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2013 年にやりたいこと

2013 年年賀状

明けましておめでとうございます。今年もくにしろと「That's 談」をよろしくお願い申し上げます。

年賀状をくださった皆様ありがとうございます。ここ数年年賀状は 1 枚も出していないので、失礼ながらこれをもって年賀状に代えさせていただきます。

 2013 年の川西の元旦は快晴。気持ちのいい冬晴れで、いいスタートが切れそうだ。昨年に続き、今年もやってみたいことをリストアップしておく。

  1. 売上を 50% アップする
  2. 東京デビューを果たす(仕事関連の東京でのイベント(オフ会)やセミナーに参加する)
  3. 文語文法と歴史的仮名遣いをマスターする
  4. NHK 俳句に投稿する(入選を目指す)
  5. 久しぶりに高校の同窓会に出席する
  6. 広島での野球観戦と尾道観光を実現する
  7. パナマ帽が似合う男になる(エントリー「憧れのパナマ帽(気分は健さん)」を参照)
  8. 血圧を下げる(降圧剤の服用を不要にする)
  9. 奥の細道を月山まで歩く(1 年間で 1,048 km 以上歩く)
  10. 体重 5 キロ減と体脂肪率 20% 未満を達成する(1 月 1 日現在、67 キロと 25%)

 1 と 2 は仕事に関連する項目。特に 1 については、毎年言っているだけの感があるので、実現に向けて具体的な方策を講じたい。3 と 4 は俳句に関する目標。一句でもいいから NHK 俳句で入選したい。最重点項目は 8。昨年 7 月に大腸カメラをやった際に血圧が高いことが判明し、それ以来降圧剤を飲み続けている。今年は自力で血圧を安定させ、降圧剤を飲まなくてもいいようにしたい。

 昨年は 3 勝 3 敗 4 引き分けに終わったが、今年の年末こそは勝ち越しを狙う。そして、また今年も多くの出会いがあることを願って、例年どおりこれから初仕事を始めることにする。

憧れのパナマ帽(気分は健さん)

 インターフォンが鳴る。急いで受話器を取る。宅配便で銀座トラヤ帽子店のパナマ帽が届いた。早速開梱してみると金色の文字で GINZA TORAYA と書かれた立派なケースが入っている。生まれてこのかたケース入りの帽子なんて所有したことがない。わくわくしながらフタを開けると、とっても上品な白いパナマ帽が現れる。

銀座トラヤ帽子店のケース


白いパナマ帽

 実は、この帽子は買ったものではなく、とある知り合いからいただいたものである。発端は、その人が Facebook でパナマ帽の写真をアップしていたこと。私が「ステキなパナマ帽ですね」みたいなコメントをしたら、「よかったら差し上げます」とのこと。紹介されているリンクを見てみると、相当高価なものらしい(リンクはこちら)。オークションはやったことがなくめんどうなので、大事にしてもらえるのなら知っている人に使ってもらったほうが嬉しいとのことだった。こんな高価なものを本当にもらっていいのかなあと思いながら、遠慮なくいただくことにした。

 今回パナマ帽を譲ってくれたとある知り合いとは、「ring the bell」というブログを書いていらっしゃる丸の内べるさんという女性。大河ドラマの批評記事が毎回とってもおもしろかったので、ツイッターでフォローさせてもらったことがお知り合いになったきっかけだ(『平清盛』最終回の批評記事はこちら)。

 閑話休題。パナマ帽と言えば夏の帽子。イタリア生まれの帽子なんだろうが、私にとっては映画『あ・うん』で門倉役を演じた(高倉)健さんが被っていた帽子(時代は昭和初期)。それを見たときから、自分も夏はああいう帽子を被ってみたいと常々思っていたのだ。早速届いたパナマ帽を被って鏡に写してみたのだが、あまり似合っていない。きっとこういう帽子を被るには、それなりの格好をしないといけないのだだろう。ジーンズに T シャツではなくスーツだ。しかも、夏らしい白っぽいスーツ。昔買った麻のスーツがあるはずなので、それが着られるようにダイエットに励むこととする。

 夏になったら、パナマ帽を被って健さんみたいにさっそうとそぞろ歩きしたい。半年先の大きな目標と楽しみができた。丸の内べるさん、ステキなクリスマスプレゼントどうもありがとうございました。大切にします。<(_ _)>

ついに江戸に戻って来ました(江戸・京都間を往復しました)

 江戸・京都間(の距離)を 1 年間で歩いて往復することを目標に、今年の 1 月 3 に開始した東海道五十三次ウォーキング。毎日せっせと歩き続けた結果、今日 12 月 25 日に今年の累積歩行距離が 992.07 km に達した。江戸・日本橋と京都・三条大橋の距離は往復で 991 km。あと 6 日残して、今日ついに江戸に戻ってきた。

 991 キロを単純に 366 日で割ると 1 日の歩行距離は 2.7 キロになる。雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、忙しい日も体調の優れない日も、毎日 2.7 キロを歩くことはそれほど簡単なことではなかったが、目標を持って 1 年間歩き続けられたことにちょっとした達成感がある。


大きな地図で見る

東海道五十三次ウォーキング計画の記録

 目標というものはいざ達成してしまうと寂しくなるものである。東海道五十三次を歩き切ったらどううしようと以前から考えていたのだが、今度は奥の細道に挑戦してみようと思う。来年からと言わず、さっそく明日から奥の細道の旅に出ることにした。総距離は 2,106.5 km。とても 1 年で歩ける距離ではない。2 年がかり、つまり 2014 年末までに、大垣に到着することを目標にする。

 明日から新しい旅が始まる。ちょっとわくわくする。

江戸まであと少しのところで、また謎のメッセージに遭遇

 先日ウォーキングをしていたとき奇妙な看板を見つけた。「宇宙平和音頭 ☆宇宙より♡ ---→ みんなの心に♡ みんなあえたあ~、うれし!」と書かれた看板だ。その隣には「宇宙人もおり!! 嘘、駆け引きない新しい文明にかえよう。よろこび、わかつ 悦二」という奇妙なメッセージが書かれた看板も並んでいた。宗教関連のメッセージなんだろうか。よく見ると、「Columbia Music Entertainment」と書かれている。CD の宣伝?家に帰って Google と YouTube でチェックしてみたが、『宇宙平和音頭』なる歌は実際には存在しないようである。

宇宙平和音頭の看板先日見かけた「宇宙平和音頭の看板」

もう 1 つの看板「宇宙平和音頭の看板」の隣にあった奇妙なメッセージ

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死んでから何年生きられるか

 一昨日、仕事関連の勉強会から帰ると友人から FB 経由でメッセージが届いていた。同級生の訃報を知らせるメッセージだった。詳しいことはわからないが、突然の事故などではなく病死だったようだ。長い間地元から離れて暮らしているので、日常的な付き合いがあったわけではないが、子どものころ教室で机を並べて勉強した同級生が亡くなったと思うと、やっぱり寂しい気持ちになる。ご冥福をお祈りします。

 中村勘三郎さんや小沢昭一さんなど、このところ著名人の訃報が続いている。80 歳以上の人が亡くなってもそれほど驚きはしないが、中村勘三郎さん、太平シローさん、金子哲雄さん、桑名正博さんなど、50 代以下の人の訃報を耳にするとショックを感じてしまう(今年亡くなった人のリストについては、「【訃報】2012年 逝ってしまった人たち【合掌】」を参照)。我が身にそのようなことが起こっても、何ら不思議ではない年になったということだ。

 先日ある人がおもしろいことを言っていた。人間は二度死ぬという言うのだ。1 回目の死は肉体的な死である。そして、人々の記憶や心からその人が完全に消え去った時が2 回目の死だそうだ。私のような一般人は、私のことを直接知っている人がこの世から全員いなくなれば、当然だれの心にも残っていないわけだから、その時が 2 回目の死ということになる。

 それに対して、ミュージシャンや俳優などは、音源や映像として記録に残り、人の記憶や心から簡単に消え去ることはない。音源や映像が残っていなくても、先日富嶽三十六景を見に行った葛飾北斎などは、作品という形でいまだに生きているのかも知れない。芸術家はそういう生きた証を残すことができる。

 もっとすごいのは歴史上の人物だ。坂本龍馬はいまだに熱狂的なファンがいる。そいう人達の間では龍馬はまだ死んでいないし、100 年後もやっぱり語り継がれているだろう。もっと古い時代だと、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった戦国武将もいまだに、ドラマ化されたりしているので、このような人たちもまだ死んでいないのかもしれない。

 そう考えると、日本でいちばん長生きしているのは平清盛なのかもしれない。ちょうど今大河ドラマで主演を演じているし、平家物語というノンフィクションの物語の主人公でもある。平清盛以前にも記録として残っている人物は多数いるが、それはひとりの人間として人の心に残っているとは言いがたい気がする。平清盛は1118 年生まれなので御年 894 歳。果たして私は何歳まで生きられるだろうか。

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