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有給休暇と確定申告

 昨日は 3 週間ぶりの休み。正確に言うと、予定していた仕事が急に保留扱いになり、仕事がなくなってしまったのである。引き合い段階のプロジェクトが立ち消えになることはよくあることだが、一度正式に発注になった仕事が保留になることは、それほど頻繁にあることではない。翻訳会社の担当者はたいそう申し訳なさそうに私に詫びた。

「この仕事を受けるために、ほかのお仕事を断ったりはされてませんか」。
「いいえ。そんなことはないです」
「もし、すでに作業を開始されていた場合は、やったところまで料金をお支払いします」
「まだ、手を付けてなかったので、大丈夫です」

 その仕事は前日の夕方に受注したもので、まだ手を付けてなかった。ほかの仕事を断ったりもしていなかったので、実害はまったくない。そろそろ、休みたいという気持ちもあったので、それはそれでよしとしよう。こういうときは、のんびり過ごすのもよし、普段やりたいと思っていたことをやるもよし。

 そんなことを考えながら、普段見に行くインターネットのサイトを巡回していると、その翻訳会社からのメールを受信。該当案件が 1 日動かないようであれば、20% 相当のキャンセル料を払ってくれるという。今回は実害があったわけではないので、キャンセル料をもらうのは多少気が引けるが、せっかくくれるというものを頑なに断る必要もない。もし、このままこの案件がキャンセルになって、ほかの仕事も入らなければ、今日は有給休暇ということなる。有給休暇。なんていい響きだろう。

 まずは図書館に出向いて、借りていた本を返却する。おもしろそうな本はないかと物色してたら『昭和レトロ語辞典』という本を発見。ほかにも日本語に関する本を新たに 5 冊ほど借りた。そのあと、紀伊国屋書店に行き、前から読みたいと思っていた本を商品券で購入。西友に寄って、昼ごはんの食材を買って帰宅し、ハイカラあおさうどんを作る。テレビをつけると「ごきげんよう」で、西田ひかるさんが息子さんの話を楽しそうにしている。

 今日はこのまま、だらっと本でも読みながら過ごそうかと考えていたら、いやなことを思い出す。確定申告だ。毎年のことながら、確定申告のことを考えるだけで気が重くなる。せっかくの有給休暇に確定申告なんかやりたくないなあ。そんなことをことをぶつぶつ言いながら、コタツと一体化していたのだが、夕方の 4 時になってようやく重い腰を持ち上げる。

 自営業者は、青色申告をしたほうが得だということは知っている。しかし、青色申告の仕方を調べたり理解したりするのがめんどうで、もう 10 年以上も「来年からやろう」と言っている。E-Tax を導入すれば、確定申告の作業もずいぶん楽になるだろうと思いながら、これも「今年はまあいいか」と言い続けている。きっと、私は生涯この原始的な確定申告作業を続けるんだろう。

 確定申告の書類が完成し、床についたのは午前 2 時だった。もし、また有給休暇があったら、今度はもっと有意義に過ごそう。

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2D のテレビなんて見てられない

 技術翻訳の仕事をしていると、まだ世の中では一般的に知られていない、最新のテクノロジーを扱った文書を訳す機会がある。発展途上の分野だと、訳語が確立されていなかったり、概念を理解するのが困難だったりして、訳すのに苦労することもある。しかし、世の中の人がまだ知らないであろう情報を、いち早くこっそり知ることとができる。これは私たちに与えられた特権かもしれない。

 先日も、3D テレビに関するプレゼンテーション資料を訳した。3D メガネを必要としない次世代の 3D テレビの仕組みに関する最新の情報を扱った文書だった。

 私が物心ついたときのテレビ番組は当然すべて白黒だった。当時子どもの間で人気があった番組と言えば、「エイトマン」「スーパージェッター」「鉄人 28 号」といったアニメだ。実写ものでは、ちょうど私たちが小学生になるころに、ウルトラシリーズの最初の作品「ウルトラ Q」の放送が始まった。

 わが家にカラーテレビがやってきたのは、小学 4 年生(10 歳)くらいのとき(1970 年ごろ)だったと記憶している。カラーテレビで初めて見た番組はプロ野球中継。ミスタージャイアンツこと長島さんがまだ現役だったころである。確か、巨人対阪神の試合だった。当時のプロ野球では、ビジターのユニフォームに水色を基調としたものを使うのが流行っていた。その水色のユニフォームが鮮やかに映し出され、映像がすごくきれいだったことに感動した。

 その後、白黒の番組は姿を消していくことになる。それまで、何の不満もなく白黒テレビを見ていたのに、いったんカラーに慣れてしまうと、「白黒なんて見てられない」と思うようになる。一度レベルの高いものに慣れてしまうと、それまでのものでは満足できなくなるという現象は、映像の質に限ったことではないが。

 時が流れ、わが家に地デジがやってきたのは 3 年ほど前だったろうか。地デジの画像を初めて見たとき、確かにきれいだとは思ったが、白黒からカラーに変わったときほどの衝撃ではなかった。確かにきれいだが、これまでのアナログ放送の映像でも十分満足できると思った。それがどうだ。最近では、CS などで、ちょっと画像が粗いアナログの番組をやっていると、「こんな質の悪い画像なんか見るが気しない」と思ってしまう。10 歳のときにあれほどきれいだと思った映像なのに。おそろしやおそろしや。

 2009 年に大ヒットした「アバター」も 3D テレビも実際に見たことがない私には、3D で長時間ドラマなどを見ることがどんな感じなのかよくわかっていない。リアル感や臨場感やその他もろもろ、それはたいそう興奮を与えるものであろうことは想像できる。20 年後、いや 10 年後には、すべての番組が 3D 化され、「2020 年 7 月からは 2D 放送は終了します」といったメッセージが画面に表示されていたりして・・・。

 今は、「2D テレビで十分だ」と思っているが、過去の経験からすると、今のままで十分なんてことは絶対にありえない。「2D なんて、辛気臭くて見てられんなあ」とつぶやく日が来るのも、それほど遠くない将来のことなのか。

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食べるラー油作りを候文にて

 中世から近代の日本では、候文という文語文体が盛んに使われていた。現在ではまったく使われることがない文体だが、何とも言えない趣があってよい。一度候文で記事を書いてみたいと思い、書き方を調べてみたのだが、候文の正しい書き方を解説したサイトはなかなかない。唯一発見したのが「候文について」というページである。このサイトに記載されている「候」の基本的な使い方と活用に従って、文末に「候」を付加しただけの付け焼刃的な候文を書いてみた。

食べるラー油を作り仕り候

 昨年あれほど流行った食べるラー油がスーパーから完全に姿を消し候。普段小生が買い物に行く西友でもまったく見かけることこれなく候。桃屋のものも、SB 食品のものもこれなく候。そんなおり、普段行かないスーパーに行き候はば、自分で食べるラー油を作れるキットを発見し候。値段も 190 円なにがしと安く(1 の位の正確な数字は記憶に御座なく候)、迷わず購入致し候。キットの内容は、フライドガーリック、ラー油、コチジャン、保存用の瓶で御座候。

手作り食べるラー油キットスーパーで見つけた食べるラー油の手作りキットで御座候

 早速食べるラー油作りに取りかかり候。まずは、瓶にフライドガーリックを入れ仕り候。次に、ラー油を瓶に注ぎ込み、コチジャンを入れてよく混ぜ候はば、食べる MY ラー油の完成に御座候。難しい点はまったくこれなく候。

手作り食べるラー油キット

 説明書によれば、1 ~ 2 日寝かせ候はばいっそうおいしくなる候よし、冷蔵庫で保存して熟成するのを待つことに致し候。果たして、おいしい食べるラー油ができる候や。まことに美味なれば、再度購入致したく存じ候。

 同じように食べるラー油を求めている方がこれあり候はば、是非ともご購入成し下さるべく候。

 候文の最大の特徴は、時制がないことである。過去形と現在形の区別がない。したがって、「ありました」と「あります」のどちらも、「これあり候」となる。このことが理解できていないと、「あれ、過去形はどうやって表現するんだ」と頭をひねることになる。現在形か過去形かは、文脈で判断するしかない。またいつか、もうちょっと勉強して、風情のある候文を書き仕りたく存じ候。

ありがとうの反対語

 私は普段ラジオを聴きながら仕事をしている。以前は BGM 代わりに FM ラジオをつけていたのだが、最近はもっぱら AM 放送を聴いている。誰ともしゃべることなくずっと PC に向かっていると、音楽よりも人の話し声を聞いていたくなる。

 先日 MBS ラジオを聴いていると、いつもの番組にあるゲストが来て、こんな問いかけをした。
「ありがとうの反対語ってなんだと思いますか」
私も一緒になって考えてみた。ありがとうの反対語って何だろう。番組のパーソナリティも誰一人として正解がわからない。しばらくして、質問の答えが発表された。
「ありがとうの反対語は、当たり前です」

 なるほど。「ありがとう」は「有り難い」っていう意味だから、その反対は「当たり前」か。言語学的にもそのとおりだ。

 言語学的な観点からだけでなく、「有り難い」と「当たり前」について少し考えてみた。私たちは今の自分の生活をついつい当たり前だと考えてしまう。目が見えて当たり前。耳が聞こえて当たり前。仕事があって当たり前。言論の自由があって当たり前。毎日にご飯が食べられて当たり前。生きていて当たり前。日々数々の当たり前に囲まれて生活していると思っている。

 しかし、地球上には、食べるものがなくて餓死している人々がいる。言論の自由が保障されていない国もある。戦争の恐怖におびえながら暮らしている人たちもいる。子どもたちがまともに学校に行けない国もある。日本が今のような国になったのも、歴史的に見ればつい最近のことである。今なら簡単に治る病気で簡単に死んでいった人たちがいた。職業を自由に選べない時代もあった。若者が神風特攻隊として命を国に捧げることを強要された時代もあった。

 こういうことを冷静に考えてみると、今の時代にこの日本という国に生まれ、生きていることは、とっても「有り難い」ことなのである。

 昨日、いつものようにラジオを聴いていたら、懐かしい曲が流れた。1979 年にヒットした、ばんばひろふみの『SACHIKO』という曲だ。

幸せを数えたら片手にさえ余る
不幸せ数えたら両手でも足りない
(中略)
SACHIKO 思い通りに
SACHIKO 生きてごらん
(後略)

SACHIKO ばんばひろふみ 歌詞情報 - goo 音楽より

 気が付いたら、サビの「SACHIKO 思い通りに SACHIKO 生きてごらん」の部分を一緒になって歌っていた。SACHIKO には、いったいどんな辛いことがあったんでしょう。

 今日もラジオをつけて仕事を開始。ABC ラジオでは、さっきからチョコレートの効用について説明している。そうか、今日はバレンタインデーか。チョコレートはもらえなくても、毎日仕事があって「ありがたや」。そして、毎日楽しいおしゃべりを聞かせてくれるラジオの人たちも「ありがたや」。

「Tel ください」はなんと読む?

「今日 ○○さんが、『○○さ~ん、加藤さんがテレくださいって言うとったで』って大声で言うねん」と妻が言う。
テレって、Tel のこと?」と私。
「そう。テレって変やんなあ」。

「加藤様から Tel あり。Tel くださとのこと」と書かれたメモ


 だれでも、こんなメモを書いたり、書かれたりしたことがあると思う。私もサラリーマン時代にはよく書いていた。今でも、備忘録として「Tel すること」などと書くこともある。しかし、これまでこの「Tel」をなんと読むかなんて考えたこともなかった。

「たとえメモには Tel って書いても、それを口頭で人に伝えるときは、『電話ください』って言うのが普通とちゃうか」と続ける私。
「そうやんなあ」
「でも、あえて Tel をそのまま読めと言われたら、テレやなくてテルやなあ。テレは変やろ」

 これは、数日前に妻と交わした会話である。メモに書く Tel とは記号のようなものだ。いちいち「電話」と書く手間を省くために考えだされた記号である。「X'mas」 と書いて「クリスマス」と読んだり、「五輪」と書いて「オリンピック」と読むのに似ている。そう私は思っていた。

 ところが、今日ツイッターのタイムラインをぼんやり見ていたら、「テレする」と書いている人がいた(Tel ではなくカタカナで「テレ」)ので驚いた。文脈から考えて電話のことを指しているのは間違いない。Tel とは telephone を略したものだから、確かに「テレ」で間違いはないのだが、Tele と書いているわけではないので、私の感覚から言うとやっぱり「テル」なのだ。

 ついこの間まで、「テル」が主流派で、「テレ」は少数派だと思っていた。というか、そんなことこれまで話題にしたこともなかったので、考えたこともなかった。(「テレください」は「照れください」に聞こえてしまう)。しかし、ひょっとすると、世の中の大部分の人は「テレ」派で、自分のような「テル」派のほうが少数派だったりして。

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