home (Translation Room 9246) > Diary 9246 :: That's 談

政治家センセイのジョーシキ

最近、いろんな政治家の失言が問題になっている。たしかに、先日辞任した柳田元法務大臣の発言は言語道断であるが、ことさら目くじらを立てるようなことでもないと思う。もちろん非難すべきことではあるが、政治家のこの手の問題発言は今に始まったことではないし、もう聞き飽きた。

民主党議員の問題発言を得意げに非難している自民党を見ていると、そんなことに必死になるよりも、もっとやるべきことがあるだろうと思ってしまう。見逃すことができないのは理解できるが、それでは野党時代の民主党と同じである。きっと、与党議員の失言を徹底的に非難するのは政治家センセイのジョーシキなんだろうが、「そんなことどうでもいい」と言ってのける非常識な先生がひとりくらいいてもいいと思う。

「人のふり見て我がふり直せ」ではないが、そんな小さいことなど問題にせずに、もっと建設的な意見を出して本質的な部分で議論を戦わせれば、自民党に対する国民の目も変わるのにと思う。せっかく、民主党政権という悪い見本のおかげで、過去の自分たちの悪かったところを客観的に反省できる機会だというのに、残念でしかたがない。

私は決して、自民党を応援しているわけではない。民主党だけが悪いと思っているわけでもない。テレビなどで政治家センセイの発言を聞いていると、「なるほどなあ」と思うようなことや「それはいい政策だ」と思えるような、まっとうな意見も多い。しかし、そういう立派なことを言うセンセイたちも、いざとなると言動が一致しない。そして、「これが政治のジョーシキだ」と言わんばかりに、どういう理由で実現が難しいのか、何が問題なのかを、政治家の独特の理論に基づいて得意げに語る。

しかし、こんなジョーシキの塊のような政治家にはもううんざりだ。これまでの因習にとらわれない KY で非常識な政治家の出現を期待する。

一般的に、政治家としてのジョーシキに毒されていない常識を持った政治家は、ほかの議員から馬鹿にされたり、議会から嫌われたりという傾向にある。橋下大阪府知事は決して政治家のジョーシキに染まることなく、非常識な政治家のいい見本になってほしいと思う。

こんな小夏日和には、おろし醤油ゆうどん

昨日も今日も 12 月とは思えないような暖かさだ。ちょっと用があって外出したのだが、汗ばむほどの暑さ。さっきラジオで言っていたが、今日の大阪の気温は 12 月としては数十年ぶりの高い気温だそうだ。これはもう小春日和を通り越して小夏日和と呼んでもいい。

こんな小夏日和には、おろし醤油うどんが食べたくなる。そんなわけで、今日の昼ごんはおろし醤油うどん。私が今いちばん気に入っているうどんの食べ方だ。冷水で揉み洗いしたうどんに、大根おろし、ねぎ、天かすを乗せて、だし醤油をかけるだけで完成。

このうどんの決め手はやっぱりだし醤油。ネットでいろいろ調べてみた結果、うどん用にぴったりだと評判が高かったのがカマダのだし醤油。それ以来このだし醤油を愛用している。

おろし醤油うどんとカマダのだし醤油

久しぶりのおろし醤油うどんはとっても美味だった。12 月に食べると思わなかったけど、本場讃岐の人は冬でも食べるんだろうか。一度本場讃岐の醤油うどんが食べてみたい。


本末転倒

最近妻は、たらみのゼロカロリーゼリーとかいうものを好んで食べているようである。お腹がすいたときに何か食べたいけど、カロリーの高いものは避けたいからという理由で食べているのだという。

たらみのゼロカロリーゼリーたらみのゼロカロリーゼリー

しかし、よく考えてみるととってもおかしな話である。人間は、いやすべての動物はずっと飢えと戦ったきたわけであり、いかに食料を確保するか、いかにカロリーの高い食品を効率よく摂取するかが最大の課題だったはずである。ご飯をたらふく食べたあとでも、甘いものなら食べられられる「別腹」という現象は、飢餓に備えて高カロリーのものはできるだけ摂取しておこうという人間(動物)のハイカロリー指向を象徴している機能である。

だから、ゼロカロリーのものをわざわざお金を出して買って食べるというのは本末転倒な行為である。なるべく安くてカロリーの高いものを求めるのが本来の姿である。巷には、低カロリー、カロリーオフ、ゼロカロリーを謳った商品があふれかえっている。どれもこれも本末転倒な商品だ。

そう言えば、昔これとよく似た話があったなあと思って考えていたら、筒井康隆の『にぎやかな未来』という本に、本末転倒を題材にしたショートショートが収録されていたことを思い出した。

常にレコードをかけていないと罰せられるという変な法律ができている、未来の様子を描いた話だったと思う。町には CM の音楽が騒々しく流れ、レコードには広告が挿入されるようになっていて、私たちは常に CM を無理り聴かされている状況になっていた。そんな世の中でいちばん高価なレコードは、何も音が入っていない無音のレコードだった。たしか、こんな感じの話だった。

未来の話なのに、CD じゃなくてレコードっていうところが玉に瑕ではあるが、まあそれは仕方ないか。


65 点の人が好き

先日ある人と話していて、ひょんなことから、昔のある歌のことが話題になった。「知っていながらわざと間違える、65 点の人が好き」みたいな感じの歌である。誰の何という曲だったのか思い出せずいらいらしたので、家に帰って調べてみた。松本ちえこの『恋人試験』だということが判明した(恋人試験@YouTube)。

恋人としてふさわしいかどうかを調べるための試験について歌ったものだと思われる。歌詞は、試験問題を読み上げたあと以下のサビへと続く。

0 点なんかじゃ許さない
100 点とるひと大嫌い
知っているのに ワザとまちがえる
65 点の ひとが好き 好き 好き
(『作詞: 伊藤アキラ、作曲: あかの たちお(『恋人試験』の全歌詞))

「私」の恋人にふさわしいのは 65 点の人だそうだ。しかも、知っていながらわざと間違えなければならない。知識がなくて 65 点はだめなのだ。でも、なぜわざとまちがえないといけないのか。それで、なんで 65 点なんだろうか。

そもそも、この試験は何人もの恋人候補からふさわしい人を選ぶためのものなんだろうか。それとも、すでに恋人がいて、その人が本当に恋人としてふさわしいかどうかを見定めるためのものなんだろうか。

こんなどうでもいいことに頭を悩ませてしまったことに、少し後悔してしまったクニシロであった。

龍馬伝最終回

昨夜、今年ちょっとしたブームになった大河ドラマ『龍馬伝』が最終回を迎えた。11 カ月間、1 回も欠かすことなく楽しく見てきたので、これで終わりかと思うと少し寂しい。これをきっかけに、前から読みたいと思っていた『龍馬がゆく』を読んでみようかなと思っている。

幕末というとずいぶん昔のような気がするが、わずか 150 年前だ。4 世代くらいさかのぼればそのあたりの時代になるので、とんでもなく昔の話ではない。

龍馬が幕末のヒーローであることは誰もが認めるところだが、幕末の志士とか勤皇の志士と呼ばれる龍馬以外の人たちも、重要な役割を果たしたんだと思う。きっと、危機的な状況にあった日本において、時代の流れの中で、日本を変えるという使命を持って、必然的に生まれてたきた人たちなんだろう。

龍馬のフレーズで私の印象に残っているものは、「世の中の仕組みを変える」「みんなが笑って暮らせる国をつくる」などであるが、今の日本も同じような課題を抱えていると思う。新しい日本をつくるという使命を持った平成の志士たちはいるのか。それとも、今の日本は幕末ほど危機的な状況ではなく、ヒーローが生まれるのはもっと先の時代なんだろうか。今がどんな時代だったのか、世の中がどのように変わっていったのか、100 年後、150 年後に歴史的な観点から眺めて見たい気もするが、それは無理な話だ。

ところで、今年の大河ドラマはなぜこんなに早く終わったんだろうか。いつも年末ぎりぎりまでやっていたと思うのだが・・・。『新撰組』以来大河ドラマを見ていなかった私が知らないだけ?

余談をもう 1 つ。大河ドラマで平清盛が取り上げられると、世の中は好景気になるという噂を聞いたことがある。一応データではそういうことになっているらしい。2012 年の大河ドラマは平清盛に決定しているらしいが、本当に景気がよくなるのならうれしい。2012 年に急に景気がよくなるってことはないだろうから、来年あたりから兆しが出始めるのか。ついつい期待してしまう。

龍馬伝 完結編 (NHK 大河ドラマ・ストーリー)龍馬伝 完結編 (NHK 大河ドラマ・ストーリー)
福田 靖 NHKドラマ制作班

日本放送出版協会 2010-10-22
売り上げランキング : 93

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


<<前へ 5556575859|60|61626364 次へ>>