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親しき仲にも礼儀あり

 先日、私のコラムを読んでくださっている方から、私の英文が間違っていることを指摘するメールをいただいた。翻訳者を目指してがんばっている学生さんらしい。とても礼儀正しいメールだったので、こちらも間違いを指摘してもらったことに対して、礼儀正しくお礼を言った。礼儀が正しいのは気持ちがいいものである。

 ツイッターを始めて 2 年ほどになる。何人かの方と実際にお会いしてから、ますますツイッターが楽しくなった。ツイッターに限ったことでははいが、メールでも Facebook でも、文字だけのコミュニケーションというのは、表情が見えないので難しいところがある。以前、メールで冗談で書いたつもりが、私が怒っていると相手に受け止められたことがある。面と向かって話しているときなら、そのような誤解を与えることはないのだが、文字だけのコミュニケーションの場合は細心の注意が必要だ。

 世の中には、文字だけのコミュニケーションでも上手に冗談を言える人がいる。相手を不快にさせることなく、むしろ親近感を与えるような楽しいツッコミが得意な人だ。同じようなことをいっているのに、ちょっと乱暴な口調なのに、なぜか許せてしまう人がいる。この人だから、仕方ないかって思ってしまう。こういうのもひとつの才能なんだろう。

 残念ながら、私は文字だけで冗談を言ったり、くだけた感じで話しかけたりするのがあまり得意ではない。いくら「(笑)」を付けようが、顔文字を足そうが、何となくきつく聞こえてしまうところがある(と思っている)。そのことを自覚しているので、人に文字で話しかけるときには、「親しき仲にも礼儀あり」を忘れずに、なるべく丁寧に書こうと心がけている。そのせいで、少しよそよそしかったり、堅苦しくなったりするかもしれないが、相手を嫌な気分にさせるよりはいい。

 ついでに、ツイッターに関して、最近ちょっと気になっていることについて少し書いておきたい。最近、プロフィールなし、ツイートゼロのアカウントにフォローされたのでブロックした、という内容のツイートをちらほら見かける。私はそういうアカウントからフォローされても、別に気にはならないし、実害がない限りブロックすることはない。というか、今までツイッターで誰かをブロックしたことは一度もない。

 エントリー「ツイッターはミニブログというよりもミニ放送局」でも書いたが、ツイッターは発信ツールであると同時に受信ツールでもある。本当は、発信兼受信ツールとして使うのがいちばんいいのだろうが、発信専用ツールとしても、受信専用ツールとしても使うことはできる(実際に、将棋の米長永世棋聖などは、誰もフォローしていないので発信専用のツールとして使っている)。だから、自分からは何も発信しない、受信専用のユーザーがいてもかまわないと思う。もちろん、そういう人にフォローされるのは嫌だからブロックするという考えを否定するつもりはない。受信専用ツールとして使う自由もあれば、そういう人をブロックする自由もあるのだから。

 「プロフィールなし、ツイートゼロの人は、個人情報を集めることを目的としているからブロックしたほうがよい」みたいなことを書いている人もいた。しかし、そもそもツイッターというものは、いくらブロックしたとしても、ツイート内容は誰もが見ることができる。だから、非公開アカウントにしない限り、ツイート内容を見られることを防ぐことはできない。そう考えると、変な言いがかりを付けらるとか、変な絡み方をされるとかの実害がない限り、ブロックすることにそれほど意味があるとは思えないのだが・・・・・・。

 ついでに書こうと思っていた内容がずいぶん長くなってしまったので、このあたりで止めておく。エントリー「ツイッターはミニブログというよりもミニ放送局」で、「ツイッターにはすぐ飽きるだろう」と書いているが、この予想は大間違いだった。先日始めた Facebook もようやく少しおもしろさがわかってきた。今後も「親しき仲にも礼儀あり」を肝に銘じて、楽しんでいきたいと思う。  






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