home (Translation Room 9246) > Diary 9246 :: That's 談

相撲協会はこんなときだからこそ

 震災の影に隠れていた大相撲の八百長問題。今回もまた、人を切ることで決着をつけようとしている。相も変わらず、こんな方法しか思いつかないなんて、つくづくセンスがない人たちだと思う。空気を読めないにもほどがある。

 そもそも、人情相撲を含めた八百長の是非という根本的な問題を議論していないことが、今回の最大の問題なのではないかと思う。相撲協会は、そこの根本部分をすっ飛ばして、八百長を「非」として物事を進めている。そこを徹底的に議論しなければ、根本的な解決にはならない。きっと、相撲協会にとっては、八百長があったことが問題なのではなく、八百長がばれたことが問題なんだろう。

 私は相撲に八百長があってもかまわないと思っているが、もし八百長を非とするのであれば、それは理事会を含めた相撲界の連帯責任だ。決して、特定の人たちだけの責任ではない。すべての親方および力士が、八百長が行われていたことを認識していながら、見て見ぬふりをしてきたのだから。

 そんな相撲協会にとって、今こそ名誉挽回の絶好のチャンスなのではなかろうか。偽善でもパフォーマンスでもいいから、被災地の支援活動をしてアピールすればいいのにと思う。炊き出しでも何でもいい。国生さゆり氏やベッキー氏といった芸能人が被災地を訪問している映像を見たが、皆さん喜んでいた。有名人というのはそこに行くだけでも、元気を与えることができる特殊な存在である。

 今からでも遅くない。理事会のメンバーを含めた全員が頭を下げて、「今までは、八百長を見て見ぬふりをしてきました。許してください。相撲協会は生まれ変わります」と謝罪すればいいのにと思う。もちろん、偽善だと言って批判する人もいるだろうけど、「もう許してやるから、がんばれ」と言ってくれる人もいるはずだ。東北地方で新しいファンを獲得できるかもしれない。「東日本大震災が発生したときに、相撲協会はすばらしい支援活動をした。さすが国技と呼ばれるだけのことはある。日本人の誇りだ」と何十年先までも語り継がれるような組織になれるせっかくのチャンスなのに・・・・・・。

 結局、夏場所は興行としての通常開催を断念し、「5 月技量審査場所」して無料公開で行うことに決定したらしいが、どうせなら被災地の支援になるような方法で実施してほしい。特別に、仙台で開催するなんてことは無理なんだろうか。



 

サマータイムとユーモレスク

 今日から 4 月。新年度である。今日の川西は、ユーモレスクがぴったりのぽかぽか陽気。こんな穏やかな春の昼下がりに、「地震は実はエイプリルフールでした」って神様が言ってくれたらどんなにいいだろうと思う。

 関東地方の電力不足の対応策として、サマータイムの導入が検討されているというニュースが伝えられたが、その後どうなったんだろう。立ち消えになったのか。日没が遅くなる分、ピーク電力がずれていいんじゃないか、と単純に私は思うのであるが、そんなに簡単な話じゃないという専門家もいる。システムの問題などもあって、大混乱を招くため、効果よりも問題のほうが大きいというのだ。

 正直言って、サマータイムを導入することによるメリットとデメリットのどちらのほうが大きいのかはよくわからない。でも、世界の多くの国で長く採用されているシステムなんだから、メリットのほうが大いはずだ。日本でも採用できないはずがない。実際、日本でも、1948 年から 1951 年まで(昭和 23 年から 26 年まで)採用されていた。そのことは、子どものころ父親から聞いたことがある。

 現在の日本でサマータイムを導入することによって、節電効果があるのか、経済効果があるのかは私にはよくわからない。しかし、数字に表れない心的な効果というものもあるのではなかろうか。私は過去に日本で行われたサマータイムがどんなものだったのかは知らないが、海外でサマータイムを経験したことはある。5 月の上旬にロンドンを訪れたのだが、9 時半ごろまで明るかったと思う。そんな時間に外が明るいと、気分も明るくなる。家の中に閉じこもっていないで、外に出て遊ぼうかという気分になる。

 5 月の上旬でこうなんだから、夏至のころのロンドンはきっと 10 時を過ぎても明るいんじゃないだろうか。関西では、夏至のころは 19 時ごろまで明るい。完全に暗くなるのが 19 時半ごろか。日本で 2 時間のサマータイムを実施したら、いちばん日が長いときだと 21 時~ 21 時半ごろまで明るいことになる。緯度が高い東北や北海道ではもっと日が長くなることになる。想像しただけでも楽しい。問題になっているプロ野球のナイターも、実質午後 4 時(サマータイムの午後 6 時)に開始することになり、本格的に照明を点ける前に試合が終るなんてこともあるかもしれない。

 システムの変更については、この際専門家に苦労していただいて、是非ともサマータイムやろうじゃありませんか。実を言うと、私はサマータイムが開始される瞬間と終る瞬間を体験してみたいのである。切り替えの日は、午後 10 時で 1 日が終わる。テレビ番組はどうなるの?電車はどうなるの?いつも 12 時に寝る人は、当然午前 2 時ごろまで眠くならないから、全国的な寝不足が発生する。逆に、サマータイムの最終日は、12 時を過ぎてもその日が終らない。午後 13 時とかって呼ぶのだろうか?その幻の 2 時間の間に生まれる子どもだっているはずだ。「私は○月○日の、午後 13 時(25 時)に生まれました」という珍しい現象も起こる。

 夏の明るい夜を想像しながら、たまにはクラシックを聴いてみるのもいいものです。私の大好きなユーモレスクをどうぞ。 



 

原子力発電のこと

 問題になっている福島原発に外部電源が接続されたというニュースを聞いたときには、正直言って収束は時間の問題だと思っていた。しかし、いつまでたっても見通しが立たない状況になっている。原発というものは本当にやっかいなものである。

 今回の事故で、原子力発電の仕組みを初めて知ったのだが(本当は、ずっと前に聞いたことがあるのかもしれないが)、「えっ!こんな原始的な仕組みなん?」というのが正直な感想。もっと難解で複雑な原理に基づいているのだと思っていた。要するに、原理は火力発電と同じで、水を沸騰させて水蒸気を発生させ、その水蒸気でタービンを回して発電している。簡単に言うと蒸気機関に基づいた発電システムってことですよね。火力発電との違いは、水を沸騰させるのに火ではなく、原子核反応によるエネルギーを使っているという点だけである(この解釈で合ってますよね?)。

 蒸気機関なんて18 世紀に生まれた古い技術である。もっと安全に原子力を利用できる画期的で近代的な方法はないものなんだろうか。従来の仕組みとは根本的に異なる原子力発電を考え出すことはできないのか。頭のいい人がよってたかって考えても、できないんだからそんなことは不可能だ言われるかもしれないが、そのときは絶対不可能だと思われていたことを、これまで人類はあっと驚く方法で実現してきたのだ。頭の体操などよく経験する、「あっ!そんな方法があったか」とか「なぜこんな簡単なことに今まで気が付かなかったんだろう」というような、手品の種明かしのようなウルトラ C(今風に言うとスーパーE 難度?)があるような気がするのである。

「天災は忘れたころにやってくる」と言うが、ガリレオやアインシュタインのような数百年に一度の天才がやってきて、「こうやれば、理論的に絶対に安全な原子力発電が実現するじゃありませんか」とコペルニクス的な提案をしてくれ、誰が見ても反対しようのない絶対に安全な「アッと驚く為五郎」的な発想により、原子力発電の問題が一気に解決なんてことになればいいのに、とぼんやり考えている。

 絶対的に安全な原子力発電が難しいのであれば、今回のような事態が発生したときに、早急に、たとえば 数時間で安全な状態に戻せる方法はないのか。そんな「月面宙返り(ムーンサルト)」的な策と言えば、やっぱり鉄腕アトムしかないか。現実的には、感情を持って自分で判断できるアトムのようなかしこいロボットは難しいが、危険な場所で作業ができる遠隔操作が可能な高性能ロボットなら十分実現可能だと思う。これは、現代のお茶の水博士にがんばってもらいましょう。というか、今でも作業によっては、人間の代わりをしてくれるロボットってあるんじゃないの?

ベクレルだとかシーベルトだとか - 暫定規制値の取り扱い

 最近よく耳にするフレーズといえば、「暫定規制値を超える○○が検出されました」と「通常の○○倍の放射線が測定されました」だ。これらのフレーズのあとにたいてい続くのが「直ちに健康に影響を及ぼす数値ではない」である。「直ちに健康に影響を及ぼす値ではない」と言うと、「長期的には影響が出るかもしれない」と心配する人がいて当然だ。「短期的にも長期的にも影響は出ない」と、はっきり言えばいいのにと思う。

 私の認識によると、暫定規制値というのは、一定量を 1 年間継続して摂取し続けたときに、健康に影響が出るかもしれないと考えられる数値である。たとえば、ある食品から暫定規制値の 2 倍の放射性物質が検出されたとする。このような場合、その食品を一定量 180 日間毎日摂取し続けて初めて暫定規制値に達することになる。つまり、「暫定規制値の 2 倍の放射性物質が検出されました」は、正しくは「暫定規制値の 180 分の 1 の放射性物質が検出されました」と言うべきなんじゃなかろうか、と思うわけである。

 特定の作物から、暫定規制値を超える放射性物質が検出されたからといって、直ちにそれを出荷規制したり摂取規制したりするのはなぜ?もちろん、健康に関することだから、いくら慎重になっても慎重になり過ぎるってことはないんだろうが、それでも、あまりにも慎重過ぎると思う。だいたい、暫定規制値自体もかなり安全側に配慮した、つまり厳しい値であるということだし。

 昨日あれだけ騒がれた東京都の水も、翌日には乳児に対する摂取制限も解除になったとのこと。もし、このまま低い値が続けばただ混乱を発生させただけである。暫定規制値とは累積的な数値なんだから、ある程度経過を見て、累積値が暫定規制値の半分くらいになった時点(たとえば、放射性物質が暫定規制値の 2 倍の場合は、その値が 90 日続いた時点)で、出荷規制なり、摂取制限なりをすればいいのにと、私は素人考えで思うのだが・・・・・・。

 水の場合は、経済的な損失を受ける人はあまりいないと思われるが、気の毒なのは福島および関東の農家の人たちである。なんで、こんな理論的におかしな数値のために、風評被害に遭わなければいけないのだ。地震や津波は天災だけど、今回の出荷・摂取制限の措置とそれに伴う風評被害は完全に人災である。

 これ以上、風評被害が拡大しないためにも、そして原発周辺の人が安心して暮らせるようになるためにも、1 日も早く原発問題が終息してくれることを願って寝ることにします。

AC ジャパンが悪いわけではないが

 最近うっとうしいものと言えば、公共広告機構 AC ジャパンの広告。最初のうちは何とも思わなかったが、繰り返し繰り返し流されるうちに、元阪神タイガースの赤星氏の顔を見るのも嫌になった。もちろん、AC が悪いわけでも、赤星氏が悪いわけでもないのだが。

 私がいちばんうっとうしと思うのが、「心は見えないが、こころづかいは見える。思いは見えないが思いやりは見える」というやつだ。もちろん、AC の広告はどれも大切なメッセージを伝えるものであるが、何度も何度もしつこく言われると、「わかったから、もういい」と言いたくなる。親からうるさく言われる子どもは、きっとこういう気持ちになっているんだろう。

 世間の人も同じように感じていたらしく、AC ジャパンに対して、「しつこい」「不快感がある」「内容がそぐわない」というクレームが殺到したらしい(「AC大量CMに苦情殺到...脅迫電話も」を参照)。しかし、AC の広告は、各テレビ局の判断によって流しているのであって、地震が発生したことで、スポンサーの多くが CM を自粛したためにこのような現象になっているらしい。したがって、AC ジャパンを責めるのはおかど違いである。

 事情はよくわかった。AC の広告をゼロにしろとまでは言わない。しかし、広告枠に何かを流さないといけないのであれば、心が和むようなきれいな風景とクラシック音楽でも流してくれないかなと思う。おしつけがましいメッセージを聞かされるよりずっといい。

 しかし、最もいいのは、スポンサーが自粛せずに普通の CM を流してくれることだ。今、商業メッセージを流すことはそんなに不謹慎なことなんだろうか?企業イメージがそんなに悪くなるんだろうか。経済活動が落ち込んでいる今だからこそ、人々の購買意欲や消費意欲をそそるような CM をがんがんやってくれたほうがいいと思う。そんな中で、普通に CM を流してくれるすき家はえらい。近いうちの牛丼を食べに行かないと。

 今日あたりから、普通の CM も少しだけ増えたような気もする。そうやって、少しずつつ普通の CM が増えていって、その比率が逆転し、世の中も少しずつ日常に戻っていくんでしょうね。

<<前へ 4344454647|48|49505152 次へ>>