい、狐やたぬきが私を化かす理由が思い当たらない。残された可能性は宇宙人しかない。結局、「これは宇宙人の仕業に違いない」という結論に達したのだが、狐やたぬきと同様、宇宙人がそんなことをする妥当な理由が思い当たらない。何か重大なメッセージを伝えたかったのだろうか。おーい、宇宙人。これは一体どういうことだ~。

一生に一度のお願い

 「なあ、一生に一度のお願いやから」。子どものころ、このフレーズを何回使ったことだろう。少なくとも 100 回は使ったと思う。もちろん、お願いの内容は取るに足らないものばかりだ。「一生に一度のお願い」とは、要するに普通よりはちょっとだけ強いお願いである。

 「一生に一度のお願い」を連発していたのは、せいぜい小学生くらいまでで、中学生または高生になってからは、一度も使ったことはないと思う。一生に一度のお願いは、そんなに軽々しくするものではないことを悟ったのか、それ以外の理由があったのかはよく覚えていないが。

 「一生に一度のお願い」と似たフレーズに、「後生だから」がある。後生とは来世のことらしい。つまり、今世での「一生に一度のお願い」だけでは足らずに、来世の分まで前借りしてお願いするという意味らしい。「後生だから」と言ってお願いするような人は、かなり虫がいい人ということになる。

 閑話休題。「一生に一度のお願い」をしなくなって、もう何十年にもなる。もし神様が、一生に 1 つだけ何か願いをかなえてくれるとしたら、私は何をお願いするだろうか。まず思い付くのは、「一生遊んで暮らせるだけのお金をください」だけど、お金で買えないものもある。愛がお金で買えるか買えないかについては、必ずしも買えないとは言い切れないと個人的には思うが、命がお金で買えないことについては議論の余地がない。だから、一生に一度のお願いは命が危うくなったときに使うべきなのかもしれない。しかし、問題なのは、だれの命が危うくなったときにお願いを発動すべきなのかという点だ。自分の命か、それとも大切な人の命か。

 日がずいぶん長くなった。今くらいの季節は、夕方がいつまでも明るくて気持ちがいい。それほど暑くもないところもいい。最高のビール日和だし、こんな夕方は「一生に一度のお願いやから、ビールのあてに餃子焼いて」とお願いしてみようか。

足子先生があまりにも切ない

 テレビ東京系列で放送しているドラマ『鈴木先生』。昨晩の放送もいつもどおり微妙におもしろかった。生徒からの人気がナンバーワンで、校長先生からの評価も高く、プライベートも充実している鈴木先生。そんな鈴木先生を見て、富田靖子さんが演じる足子(たるこ)先生は激しく嫉妬する。熱心に仕事をし、どんなこともきっちりやっている自分よりも、奇妙な方法で生徒を指導している鈴木先生のほうが人気も評価も高いことがおもしろくないのだ。

 足子先生の気持ちはよくわかる。自分より明らかにレベルが上の人が評価されたり人気があったりする場合は、素直にその人を認められる。しかし、自分よりレベルが低いと思っている人が、自分よりも高く評価されるのは許せない、納得できない、我慢できない。こういう嫉妬心は、誰の心の中にも大なり小なりある。

 以前ある人が、「同僚や仕事仲間に対する嫉妬心は、女性どうしよりも男性どうしのほうがはるかに強い」と言っていた。そのとおりかもしれない。男の嫉妬心のほうが、女の嫉妬心よりもたちが悪いのかも。女になったことがないので、本当のところは、男と女のどちらのほうが嫉妬心が強いのかはよくわからないが。

 富田靖子さんと言えば、デビュー作は『アイコ十六歳』。可憐な少女を演じていた。私が強烈に印象に残っているのは、『あ・うん』で演じたさと子。清純でかわいらしい娘さんを上手に演じていた。そんな富田靖子さんが、こういう役を演じているのを見ると隔世の感を感じてしまう。

 嫉妬心が高じた足子先生は、ある日鈴木先生に「おまえなんか死んじまえ」と言ってしまう。そのあと、鈴木先生を失脚させられそうな事実が判明し、にやりと笑う。足子先生はこのまま壊れてしまうのか。ドラマ『鈴木先生』の足子先生を見ていると、いろんな意味で切なくなってしまう。そもそも、足子(たるこ)という名前が切な過ぎる。

B0052JAC8Y鈴木先生 完全版 DVD-BOX
角川書店 2011-09-07

by G-Tools


B0052JACCA鈴木先生 特別価格版 ~2-A僕らのGo!Go!号外版~  [DVD]
角川書店 2011-08-10

by G-Tools

<<前へ 3637383940|41|42434445 次へ>>