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昭和 61 年は K.K とおニャン子とダイアナ妃の 1 年

昨夜の「日めくりタイムトラベル」のトラベル先は昭和 61 年(1986 年)だった。

「日めくりタイムトラベル」とは、昭和の特定の 1 年を取り上げて、その年に起こった事件、社会現象、流行などを振り返る、NHK BS の昭和ノスタルジー満載の番組。今年の春ごろにその存在を知ってから毎回楽しく見ている。とっても面白い番組なのだが、難点は放送日が不定期なこと。放送日をカレンダーにメモしておかないと、見逃してしまいそうになる。

昭和 61 年といえば、私は社会人になって 3 年目で 26 才だった。個人的には若気のいたりで、ちょっと不安定な生活を送っていたのだが、社会的にはそれほど大きな変化はなく、何となくゆったりぼんやりとした 1 年といった感じだったと思う。

番組を見て印象に残った昭和 61 年の出来事や現象は、

  • 桑田と清原のプロ入り
  • おニャン子クラブの大ブレーク
  • テレフォンカードのブーム
  • ダイアナ妃の来日
  • パンダの赤ちゃん誕生
  • チェルノブイリの原発事故
  • たけし軍団フライデー事件
  • レコードから CD への本格的な移行

などである。

そうか、PL の桑田と清原がプロ入りした年か。清原は 1 年目から西武の 4 番バッターとして大活躍。ちなみに日本シリーズは西武 x 広島だったらしいが、そこらあたりのことはまったく記憶にない。清原が日本シリーズで涙を流したのは翌年のこと?

それとおニャン子クラブが大ブレイク。懐かしい。「バレンタインキッス」がよく流行った。ちなみに私は新田恵理のファンだった。

テレフォンカードのブームは、テレフォンカード対応の公衆電話が普及したことによるものらしい。電電公社時代の斉藤由貴のテレフォンカードは今でも 30 万円するとのこと。そういえば、当時はテレカコレクターがいたなあ。

ダイアナ妃の来日はなんとなく覚えている。たけし軍団のフライデー事件はよく覚えている。それから、CD の生産枚数がレコードの生産枚数を上回ったのが昭和 61 年らしい。A 面、B 面という概念がなくなったから、CD と呼ばれるようになったという話もあるとかないとか・・・。

政治の世界では、衆議院の解散による衆参同時選挙があり自民党が圧勝したり、有楽町 3 億円事件とかいう大変な事件(いわゆる 3 億円事件とは別物)が起こったりしたらしいが、まったく記憶にない。

次回の放送は 12 月 18 日で、昭和 33 年を取り上げるとのこと。自分が生まれる 2 年前の年だが、そのころの日本がどんなだったのか、とても興味がある。しかし、こういう番組を喜んで見ているとは、つくづく「昭和も遠くになりけり」である。

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ピンクの何がそんなに女の心を引き付けるのか

先日テレビで横山めぐみさんが「ピンク色が大好きで、ピンクのかわいいものを見つけると、我慢できずについつい買ってしまう」と言っていた。彼女に限らず、ピンク色が異常に好きな女性は珍しくない。私の周りにもピンク色の物を好んで買っている女性はけっこういる。

子どものころは、赤やピンクは女の子色、青や水色は男の子色として区別されている。男は大人になるにつれて青や水色への執着が薄れていくが、女性はいつまでも赤やピンクに対する執着が残っているんだろうか?

男には多少色の好き嫌いはあると思うが、特定の色に対する執着はそれほどない。私も、「好きな色は?」と聞かれたら、グリーンと答えると思うが、すべての物を緑色で揃えたりしたいとは思わない。

男性用の衣類の色として、ピンクは絶対に考えられられない色だ。男がピンク色の服を着るには、かなりの勇気がいる。特に色の濃いピンクを着ようものなら、変な目で見られることは間違いない。ピンクは明らかに女性用の色なのだ。

それに対して、女性が着用すると異様な雰囲気になる色は存在しない。女性は何色でも着られる。つまり、男限定の色は存在しないことになる。そう考えると、ピンクという色は特殊な色なのかもしれない。ピンクには、男にはわからない特別なものがあるのかもしれない。ピンクの何がそんなに女の心を引き付けるんだろうか?


心地よい痛み

痛みというものは、その種類や程度を問わず嫌なものである。

唯一例外があるとしたらそれは筋肉痛。病気じゃないことがわかっているという心理的な要因もあるのかもしれないが、筋肉痛は嫌いじゃない。むしろ心地よい痛みだと言ってもいい。私は最近この心地よい痛みを楽しんでいる。妻が買ってきた 『読む筋トレ 』(扶桑社新書) という本を読んだことをきっかけに筋トレを始めたからだ。

3 年間続けていたジム通いを中止して 1 年。夏はあまりにも暑かったのでウォーキングもなかなかできなかった。加齢に伴って、ぽっこりお腹は悪化する一方。何とかしないとやばいと思い始めていたところだった。

この本は、これまでのダイエットや減量の概念や常識を覆す内容で、トレーニングの手法よりもメンタルな部分に焦点を当てている。筋トレの重要性は前からわかっていたが、メンタルな部分を変えないと長続きしないことや、長時間の有酸素運動に励むよりも、短時間の筋トレのほうが効果が高いことがよくわかった。筋トレに費やす時間は 1 日わずか 5 分。

「がんばって 1 年後には板チョコのような腹にし、ここで写真を公開してやるぞ」とゆるく心に誓ったのであるが、果たしていつまで続くのやら、若干の不安もあったりする。

今まで、何をやっても長続きしなかった方や効果がなかった方にぜひお勧めの一冊です。私のように目から鱗が落ちるかも。

読む筋トレ (扶桑社新書)
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イメージ

およそ半年ぶりの更新。また書きたいモードになったので、いつまで続くかわからないけど、しばらくの間、ちょくちょく更新してみようと思う。

人間というものは、他人に対して勝手なイメージを持つものである。

私の場合、俳優の高嶋兄弟のイメージがどうしても逆なんじゃないかと思ってしまう。つまり、高嶋政宏氏と高嶋政伸氏の顔と名前のイメージが一致しないのである。政宏氏はどちらかというと政伸という感じの顔をしているし、政伸氏はどちらかというと政宏という感じの顔をしている。だから、この兄弟をテレビで見ると、「これは、政宏っていう感じの顔をしているほうだから政伸だな」といった具合に、頭の中で高嶋変換を行っている。こんな違和感を持ってるのは、世の中広しと言えども私だけだろうか。

私の中で、数十年にわたってイメージがほとんど変わらない芸能人がふたりいる。大滝秀治氏と岡本信人氏だ。

大滝秀治氏は、私が 10 代のころすでにおじいさんだった。プロフィールを見ると、1925 年生まれとなっているので、私が子どものころは 40 代 ~ 50 代だったことになる。今から考えると、まだおじいさんという年齢ではないのだが、私の中のイメージとしてはすでに 70 ~ 80 才くらいのおじいさんだった。そして、今もそのイメージは変わらない。私の中で、大滝秀治氏は永遠のおじいさんである。

もうひとりの岡本信人氏は、私が小学生のころに、当時人気があった『肝っ玉かあさん』や『ありがとう』といったホームドラマに出演していた。1948 年生まれということなので、当時は 20 代前半のバリバリの若者だったことになるが、子どもの私の目にはばりばりのおじさんに見えた。この人のイメージもいまだに変わらない。若いときでも年をとっても、常に 30 代後半 ~ 40 代前半というイメージを与える変わった人である。岡本信人氏は永遠の中年。

最後に、私が小学生のころ V9 時代の読売巨人軍を率いていた川上哲治氏についても、私は当時は相当なおじいさんだと思っていた。決しておじいさんという年齢ではなかったのだが。現在、当時の川上監督を映像で見ると確かに年相応に見える。子どもっていうのは、大人の年齢を正しく判断できないから、このような思い込みは仕方ないのかもしれないが・・・。

イメージっていうのはもともと勝手なものであるが、ほかの人が自分にどんなイメージを持っているのか、気になるようなならないような。

旗日と日本人の休日

祝日の日の丸(国旗)今日はこどもの日。国民の祝日である。私が子どものころは、祝日に日の丸を掲げる家は多かったが、最近ではなかなか見られない光景になってしまった。当時、祝日は旗日とも呼ばれていたが、最近はあまりこのことばは耳にしなくなった。すでに、死語になってしまったのかもしれない。そんなことを考えながらウォーングをしていてたら、国旗を掲げている珍しい家を発見。昭和にタイムトリップしみたいで懐かしい感じがした。

「国民の祝日に関する法律」(祝日法)では、国民の祝日とは「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」と定義されている。戦後から昭和 40 年代ごろまでは、この精神がある程度根付いていたと思うが、現在では祝日は単なる休日になってしまった感がある。

振り替え休日やら、ハッピーマンデーやらで、やたら連休を増やす方向に祝日法が改正されたこともその原因の 1 つだろう。でも、日本人の休日数を増やすことを第一の目的としたこの法改正は、祝日法の本来の趣旨とかけ離れた方向に向かっていると思う。

休日を増やすという目的であれば、みんながいっせいに休むのではなく、欧米のように、各自が好きな時に長期的に休暇を取れる風習や文化を根付かせるべきだったと思う。そうすれば、ゴールデンウイークの分散といった変な政策を検討する必要性も生じなかったように思う。日本人は、欧米のものを何でも無節操に取り入れてたくせに、休暇に関する欧米の考え方は取り入れられなかったのはなぜだろうが。

きっと、「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な発想で、みんなが働いているときに自分だけ休むのは怖いのだろう。昭和の時代と比べてたら、有給休暇という概念もかなり浸透しているのだとは思うが、中小企業などではまだまだ、遊ぶことを目的に休暇を取ることはよくないことと考えている経営者や社員も多いと思う。そのためには、罪悪感を感じることなく休める国民の祝日という大義名分が必要だったのだろう。

ゴールデンウイークも今日で終わり。もちろん、フリーランス翻訳者にとっては、日曜も祝日もゴールデンウイークも一切関係ないが、世間がなんとなく騒がしくなる長期の連休よりも、平日のほうがなんとなく落ち着いて好きだ。

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